関楠生「わんぱくジョーク」(河出文庫)やポケットジョーク「1.禁断のユーモア」(角川文庫)がネーション―ステートを持っている側の笑いであるとすると、こちらのジョーク集はネーション―ステートを持たない側の笑い(強者の笑いはアレン・スミス「いたずらの天才」(文春文庫) )。
ローマ時代に自治区を破壊されたあと、世界中に離散しながらも、共同体を維持してネーション意識を持っている人々。その代りに、どの時代のどの場所でも差別を受けてきた。ユダヤ人の歴史や意識を解説することなどできないので、それは本書の解説に簡単に書いてあるので見ておくとよい。
ネーション意識を持っているとはいいながら、場所によってありかたは千差万別。ここに集められたのは東欧周辺のもの。他の土地の人々よりも共同体を残していて、集住していたので、このような笑い話・ジョークを好んでしゃべったのだろう。通常、語られて消える笑い話が翻訳紹介された(1975年)のは、この地域出身の研究者が採集して出版したため(同じ文庫には、同じ編者と訳者による「新編 ユダヤ笑話集」1978年が出ている。
ユダヤの人々はぞれぞれの土地で差別を受け、土地を持つことを許されなかった。なので、生産(農業や工業)につくことができず、商人や知的職業(医師や弁護士など)につくことが多かった。それがまたやっかみを生み、現在にも残るような陰謀論やデマの標的になっている。過去にもそれらはあって、正面から対応・反撃することが難しいときには、このような笑い話で憂さを晴らすことになった。ことに、本書で一章を割かれているナチス・ジョークは批評の切れ味と辛辣さにおいて第一級のもの(比肩できるのは、スターリン時代のソ連のアネクドート)。
このあたりは本書からでも垣間見えること。商売や結婚では契約が重視される(ほかの共同体との間で「交通」するから、契約を交わすことは必須)。共同体の内部では、宗教の戒律の厳しさがあり、他の宗教(ことにキリスト教)から宗教問答を持ちかけられるので、差異と協調を伝えることになる。差別に対しては、自らを道化にしたり、抵抗や反逆をしめすことになり、反ユダヤ主義の悪意には機知で切り返す。
この国の笑い話にはないところなので、貴重で、読むと新鮮(というか再読に耐えるジョーク本の数少ない一冊)。
ただし、WWII以後、イスラエルを建国してからは、この笑いは消える。著者はユダヤジョークは死んだと書く。強力な支援(政治的、財政的)があって、周辺諸国や民族を圧倒する軍事力をもち、殺戮を躊躇なく行う国家からは抵抗と自嘲のジョークは一掃された。