odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ブライアン・オールディス「兵士は立てり」(サンリオSF文庫)

 ニューウェーブの担い手としての作品ではなく、自伝的なホレイショ・スタブス3部作の第2作。第1作「手で育てられた少年」第3作「突然の目覚め」もサンリオSF文庫で出版されたが、そちらは未入手・未読。なのでこの一作だけを取り上げることになる。
 1971年にイギリスでベストセラーになったこの小説は、ふたつの点で注目。まずは、あからさまな性描写、とりわけ自涜を書いていること。同じ時期に「モンティ・パイソン」が「プルースト要約選手権」なるスケッチ(コント)をつくったとき、グレアム・チャップマンパンチラインの一言が音消しされてしまった。そのことば「マスターベーション」はかの国では人前で語ってはならない忌まわしい言葉なのだ。この国だと、男同士の雑談で話題にできるのとを大きな違い。そこに留意しないと、この小説がセンセーショナルなベストセラーになった理由がわからないだろう。

 さて、1925年生まれのホレイショはアポリネール「若きドン・ジュアンの冒険」のごとき性的冒険を若い時からいくつも経験していた(前作「手で育てられた少年」)。1943年、18歳で通信兵に志願。彼の所属するメンディップス小隊はビルマに派遣されることになった。出発前夜のパーティで若い娘とペッティングし、インドの駐屯地で自由時間になれば娼家にでかけ、ときには町の子供が口で吸わせる。どうにもならないときは、トイレにこもって手淫を欠かさない。同じ部隊の連中とは猥談をし、ポルノ小説を回覧し(バルガス=リョサ「都会と犬ども」でも軍人学校の生徒は自作のポルノ小説を回覧していた、大岡昇平「俘虜記」でも俘虜はポルノ小説と春画を書き貸し出していた)、ピンアップ写真をベッドの周りに飾り立てる。まことに栗の花の匂いが充満しているようなホレイショの青春。男ばかりで異郷の地にあり、日常が制限されている兵隊となると、こういう鬱屈の強いものになるのだなあ。小説は、性のことで頭がいっぱいの男の悪漢小説(ピカレスク・ロマン)として書かれる。
 でも舞台が軍隊というのが小説を異様なものにしている。軍隊の小説というと、飯・女・糞がつきものというのが開高健の説だが、ここでもまったくそう。飯の分配でコックと言い争い、どの女を買うかで取り合いになり、他人と自分の糞の匂いを嗅ぐ。これはどの国の軍隊でも共通か。ただ、この国の軍隊を書いた小説と異なるのは、軍隊内部の暴力がないことだ。古参兵といえど、新人兵をこき使うことはできないし、士官が兵士に無茶を言うことはない。士官と兵士が言葉を交わし、ときに冗談を言い合える関係がイギリスの軍隊にある。それは映画「大脱走」「特攻大作戦」「ナバロンの要塞」あたりのイギリスの戦争映画の描写と一致するので、そうなのであろう。したがって、ホレイショの追想は軍隊内部にはあまりむかわない。インドやビルマの基地周辺の現地の人々に向かう余裕を持っている。この国の軍隊小説が内部の矛盾や抑圧を告発することに向かうのと大きな違いになっている。野間宏「真空地帯」、大岡昇平「俘虜記」あたりを想起しての話だ。
 最後の章は、1944年1月からのコヒマの戦い。この国ではインパール作戦として知られている。この国の兵士が握り飯2個を持たされただけで、標高2000メートル超の山を登り一か月の戦闘を行うことになった場所だ(帰還兵士を祖父にもつ知人の話)。この国では当然、参加したこちら側の情報が多いので、この小説では山の向う側の「敵」の情報を知ることになる。それがこの小説の2番目の注目点。メンディップス小隊は半年の訓練のあと、インパール、コヒマ周辺の日本軍の動きが活発になったので、インド軍といっしょにビルマの山中に向かう。そして日本軍が山脈に築いた塹壕や守備陣地を攻略するべく、2か月間雨季のジャングルにこもる。奇妙なのか、当然なのかはわからないが、その描写はアメリカ歩兵のみたベトナム戦争とそっくりだ。あるいは、順序がぎゃくになるが映画「プラトーン」「ハンバーガー・ヒル」などのジャングル内の攻防戦にそっくりだ。ここでは女は消え、銃弾と死者と死臭の話だけになる。ときに日本兵の斥候と遭遇し、竿の先に爆薬を仕掛け陣地の隙間から差し込んで爆発させたり、迫撃砲で陣地を狙ったり、崖を登って陣地の上から手榴弾をなげたり、接近戦でライフルを打ち合ったり……。仲間と敵の死体の匂いを嗅ぎ、下痢でズボンを濡らし、雨でぐちゃぐちゃになった泥に足をとられ、傷や蛭で血まみれになり。戦闘に入ってからは描写から比喩と思考と感情が消える。機械のマニュアルのように、即物的な描写になる。名詞と動詞だけで書かれた文章。そこにはいっさいの英雄性がなく、卑怯もない。ホレイショは目の前で戦友が捕虜を殺すのをみるし、自分も瀕死の敵兵に銃弾を撃ち込む。逡巡も憎悪もなく、ただ機械的な作業として。そうなると、性は意識に上らない。ペニスにさわっても小さく萎縮し勃起しない。戦闘マシーンにされたとき、性はスポイルされ、生と死の境は不分明。
 補給がなく備蓄が底をついた日本軍が壊滅し撤退した後、ホレイショたちも駐屯地にもどる。そこにはステーキとビールとお茶が待っていた(戦闘中でも熱いスープとお茶が支給されていたのだ)。インパール作戦は日本軍の戦闘指揮者の無能ばかりが取りざたされるが、兵站で差がついていたわけだ。地元民にも支持されないこの国の軍隊では、有能な指揮官がいたとしても勝ち目はあるまい。
 一方、ホレイショたちイギリス軍は日本軍と本格的な戦闘を初めて行った。当初は「無敵の黄色軍隊」の恐れを感じていたが、戦闘を通じてその恐怖が思い込みであることをしる。というか、すでにこの国の軍隊は長い消耗戦で優秀な指揮官と兵員を失っていて、だめな軍隊になっていたわけだが。この戦いはイギリス軍に「無敵の白色軍隊」の自信をつけたが、数年後、同じ東南アジアでその自信を砕かれることになる。それは描かれないけど、この国の読み手はそこまで思いをはせるべし。
 イギリス人の戦中派の回顧として読むとたいして面白くはないが、こちら側の情報を持ったうえで読むと俄然輝いてくる。ただ、われわれの祖父・曾祖父らが死体となって横たわるのを意識しながら読むのはつらいことだ。それも必要なこと。