odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フィリップ・K・ディック「悪夢機械」(新潮文庫)「訪問者」 「超能力世界」「少数報告」

 1987年に訳者の朝倉久志が編集した短編集。それまでにでていた8冊の短編集と重複しない作品を選んだという。

「訪問者」 Planet for Transients 1953.10-11 ・・・ 核戦争から300年。地球は放射能に汚染され、ミュータントが生きている。地下に逃れた人間のひとりが斥候になって、他の人間がいないか調査する。ヘルメットと防護服を着こんだ人間がいまは新しい環境の「訪問者」で、今度からはミュータントにお伺いを立てないとここに来ることはできないかも。この認識(アメリカからするとコペルニクス的転換だ!)が1953年にあるなんて。奇跡的な傑作。あと作中に「グノーシス」の文字が。このころから興味があったんだね。冒頭の一部は「怒りの神」に転用されたという。

「調整班」 Adjustment Team 1954.09-10 ・・・ 召喚係と書記の手違いでそのビルの「脱力」「改変」に男は間に合わなかった。そのために長い白衣の男たちの作業をみてしまう。それによる未来の改変に重大な支障が起きてしまう。こういう世界の調節者たちの物語より、「脱力」「改変」中の現実崩壊がリアリスティック。皮膚と視覚の感覚が壊れていって、自分一人しかいないことに気が付く恐怖。

「スパイはだれだ」 Shell Game 1954.09 ・・・ ガニメデから近くの小惑星か、テラの攻撃に怯える小集団。見えない敵が相手で、疑心暗鬼にとらわれている。そのうちに全員がパラノイアであると思う状況になって・・・。彼らの子孫が「アルファ系衛星の氏族たち」なるのだろうな。

「超能力世界」 A World of Talent 1954.10 ・・・ その植民惑星ではテラの同化圧力に抗するために、超能力者を養成していた。超能力のないものは子供をどうにかして能力開発組に入れたいと願う。ある種の階層ができて、超能力者が優遇される社会ができているから。プレコグのカートは、超能力者の能力を無効にする反能力者を見つけ、第4のカテゴリーとして養育することを提案する。それは超能力者の反感を呼び出す。カートの自閉症児ティムの変容が世界を変える。まあ、読者の現実世界では能力を欠損しているものが差別されるが、この小説では能力のあるものが差別されるというややこしい事態になっている。そこに注目してもよいが、中年カートのどんずまりのゆきずまりを解決するのが、ティーンエイジの少女というのはPKDの夢や希望であったのだろうね(実現するたびにPKDは苦労をしょい込むことになったようだが)。

「新世代」 Progeny 1954.11 ・・・ 幼児は出産したときから親との同居、接触はできなくなり、ロボットの管理で養育され、最適な進路を選択できるようになる。したがって親は子供が9歳になったときにようやく90分面会できる。ハクスリー「すばらしい新世界」で起きた「父と子」@ツルゲーネフのニューバージョン。

「輪廻の車」 The Turning Wheel 1954 ・・・ 宿命的世界観の宗教が世界(地球および植民衛星)をおおっているとき(中国が世界制覇したため)、辺境の惑星に導師が派遣された。白人がカーストの最底辺で、上位にインディオ(ママ)やポリネシアンがいるという階級社会。導師は出発前に自分の死と転生先を見て怯えている。惑星の白人は治水や教育で社会を変えようとしていたが、それは宗教に反する行為だった。捕らえられた導師に対する和解案。白人のティンカー教が19世紀フロンティアスピリットで対抗。東洋思想と西洋思想のせめぎあい。というような思想的対立をテンション高く描いていたのが、最後の一行が爆笑に変わる。後の「高い城の男」の前駆。

「少数報告」 The Minority Report 1956.01 ・・・ 犯罪予防局は3人の予知能力者(プレコグ)の報告をもとに、犯罪予備者を事前拘束して収容することにして犯罪を99.8%減少することに成功していた。都筑道夫「未来警察殺人課」は完全自動化なので、ちょっと違う。警察長官アンダートンは部下ウイットレーにシステムの説明中、次の殺人予備者が自分であると書かれたカードを見つける。カードを握りつぶし、植民惑星に逃げようとするが、未来の被害者(同盟軍の将軍)に拘束される。警察もアンダートンを探している。アンダートンは潔白を証明するために、自分が犯罪予備者ではないとする少数報告を見つけ出そうとする。プレコグの幻視する未来は改変しがたいとされるが、いかにして確定した未来を変えるか(しかもプレコグの幻視が常に正しいという前提をくずさずに)というとても困難な完全犯罪(ん?)を達成しようとする試み。トリッキーでスリリング。2002年に「マイノリティ・リポート」のタイトルで映画化された。ずたずたにされた地上波放送でみたのでストーリーもよくわからなかったが、原作からはかなり遠いものになったようだ。戦争、植民地惑星などがなくなり、監視社会にフォーカスしていた。そこはPKDらしくない。

「くずれてしまえ」 Pay for the Printer 1956.10 ・・・ その植民惑星では異星動物ビルトングがオリジナルとコピーして、人々はそれを使っていた。長い年月が経ち、ビルトングが死のうとしている。同時にコピーも黒い灰になってしまう。コロニーの滅亡。PKDはこのあと人類の再生を描いているが、コロニーの滅亡とそれによるトラブルと人々の無気力はこの国の21世紀なかばに直面することだと思うと、ぞっとする。

「出口はどこかへの入口」 The Exit Door Leads In 1979 ・・・ しがないサラリーマンが2兆分の1の確率で軍の大学に進学できることになった。その大学は「パンサーエンジン」のことだけは決して教えない大学。サラリーマンはなぜかソクラテス以前の哲学を専攻することになるが、なんと「パンサーエンジン」の機密情報にアクセスしてしまった。どうすべきか。なるで萩尾望都11人いる!」のようなややこしい仕掛け。忠誠とかレジスタンスとか社会的正義とか、そんな観念に思いをはせて、自分ならどう選択するかを考える、いい答えは出てこないけど。

「凍った旅」 Frozen Journey 1980.12 ・・・ 植民惑星への数十年かかる旅の途中、ひとりの乗客が冷凍睡眠から覚めた。もう一度眠らせることができない。といって船にはなにもない。そこで彼の記憶を呼び起こして、楽しいことを思い出させることにした。でも、その旅人はどんな楽しい思い出も自己処罰に変えてしまう。船のコンピュータは自分も気が狂うかもしれないと思いながら、彼の心理的トラップを破る方法を考える。ああ、この自己処罰の傾向はよくわかる。

 昔からのPKDの短編紹介者には、仁賀克雄さんと朝倉久志さんがいて、前者はトリッキーなものアイデアに優れているものに注目し、後者はこの短編集のようにテーマや社会的な問題に注目する。この違いが面白い。同時に、似たような設定を使っていろんな短編を量産したPKDもすごいと思う。