odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

フィリップ・K・ディック「模造記憶」(新潮文庫)

 1989年に訳者の朝倉久志が編集した短編集。それまでにでていた8冊の短編集と重複しない作品を選んだという。

「想起装置」 Recall Mechanism 1959.07 ・・・ 戦災救済課という役人が精神分析医に相談。高いところから落ちる夢を見て怖いと思う。トラウマのせいだということで、語らせたら意外な「過去」をしゃべりだした。核戦争後の社会とプレコグを合わせたアイデア小説。

「不屈の蛙」 The Indefatigable Frog 1953.07 ・・・ 「ウォー・ゲーム」(朝日ソノラマ文庫)所収。

「あんな目はごめんだ」 The Eyes Have It 1953 ・・・ 異生物の侵略の証拠を発見したといきり立つ男のモノローグ。言葉の多義性を理解しないとメタファーがわからなくなるとか、当たり前の文章が溶解して変形して読者を襲うものになる。

「この卑しい地上に」 Upon the Dull Earth 1954.11 ・・・ 思春期の少女が<むこう>に憧れて、儀式を繰り返すと、まだ先のことなのに、連れていかれた。とりもどそうとして少年は<むこう>に話しかける。少女を返してくれ。でも中間痴態は危険だから。それでも。少女は戻ってきたが・・・ オルフェウス神話の変形。映画「マトリックス」のプログラム・スミスのような遍在。優れたファンタジー

「ぶざまなオルフェウス」 Orpheus with Clay Feet 1964? ・・・ 仕事に疲れた男は時間旅行サービス会社にいって、過去の偉人に霊感を授ける旅行をすることにする(なので「オルフェウス」)。彼は20世紀半ばのSF作家、ジャック・ダウランドを選んだ。この小説はジャック・ダウランド名義で発表され、作中では、ジャック・ダウランドフィリップ・K・ディックというペンネームで「ぶざまなオルフェウス」という短編を書いたことになっている。テキストによる不思議なメビウスの輪がつくられる。同時期の「アルファ系衛星の氏族たち」「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」「ザップガン」「最後から二番目の真実」と地続きの世界。「高い城の男」を書いたときのナチス研究が反映されている。

「囚われのマーケット」 Captive Market 1955.04 ・・・ 田舎町のさびれたストア。毎週土曜になると店主のばあさんはピックアップトラックに乗ってどこかへ出かけていく。誰も連れて行かないその行商の行き先。ばあさんはプレコグなのか、それとも「廃墟」の世界をつかさどる神ような存在なのか。そうすると「虚空の眼」や「死の迷宮」のように思えるね。

「欠陥ビーバー」 Cadbury, the Beaver Who Lacked 1971.12頃 ・・・ 支配欲の強い妻に飽き飽きしているキャドベリーは精神分析医にかかっても、適当にあしらわれるだけ。空き缶に手紙をいれて川に流すと、過去に発狂した女性が会いたいと言ってきた。彼女は、アジア系の娘、母親のような娘、はすっぱな娘に分裂して、キャドベリーを翻弄する。PKDの小説に出てくる女性は、なるほどこの三人の娘(プラス妻)なのだな。

「ミスター・コンピューターが木から落ちた日」 The Day Mr.Computer Fell Out of its Tree 1977 ・・・ 地上の人が精神病になったので、コンピューターに管理させたら、今度は精神症的な指令を大量に受け取って、コンピューターが精神病になってしまった。コンピューターの治療のために、分析医とレコード店員が呼ばれた。AIをネットにつなげたら、大量のヘイトスピーチフェイクニュースにさらされて、AIがネトウヨになったという事件があったな(2016年)
Ai、人類の反撃に敗れる(?)学習型AIボット「Tay」が差別語など覚えネット公開停止…その反響 - Togetter

「逃避シンドローム」 Retreat Syndrome 1965.01 ・・・ ガニメデの反乱(独立)計画が妻から漏れてしまったので、妻を殺した男。地球で精神治療を受けているが、妻は生きているのではないかと疑惑にかられる。現在の治療医の裏をかき、妻に会い、過去の記録を調べ直す。それは男の幻覚であると指摘され、実際そのような証拠がたくさんある。治療医に相談し、妻に会おうとし・・・。PKD版「ドグラ・マグラ」。正気と幻覚の境はあいまいで、現実は無数の解釈が可能であり、何事かと決定してもすぐに反証がでてきて、つまりは俺ははめられているのか現実にいるのかわからなくなり・・・

「逆まわりの世界」 Your Appointment Will Be Yesterday 1966.08 ・・・ 同タイトルの長編より前(とはいったい時間流の逆行現象の起きている世界では何か?)の話。ホバート位相を発見する論文を消去局が処理するのだが、その処理によってホバート位相がなくなるのではないか。そういう期待や希望のほら話。
フィリップ・K・ディック「逆まわりの世界」(ハヤカワ文庫) 1967年

「追憶売ります」 We Can Remember It for You Wholesale 1966.04 ・・・ 冴えない内気な男がリコール株式会社に火星に秘密捜査員として潜入するという二週間の代理体験の記憶を埋め込むように申し込んだ。こういう記憶の人工的な挿入が本当の旅行の代わりとして流行っていたのだ。でも、その処置はその男が「ほんとう」に秘密捜査員で異星の侵略を阻止する任務に就いていることを思い出させてしまった。世界の安定が損なわれる、ということで男は警察に追われる身になった。リアルとファンタジーの境があいまいになるのと、ちっぽけな個人が世界の帰趨を決する重要人物になるというPKDのお得意のテーマ。のちに映画「トータル・リコール」になった。自分は未見なので、映画の感想はなし。

「不思議な死の記憶」 Strange Memories of Death 1980夏 ・・・ 巨大アパートに住む男のモノローグ。近くの「リゾール女が出ていくのか残るのかが気になり、論理的な推論を重ねる。解説者はヴォネガットとの類似を言うが、自分はバラードの「ヴァーミリオン・サン」のシリーズのような味わいを感じる。晩年のころ(といっても50代前半)の作で、語り手の肉体が感じられない。認識マシーンと化した自閉的な思念。


 短編ではテーマがひとつに絞られるので、長編のような錯綜した混乱やカオスを感じることはない。その分、わかりやすい。一方、(うまくいった)長編のような複数のテーマがからみあって世界の虚実を浮かび上がる快感には至らない。
 さて、どっちがよいのか。というか、どっちも読めよ、か。
 「逆まわりの世界」は短編、長編を両方読んで、短編のアイデアをいかに拡大していったかを考えるべし。論理的な整合性を立てようとするとすぐに挫折するアイデアをよくもまあ、あれほどの長さに引き延ばせたものだと、PKDに感嘆する。