odd_hatchの読書ノート

エントリーは2200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。

河盛好蔵「人とつき合う法」(新潮文庫)

 昭和33年に週刊朝日に連載したものが単行本になり、文庫になった。教科書に書かれていない人との付き合い方を高校生向け(しかし著者はそのことに拘泥しない)に書いた。
 個別には、納得できることが書いてある。時間を守れ、良き友人とつきあえ(でもほどほどに)、できない約束はするな、安易に金の貸し借りをするな、など。類書と違うのは著者がフランス文学の泰斗であるので、文学者、文化人の名前がポンポンとでてくること。ベルグソンモンテーニュ、ジイド、モーロウ、ルナール、ラ・フォンテーヌ、チェホフ、清少納言太宰治ら。ここら辺は当時の高校生に要求していた教養の一部ということになるのだろう。


 しかし全体として読んだとき、この本のいう「人とつき合う法」はずいぶん狭い、息苦しい。昭和33年というと、この国は戦後復興中で高度経済成長は少し先。農村の余剰労働者が都市に集まりだす前だった(「集団就職列車」の名称の列車が運行されたのは昭和38年1963年から)。この本の想定読者である高校生は生まれたところで育ち、その地で就職するか家業を継ぐかが一般的だったころ。地域の全員が顔見知りで、好き嫌いに関係なく付き合いを持たねばならない。都市でサラリーマンになっても、そこには「村」のような濃密な人間関係があった( 入江徳郎「泣虫記者」(春陽文庫)を参照)。簡単に人との付き合いをかえることができない共同体の中で暮らさなければならない。なので、この本が教える「人とつき合う法」のたいていは、マナーに礼儀に作法。面倒な人、いやな人、厄介な人、気の合わない人、そういう人たちをあしらう方法がほとんど。言いにくいこと、口にするのが恥ずかしいことをどう婉曲に伝えるか。それを言われたとときにどう受け流すか、気にせずにいるか。そういうことばかり。
 なので、この本で教えられる「人とつき合う法」からは、いろいろなことが漏れてしまう。相手になる人は同僚、友人、目上の人、先輩、隣人など。家族では父や兄弟。そこから、まず女性が除外(例外的に母のみ。それもおせっかいで働き者だが、無知で卑屈でという母性が対象になる)。子供、病人、老人という弱者は見えていない。障害を持つ人も対象外。それに不正や悪を犯しているひとへの対応の仕方もない。せいぜい巻き込まれるなくらい。外国人という項目もあるが、どうやら欧米人のことしか気になっていないらしい。戦争でこの国の兵士、あるいは家族で移住した地域に暮らす人たちは外国人の姿としては現れない。
 同じところに住み、同じ人と長年つきあうことになるとすると、そこからは調整、協調、現状維持が行動の指針となり、波風を立てずに過ごすというのが、この本のありかた。弱者には目をつむり、不正や犯罪にはかかわらないというのが当時のもらるになるというわけか。著者の学識には敬意をもちながらも、この指南にはがっかりした。出版の四半世紀のちには、たとえば開高健「風に訊け」(集英社文庫)がでているが、あまりこの本から逸脱するところはない。変わったのは若者は高校を創業すると進学や就職で地元を離れることが多く、見知らぬ土地で見知らぬ人と暮らすようになり、彼らの仲間にはいるハードルが高くなって、どうやってコミュニケーションをとればいいのか、あるいは他人の過剰な介入にどう対応すればよいのかという問題がでてくる。そのような共同体やコミュニケーションの在り方が変わっても、指南する「人とつき合う法」はあまり変わっていない。
 21世紀でも「人とつき合う法」のさまざまな改変版はでているようだが、さて、弱者や外国人とどう付き合うかや、社会の不正や悪にどう対応するかは書かれているのだろうか。自治体が多文化共生のキャンペーンを貼らなければならないところを見ると、お寒い状況ではないかと思う。

 2020年3月復刊。