odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

フィリップ・K・ディック「逆まわりの世界」(ハヤカワ文庫)

 1986年6月ホバート位相が始まった。エントロピーが低いほうにながれ、生理的な時間が逆転する。毎朝、食事を吐き(なのでフードは四文字言葉)、吸殻が新品になり、それらをパッケージに詰め直す。電話にでるときは「さよなら」で、切るときは「ハロー」。死者は墓場でよみがえり(老生者と呼ばれる)、次第に若くなって、最後は保育器に入る。このとき必ずしも以前(とは何か)と同じパートナーや親を持つ必要はない。保育所にいった女性は好きに自分の子宮に入れる赤ん坊を選んでもよい。そういうグローイング・ダウンが進行している社会。なので社会には一度死んで蘇生した老生者と一度も死んだことのない人間がいる。老生者であっても、子宮に戻れるとは限らない。途中で死ぬことがある(彼に二度目の老生があるかどうかは不明。火星ではホバート位相効果は弱まっている。理由不明。厳密さにこだわってはいけない。これはハードSFではないのだ)。

 これまでのシステムは解体しつつあり、アメリカは3つの国(西アメリカ、自由ニグロ共同体)に別れる。重要な職務は時間の逆転によって、文化や資産をなくすこと。著者は論文や本を図書館に持ち込んで廃棄するように頼む。もしどこかに隠匿されていれば、秘密図書館が襲撃して強制的に廃棄。いずれベートーヴェンが甦り、作曲した楽譜を廃棄するように図書館に持ち込むだろう(そういう諦めや無力感が漂っている)。大きな力を持っているのは、ユーディ教。黒人指導者の下に絶大な信者がいて、全国を行脚。厳格誘発剤を飲んで、グループマインドを体験することが重要。たぶん国家や社会規範を無視したり徴発する態度をとるので、弾圧したいと思っているが、組織が巨大なので手出しできない。
 1966-7年と思われるころ。ユーディ教の教祖トーマス・ピーク師が蘇生する時期になってきた。彼の影響力を取り込みたい、あるいはなくしたい組織がピークを獲得したいと暗躍する(墓から蘇生する老生者の面倒を見るバイタリュウム会社が老生者を所有する。それを組織や個人が購入するのだ。ロックの精神が肉体を所有するという仕組みが解体している。通常は墓から助けを求めなければ墓を開けてはならないが、ピークの存在は重要だったので、バイタリュウム商会をもつセバスチャン(彼は老生者)は法を破って先に掘り出してしまう。彼にユーディ教、ユダヤ教が購入を申し込み、図書館は奪取して人知れず暗殺することをもくろんでいる。
 主人公はセバスチャン。最近の老生者で今40代。若い妻が自分から離れようとしているのが気になる(なにしろ十年もすれば彼女は子供になり、保育所にいってしまう。そのとき自身は中年になったばかり。将来(とはなにか)の喪失と現在の嫉妬がないまぜになっている。そのうえ彼女の身勝手に傷つけられてもいる)ピーク師を掘りだした時には一攫千金の夢があったが、ユーディ教と図書館(その背後の消去局)の確執は深く、手玉に取られたあげく、ピーク師は図書館が拉致監禁する。そのうえ妻は警官と不倫をおこしたうえ、図書館に捕らえらる。そこでセバスチャンはユーディ教などの支援を得て、図書館からピーク師と、あわよくば妻の救出に乗り出す。
 おっ、PKD、書き方を変えた、と思ったのは3つある。ひとつは社会や世界の全体像を示すことをやめたこと。アメリカが3つに分かれているとか、だれが大統領や主席になっているとかは一切説明されない。権力ゲームが誰やどういうグループで行われているかも書かれない。これまでの長編にあった社会や世界の構図を把握している人物は小説の中にひとりもいない。つぎには、脱出することができない。厳しい管理社会、抑圧の共同体から抜け出ようとするとき、火星や金星やガニメデ星などの法や国家が追いかけてこない場所があった。そこは貧困と厳しい労働のある場所でもあるのだが、それでも希望はあった。しかしこの作品ではそのような脱出の道がふさがれている。そこに行く手段が限られていることと、主人公がそれを望まないこと。三つ目には、愛する人やいとおしいものは失われること。セバスチャンの周囲には二人の女性がいる。いずれからも愛されつつ憎まれている。どちらにもいい顔をしたいと思いつつ、彼のもとから女性は(なかば強制的に)去る。残るのは失望。このモチーフが強くでるようになった(執筆時には妻との関係が悪化していて、PKDは大変だったらしい)。
 ピーク師はユーディ教とユダヤ教と図書館(および消去局)の聖杯のごとき存在。彼をだれが獲得するかにそれぞれ血眼になるが、それによって世界が劇的に変化することは予想されない。ひとりの存在や選択や権限で世界が変わるほど簡単な社会ではなくなったのだ。老成したピーク師もそれを自覚していて、「死」の体験(というような体験であるのか)を言葉で伝達しようとする。超越者からのメッセージはどういうものかというのはこの小説のテーマ(なので章のはじめにトマス・アクィナスアウグスティヌスやエリウゲナの引用が置かれる。困ったのはピーク師の言葉をまとめた書物ができるらしく、そこには上記の教父の言葉が引用されているという。ということはこの「逆回りの世界」という小説は実はピーク師の言行録になる? テキストの地と図の反転、入れ子構造が突如現れる)。おびただしい言葉が彼の口からもれたが、セバスチャンは聞き漏らす。この超越者の言葉と記紀漏らさず記録しようという試みがのちの「ヴァリス」になるのかしら。
(ついでに言うと、上記のようにピーク師は聖杯のような存在であるのだが、彼自身は自分のグループマインド体験を伝えることで、現世で不安を持っている人たちを救うことができると考えている。でもピーク師は自分自身を救うことができない。図書館の拉致監禁から抜ける能力をもっていない(ここがパーマー・エルドリッチと違うところ)。傍から見ると、「救済が必要な救済者」。すなわちパルジファルワーグナーと同じ存在。ここものちの「ヴァリス」で繰り返される。)
 もう一つ別の点で変わったのは。小説で描かれるのが短期間のできごとであること。これまでは数か月から数年の時間が経過するものだったが、この小説では数日。これまではひとつの章で独立した話になっていたが、ここでは複数の章を使って一つの短時間のできごとを書く。PKDが書いてきた主流小説のやりかたがSFにも入ってくる。かつての冒険アクションやスペースオペラ風の破天荒な(行き当たりばったりの)書き方を抑えて描写を重視するようになった。その分、人物のリアリティが増している。あと、1965年のカリフォルニア・ワッツ暴動によく似た路上の騒乱が書かれる。文化や青年の意識の転換も反映されるようになった。
 SMLA受理日不明、1965年末と推測されるらしい、1967年出版。個人的な記憶を書けば、最初に読んだPKDの長編。映画「ブレードランナー」や「ヴァリス」の評判が聞こえだした1984年のとき。そのときはさっぱり良さが分からなかった。でも今回の再読では、びっくり。これは素晴らしい佳作。希望や救いのない暗い話だが、それに惑わされるのはもったいない。

  

 短編版の「逆回りの世界」も読んでください。
フィリップ・K・ディック「模造記憶」(新潮文庫)