ポール・ウィリアムズ編「フィリップ・K・ディックの世界」(ペヨトル工房)とこの文庫の注によると、前半部が1964年8月26日SMLA受理、1966年出版。ただし商業的な理由で三万語を削除した版。後半部は1965年5月5日に日SMLA受理。脱落した部分を元に戻して再出版するつもりだったが、3か所の欠落があった。PKDは書き直すことを目指していたが、死去により未完成。1983年に空白部をそのままにした版が出版された(それがサンリオSF文庫版)。そのあとイギリスで「Lies, Inc.」で1984年に出版され、「ライズ民間警察機構―テレポートされざる者・完全版」 (創元SF文庫)として邦訳された。
PKDはこの小説についてこういっている。
「うしろ半分は出版されなかった。(別の出版社が)出したいといってきたが、書き直しを頼まれた。前半分と後ろ半分がぜんぜん合っていないんだ。後ろ半分のほうが出版されたやつ(1966年)よりずっといい。想像力にあふれていて、ラディカルで。つまり、えらく実験的なんだ。しかし、このふたつを一本にまとめ直すことはできなかった。もうアクション冒険ものには戻れなくなっていたんだ。で、何年もほったらかしになっている(「去年を待ちながら」P409」インタビューは1981-82年。
ああ、なるほど。そんな事情があったのか。たしかに、PKDの長編にはストーリーがぐちゃぐちゃになってしまったものが多いが、今まで執筆順に呼んできた中ではとりわけひどい。最初にエース・ブックスで出たとき(1966年)に後半部を削除することになったのもよくわかる。
とりあえずサマリーをつくってみるか。人口過剰になった地球は24光年先のフォーマルハウト系第9惑星「鯨の口」に植民を開始。天才科学者によるテレポーテーション装置が働いて、瞬時に行けるのだ。しかし奇妙なことに、「鯨の口」に行ったものは一人も帰ってこない。装置の問題であるのではないかと、この装置のために破産した輸送会社の後継者ラクマエル・ベン・アップルボームは輸送船で18年かけてフォーマルハウトに行くことを決意。その計画を支援するのは「ライズ民間警察機構」、一方テレポーテーション装置と人工冬眠装置を独占するTHL社はこの計画の邪魔をする。裏をかいて出発したものの、すぐにとらえられる。ライズ社はテレポーテーション装置を使って、社員の警官2000人を「鯨の口」に送り、クーデターを起こすことを計画している。先に行ったライズ社社長はその場で殺され、同行したラクマエルの妻は逃げ回る。妻の助けにラクマエルもテレポーテーション装置で「鯨の口」に行くことにする。
まあここまでは冒険アクションSF。鯨の口に到着したラクマエルはTHL社の関係者によってLSDを投与される。そこから悪夢のトリップがえんえん30ページ。一瞬が百万年になるような「意識の拡大」体験(「暗闇のスキャナー」の前駆)。LSD治療者のグループ治療がやはり30ページ。パラワールドに彷徨いこんだ体験の語り(「虚空の眼」の経験を「アルファ系衛星の氏族たち」のように語る)。なんじゃこりゃ。
そのあとは、THL社の側のクーデター阻止とラクマエルの妻の冒険。THL社のトップだかフォーマルハウトの施政者だかが、昔から地球侵略のために潜入していた水生頭足類(これはラクマエルのLSDトリップ中のイメージにでてきたもの)であり、シミュラクラであって爆発して歯車などを散乱させたり、ブラッド博士著「フォーマルハウトの経済」には読み手の過去と未来が書かれていてその通りに物事が起きたり、混乱のきわみ。なぜか妻の後を追ったラクマエルが人工冬眠装置を入手し、輸送船に乗ることで、唐突に小説は終わる。
なるほど、見せかけと真実が異なるとか、民主主義に見える社会が監視社会で警察国家で収容所国家であるとか、読み取ることはありそうだし、LSDトリップの迫真性のある描写とか、奇妙なガジェット(借金取立て用ジェットバルーン、生きている本、新聞販売マシン)など、読みでのありそうなところもまあある。でもねえ、これだけなかみがとっちらかると、これはきつい。