odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

日本戦没学生記念会「きけわだつみのこえ 第1集」(光文社) エリート出身の戦没学生の手記。非エリートの勤労者や農民兵士は見えなくされた。

 1949年昭和24年に東大協同組合出版部が刊行したもの。そのまえに東大生のみの戦没学生の手記「はるかなる山河に」を出版していて、それを母体にして、ほかの全国の大学高等専門学校出身者の遺稿を集めた。集まったもののうち、75名分をこの題名で出版した。
 これが出版されたときに、二つの批判があった。ひとつは、戦没学生の遺稿を集めたということ(もとが東大生のみというのもおおきい)。すなわち戦没者は学生だけではなく、勤労者・農民など広範な職業から生まれているのであるが、なぜ「学生」だけであるのか、そこに特権意識はないかというもの。もうひとつは、遺稿から「かなり過激な日本精神主義的な、あるときには戦争謳歌にも近いような短文」が出版社他の意見で削除されたこと。そのような文章を書かせた背景まで理解するためには、また若い者たちの叫び声の痛ましさを聞くべきであるというもの。前者の批判に対応するために、勤労者や農民兵士の遺稿も別タイトルで出版されたと記憶する。「戦没農民兵士の手紙 」(岩波新書)が手軽に入手できる。他の例は知らない。後者については、そのとおりで18-30歳までの若者が当時どのような思索をしたのか、どのような語彙で表現しようとしたのかを知るためには、プライバシーにかかわらない範囲で公開してもよいと思う。医学生で動員された経験を持つ柴谷篤弘が、敗戦が濃厚になったときに来るべきこの国のあり方を兵士間で議論したが、その時の語彙には軍国教育で教えられたものしかなかった。民主主義のことばやまして共産主義の言葉はなかった、ということを書いている(「私にとって科学批判とは何か」(サイエンスハウス)の「私にとって『神聖喜劇』とは何か」)。彼らの思想がどういうところから生まれたかを知るのに、手記や追走など体験者の記録は重要。

 さて、ここには手紙、手帳、遺書、本の書き込みなどから文章が選ばれている。必ずしも他人が読むことを意図していなかったし、検閲によって廃棄される可能性のある中で書かれたもので時に遠慮もあるし、若者らしい生硬な概念をつづったものもあるし、中二病とでもいってよい妄想じみた書き込みもあったりで、なかなか読むのが辛い。それでもここに痛々しさ、精神の苦しみが反響していて、読者を苦しくさせる。
 それは、死の可能性を目前にしていること。特攻隊員として出撃直前に書かれたり、孤島に置き去りにされて餓死直前に書かれていたり、B・C級軍事裁判の被告として満足な陳述・弁護を受けられないまま死刑判決をうけ執行直前に書かれたりしたものがある。それらの切迫した緊張した文章は、ときに、サルトル「壁」なぞよりはるかに迫真的であった。
 もうひとつは、軍隊組織の下級幹部や一般兵士として上官他の軍隊の暴力にさらされていること。「精神教育」と称したいじめ・体罰(というなまやさしいものではない)を目撃し、受け、ときに執行する。そして上官の理不尽さに恐怖すること、検閲などの監視の中で鬱屈していくこと。暴力をふるうことに恐れをなす心が、しだいにスポイルされて暴力的になること。軍隊組織のだめなところが、彼らに全部集まっていることに怖気をふるう。なにしろ、インサイダーになれば気楽になれるのはこの国の属性だから、古参兵士にとって暴力をふるうことは心地よく、上級幹部になれば妾を囲い連日泥酔できる特権を得られるのだ。その特権者は、新兵に軍隊の矛盾を押し付けた。
 さらに、こうやって動員された「純真」な青年たちが戦地に赴いた時、暴力を戦場と赴任先で働いたことも読書を陰鬱にさせる。彼らも「帝国軍」の末端として、住民や徴発された現地人に無理強いをし、資産を強奪し、ときに死を命じたりもしたのだった。石野径一郎「ひめゆりの塔」(旺文社文庫)にそういう将兵が登場する。
 東大、京大、慶応大、法政大などの名だたる有名校の出身者。戦地や軍隊においても勉学の意図を持ち続けたことも感銘をうける。それだけに、彼らが18-30歳の若さで亡くなったのが惜しい。彼らが生きて、この国の復興に参加していれば、どれほどよかったことかと思う。自分の思い込みを押し付ける可能性があるだろうが、彼ら若者は勉強し、仕事をし、恋愛をして、結婚し、孫やひ孫に囲まれる生活を願っていただろう。その平凡な生活を奪うことになったこと、そして彼らが戦地の他の人々の平凡な生活を奪ったことを悔やむ。彼らの同世代人は、死んだ戦友や同級生に負い目を感じているのだが、これを読むとすこしは理解できる。生き残った自分と死んだ彼らとを分けたのは偶然でしかなく、もしかしたら死んだ彼らのほうが自分よりも立派な仕事をしたのではないか、彼らではなく自分が死ぬべきではなかったか、というような。
 序を書いた渡辺一夫がジャン・タルジューというフランスの詩人の詩を掲げている。これは引用しなくてはならない。

「死んだ人びとは、還ってこない以上、
 生き残った人々は、何がわかればいい?

 死んだ人びとには、嘆く術もない以上、
 生き残った人びとは、誰のこと、何を、嘆いたらいい?

 死んだ人びとは、もはや黙ってはいられぬ以上、
 生き残った人々は、沈黙をまもるべきなのか?」

          

 この映像もみておきたい。
昭和18年10月21日、東京・明治神宮外苑競技場において文部省学校報国団本部主催の出陣学徒壮行会
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