odd_hatchの読書ノート

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宮崎市定「世界の歴史07 大唐帝国」(河出文庫)

 ここでは漢の滅亡ころ(三国時代の開始)から五代時代(唐の滅亡)ころまでの、西暦200年から1000年ころまでを扱う。著者によると、これが中国の中世に相当するという。ヨーロッパの中世が500年ころ、この国の中世が1200年ころから開始したとすると、この古い文明を持つエリアの歴史の進捗は他のエリアに先立つ。

 さておよそ800年のこの時代、天下泰平なのは唐のころの300年に限られ、それ以外は群雄割拠、小国乱立の荒れた時代であった。ことに有名なのは漢の滅亡から三国鼎立までの数十年を描いた「三国志」の時代だろう。小さな自慢をすれば、おれは平凡社版(立間祥介訳)の「三国志演義」を20代のときに全巻読みましたよ(まあ先に横山光輝のマンガを読んで、おおよそを頭に入れておいた上での読書だが)。なるほど英雄豪傑の痛快な話が連続するのであるが、こういう「国盗り物語」にはもう飽きていたので、あまり印象は残っていない。「三国志演義」は280年の晋の天下統一で終わるが、実のところ晋も盤石な国家・体制ではなく、その後さらに200年も戦乱が続くのである。この小著でも、どこで英雄が立って、国をつくり、暗愚な息子や孫の代に滅ぼされてとかいう話がえんえんと続くので閉口した。
 自分の着目したのは次のようなところ。
・漢の時代に成立したシルクロードは中東、西アジアとの交易を盛んにしたが、あいにく漢の側には輸出品にめぼしいものはなく(絹、茶、陶器くらい)、常に輸入超過であった(西アジアからは例えば「胡」のつくものに、奢侈品全般に、さまざま)。そこで支払いのために砂金が流出する(西アジアの貨幣は金。漢の貨幣は銀。決済は金なので、中国から流出)。その結果、漢の中では深刻な貨幣不足になり、デフレが進行。経済停滞になる。この時代の交易が徒歩やラクダ・馬に頼っていたので、経済の動きは極めて緩慢であった(著者によると1960年代の1年間が当時の100年に相当するとか)。なので、貨幣不足やデフレはなかなか見えにくく、適切な政策も取られないまま。
・当時の税金は銭納。貨幣が不足しているから税金の支払いに苦労する。そこで、農村では自給自足体制にもどり、貴族他は個人の荘園をつくり、納税を怠るようになる。都市の人口が農村や荘園などに流出し、衰退する。曹操屯田制を採用し、集団移住、軍農両立にしたのはこういう背景による。
・政権の不安定、戦争の継続、匈奴などの侵攻などで、東西貿易は縮小。これが隋の天下統一(600年ころ)まで継続(このあたりの事情は、ヨーロッパの中世にも起きていたこと)。
・唐の時代になると、国家と政権が安定し、経済が拡大(農業生産性の向上が寄与した)。周辺諸国を属国とすることができ、朝貢で金が流入するようになり、貨幣不足が解消。技術や工芸なども向上して、中東、西アジアの商品とそん色ないものを輸出できるようになる。ようやく輸入超過は解消して、経済は安定。おバカな皇帝が無茶をしたり、軍人がクーデターを起こしたり、外敵が侵入したりと多事多難ではあるが、それをもろともしない官僚制と徴税の仕組みがあって、体制も安定していた。
・とはいえ、中世の封建制が強固であり、身分が固定され、情実とわいろが横行するようになると、不満が高まる。貴族の下のほうの階層にいる連中であり、地方で鳴かず飛ばずの官吏であり、商業資本や金融資本を蓄えた商人階層であり、重税を課せられる大多数の農民であり、国家の外に置かれた周辺の民族であり・・・。彼らの不満は飢餓や戦争などで反乱となり、多くは鎮圧されても、その要求は政策に影響を与えるし、新たに国揚げをするグループはより多く要求にこたえようとするだろう。そして身分固定の封建制は変革されることになる(そこで與那覇潤「中国化する日本」文芸春秋社の主題につながる)。
 これらは本書の中ではあまり書かれていない。
 この本は1968年初出。当時のできごとの説明のふしぶしに、この国の戦前戦中の政治家、官僚、軍人批判が書き込まれている。学術文章のそこかしこに、著者の心情が書き込まれ、それが軍国主義批判であるのが面白かった。

2012/04/20 貝塚茂樹「世界の歴史03 中国のあけぼの」(河出文庫)に追記。