odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

笠原十九司「増補 南京事件論争史」(平凡社ライブラリ) 東京裁判時からあった「虐殺否定論」への反論。

 1937年12月の南京事件南京大虐殺、南京アトロシティ)は、事件当初から軍の知るところになっていたし、大本営にも伝えられ中止のために参謀などが派遣されたが止められず、現地発の情報は西洋に伝えられていた。現地軍はこのときの資料や記録を敗戦直後に焼却処理したが、東京裁判でさまざまな証言・証拠などが提出され、司令官などが戦争犯罪人として処罰された。のちには、日本・中国その他で資料の収集整理が行われ、おおよその状況が把握できるまでになっている。にもかかわらず、「被害者の人数はもっと少ない」「虐殺はなかった」などの否定論がでている。本書はこのような「論争」の歴史をまとめたもの。かっこ付きの「論争」となるのは、虐殺被害者少数派や否定論者の論拠がいいかげんであいまいでプロパガンダを目的としているもので、学問の論争にはなりえないから(実際、虐殺少数派や否定論者が起こした名誉棄損裁判は敗訴し続けている)。

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 最初の驚きは、東京裁判南京事件を訴因にされた被告の弁護で、すでに否定論の方法ができあがっていること。これはのちの否定論者、虐殺少数派が繰り返し使う詭弁なのでメモしておく。
1.伝聞証拠で直接目撃していない
2.中国兵や中国人が主犯
3.潜伏していた便衣兵・便衣隊を殺害したので不法ではない
4.埋葬資料は信用できない(事件直後に慈善団体や民間団体が死者の埋葬を行い、記録を残していた)
5.当時の南京市の人口は20万人だった(それより多くの殺害者がでるわけがない)
6.市民の殺害はどこの戦争でも発生する
7.略奪ではなく、徴発・調達だった(軍は代価を払っている)
8.組織的な大量の強姦はなかった
9.南京事件は中国政府・国民によるプロパガンダ
10.中国とアメリカがいっしょに情報戦を行った
この詭弁は21世紀のゼロ年代でも継続している。昭和の後半から平成にかけての研究でいずれも否定されている。
(本書を読む前に、北村稔「『南京事件』の探求」(文春新書)を読み始めたが、途中でヘンな論だなあと思って読むのをやめた。本書に批判が載っていて、俺のカンもまんざらではなかった。)
 学問としては否定論や虐殺少数派は否定されているが、学問の外では南京虐殺否定論は繰り返し出てくる。2019年の傾向としては、嫌韓・嫌中や大日本帝国復活をもくろむ論拠として南京事件否定がもちだされることはごく少数。戦時中の性奴隷否定や徴用工・強制連行否定のほうが目立つ。これは研究者の努力やいくつかの裁判で否定論や虐殺少数派が敗訴続きなことが理由なのだろう(著者他の関係者に感謝)。
 しかし21世紀になって、政府与党の自民党が極右化して、15年戦争の責任追及放棄、大日本帝国復活、東アジア諸国への侮蔑を隠さないようになった。1990年代に凋落傾向にあった自民党をカルト宗教が支援し、戦争犯罪人係累が党の中央を占めるようになったのが原因。なので、上の詭弁を繰り返し情報拡散して、集会に人を集めたり、外国のドキュメンタリー映画上映を妨害したりすることが頻繁に起きている(南京事件だけでなく、戦時中の性奴隷や徴用工・強制連行、関東大震災朝鮮人虐殺などにもおよぶ。過去のヘイトクライム否定だけでなく、今生きているマイノリティへのヘイトスピーチも増加し悪質化している)。
 これにどう対抗するかは別エントリーで。ここでは、これらの日本軍や日本政府による悪行が、主に国外で行われて市民の目に見えにくかったこと、敗戦後日本は東アジア諸国と行き来しにくい状況があって情報が入ってきにくかったこと、資料の廃棄や緘口令があって情報や記憶が伝達されにくかったこと、1970年ころから日本政府が戦争犯罪を学ぶ機会を少なくしたこと、などを指摘する。なので、戦争犯罪を積極的に学ぶことと、知った人は積極的に情報を発信していくことが大事。政府与党の政治家(とくにカルト宗教組織に加盟しているもの)を政治にかかわらせないようにすること。
(1990年代になって南京虐殺などの戦争犯罪否定がめだつようになった。ソ連東欧の社会主義諸国の崩壊が主な理由だろうけど(右翼に対抗する強い言論がなくなった)、あわせてポストモダンの安易な相対主義が流行ったことも重要。正義は相対的とか、言論には言論で対抗などが蔓延して、悪を指摘することがなくなった。21世紀の10年代はこういう80年代しぐさが国民意識に浸透定着した時代。これを掃除するのが、俺のような爺さんはその時代に生きてなにもしなかったから、これくらいはしないといけない。)