「垂里家の長女・冴子、当年とって33歳、未婚。美しく聡明、なおかつ控えめな彼女に縁談が持ち込まれるたびに、起る事件。冴子は、事件を解決するが、縁談は、流れてしまう……。見合いはすれども、嫁には行かぬ、数奇な冴子の運命と奇妙な事件たち」
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お見合いを何度も繰り返すのは、相手に理由があるからで、冴子には責任はない。そこは強調しておこう。女性に結婚しろとしつこく要求するのはハラスメントなので。
春の章 十三回目の不吉なお見合い ・・・ 見合い相手がホテルのロビーで、別の客(アベック)と喧嘩した。気になったので、相手のマンションにいったら全裸の絞殺死体になっていた。眉が剃られている。服はない。この不可解な状況をどう解くか。合理的な説明なのだが、21世紀には気分がよくない。そういう抑圧が日常茶飯事であったということで。生き延びたものの平安よりまえに、被害者の解放が必要。事件の趣向は都筑道夫「退職刑事」にでてくるよう。
夏の章 海に消ゆ ・・・ ホテルで見合いをすることになった自衛官。ふと席を立つと、消えてしまった。過去の新聞を調べると、見合い相手は5年前に海難事故で死亡していた。幽霊と見合いしたの? チェスタトン「見えない人間」の変奏。細かな工夫はやはり都筑道夫風。
秋の章 空美の改心 ・・・ 空美(冴子の妹)が見合いをすることになる、ベストセラー本を読んで予習。ちぐはぐな見合いの懐石料理のあと、甘未をとっているところで相手の会社の御曹司が腹痛を訴える。翌日、御曹司とその父(会社社長)が相次いでなくなる。
冬の章 冴子の運命 ・・・ 見合い相手は新進作家。文学談義で盛り上がったが、別れ際に「あなたを死なせるかもしれない」と謎めかす。その真意はどこにあるか。
舞台は観音市であって、「日本殺人事件」の舞台と同一。本書には続編があるらしく、そこでは「日本殺人事件」の主人公の探偵と見合いする話もあるらしい。確認しないのは、後述のように続きを読むつもりがないので。
シリーズ探偵が事件にかかわる理由を合理的に説明するのはむずかしい。職業警官や私立探偵、記者でないキャラクターが犯罪に何度もかかわるのは不自然。たいていは説明なしに済ますのだが、自然であるような設定をすることがあり、たとえばレストランの執事であったり、喫茶店のマスターであったり、セックスワーカーであったり、問題を抱えた人がやってくる仕掛けがある。そこに「見合い」を入れたのが、きわめて日本的であるが、慧眼であった。もちろん何度も死体を現出させるわけにはいかないので、もっとささやかな謎であったり犯罪性のないものであったりする。そこはこの趣向にこだわった都筑道夫の諸作(「もどき」や「泡姫」「コーコ」シリーズなど)を思い出す。伏線の張り方や回収のしかたも都筑の作を思い出させるような周到さ。
でも、気分が悪くなるのは、1996年初出時の社会状況や男の意識が駄目なこと。上で指摘したように女性に結婚しろとしつこく聞くのはハラスメント(なので、俺は小津安二郎のほとんどすべての映画を楽しめない。あれは中年男が女性にマリッジハラスメントする話なのだ)。ほかにも、冴子の妹・空美が着物を着るとき、身長が高く手足が長く肩幅の広い日本人には珍しい体形であることから「交換留学生の盆踊り」と比喩することも。ほかにも、LGBTへの無理解、精神障碍者に対する偏見も書かれている。
ミステリーとしては水準以上なのに、これでは受け入れがたい。見合いというシステムはハラスメントではないが、その周辺の書きようがダメなんだ。作者あとがきによると本書は「アンプラグド・コンサートのような作品」で「誰でも親しめるようなオーソドックスな名探偵もの」だということだが、「ミステリーの限界」に挑むような緊張感をなくすと、こうやって日本人の男というマジョリティの偏見や無神経さが如実に表れるのか、とがっかりした。