odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

柄谷行人「探求 II」(講談社)-2

2018/12/06 柄谷行人「探求 II」(講談社)-1 1989年の続き

 

 あとがきによると、「世界宗教をめぐって」が最初に書かれて、そのあと「超越論的動機をめぐって」、続いて「固有名をめぐって」がかかれたとのこと。なるほど具体から抽象にむかったわけだ。

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世界宗教をめぐって
内在性と超越性 ・・・ シャーマン、英雄、天才は異質なものとされるが、共同体に内在的(内部にある)。聖(穢)なるもの、不気味なもの、(好悪、畏怖と恐怖がどうあれ)親密なものは共同体の内部にある。そのような共同体の宗教に対して、世界宗教がある。世界宗教では異者を気にかけない。他者(外在的)を見出す。たとえば、イエス
(これは、最近関心をもっている人種差別に当てはめることができるように思う。外人・移民・難民を排除するレイシストは強い「共同体」主義。異質なものを排除し、同化させようとする。一方、レイシストに対する抗議者・カウンターは外人・移民・難民を他者とみて、交通の可能性を考える。外人・移民・難民は聖なるものでも、不気味なものでもないし、親密になろうとも考えない。たんに他者としていっしょに居ることを要求する。)

ユダヤ的なもの ・・・ フロイトの「人間モーゼと一神教」について。著者自身が小説とした著書だが、「首尾一貫性を持った宗教論」はほかにないとのこと。モーゼを共同体の宗教創始者とみるのではなく、外国人(他者)としてみる。
フロイトがこの本を書いたころに、トーマス・マン「掟」シェーンベルクモーゼとアロン」が書かれていた。後者はいずれも共同体の宗教のことで、フロイトの問題にした「唯一紳がセム族を選んだということの秘密」は無視していた。)

思想の外部性 ・・・ 哲学が孤立した個人の内政から始めること、宗教を孤立した共同体から始めることはまちがいで、不毛。人間は相互依存的で「社会」的であるが、共同体的であるかどうかは疑問。世界宗教は共同体と脱構築する運動。ソクラテス以前の「思想家@ガゼット」はその都市の外国人で、外部的な思考をもっていた。ソフィストと呼ばれる人々。プラトンアテナイ出身者で内部の人、なので、ソフィストを毛嫌い。ソクラテスアテナイの人なのに「思想家@ガゼット」と共同体内部の思考を「対話」でまとめようとした。その行為がアテナイの人から排除されることになった。
(こういう哲学史の読み直しは面白い。

精神分析の他者 ・・・ ポパーフロイト精神分析を「反証可能性」で疑似科学扱いした。ポパー反証可能性は法廷みたいなもの。反証が通じる相手とのやりとり。フロイト精神分析は転移関係の場にもとづく、他者を連れ込む「対話」。ポパー精神分析の運動を批判したが、科学も他者を排除することで成立する運動。フロイト精神分析は感情転移に基づく精神病を対象にしたが、感情転移してこない分裂病は排除した。科学にも精神分析にも境界や分割があり、なぜそれを設定したかが重要。
ポパー反証可能性は狭義の科学でも厳密にはあてはまらないが、ポパー反証可能性とそれがもたらす分割が、以後の(トーマス・クーンに代表される科学哲学の問題を生み出した。ことに共約可能性(通約可能性)は規則を共有しない他者との対話の問題。ポパー反証可能性は対話のなかの非対称的関係を強調。相互承認のような対象関係はないし、反証がでないならば支持者が少数でも科学的真理でありうる。このような対話を承認したものが科学者集団@クーンをつくる。その内部ではポパーの原則が妥当する。それを承認しない集団(他者、パラダイムを共有しない集団)との間では「共約不可能性(通約不可能性)@クーン」が起こる。あと、パラダイムは成功した範例というべきで、明示的規則ではない。問題解決の見本例を提示したので科学者集団が従う。この章を読んだのがクーン「科学革命の構造」を読んだ後なので、この説明はよくわかる。クーンの本本には「見本」という言葉が出てきたのに、自分は反応できなかった。悔しい。)

交通空間 ・・・ 交通(コミュニケーション、交換)の場のメタファーとしての砂漠、海。真理が説得や言語ゲームにするとすると、哲学者や科学者は船乗りや商人である(実際ソフィスト諸子百家は外国人であり、金をとる商人だった)。コミュニケーションの結節点を都市ととらえると、原都市は存在しない(現れ消える)。中国思想の核心にある「道」は交通空間(なるほど、だから宮本武蔵は旅に出たのか)。この対局がシャーマンや農夫。共同体の論理。船乗りや商人が定住すると、共同体の論理に閉じられる。
(便宜的に「マルクス その可能性の中心」から始まる「交通」観念のまとめ。すごく面白い。)

無限と無限定 ・・・ 共同体は内部と外部を分割する。垂直的な分割(あの世が上方や山上にある)は水平的な分割(信じるものとそうでないもの)に転化する。世界宗教はそのような分割を拒絶。それは無限(=他者)の概念をもっているから。無限は果てしないが閉じている。神秘的でない。無限は内部/外部、中心/周縁の分割を無効にする。
(これも便宜的に「マルクス その可能性の中心」から始まる「他者」や「社会」概念のまとめ。すごく面白い。

贈与と交換 ・・・ 交換をふたつにわける。共同体的交換=贈与と、社会的交換=貨幣。後者は交通空間で行われる社会的(多数体系的)で、歴史的なできごと(一回限りで、始まりと終わりを持たない)。共同体は物語的(繰り返され、始まりと終わりを持つ)。交通空間(貨幣によって媒介されたえず再組織される世界的諸関係の網目)の歴史的できごとは、共同体の成立後に物語に改変され、因果を変えられる(多祖一民:権力者を複数の祖が支援する、が一祖多民:権力者が分派して複数の民ができるというような)。おそらく共同体成立以前に交通空間があり、そこで貨幣が成立した。


 中身に論評できることはないので、自分の妄想を。このところ反差別やアンティファシズムの運動に関係している。その運動がこの本の中身にあっているなあと読めた。10年代の反差別の運動やアンティファシズムの運動は
笠井潔/野間易通「3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・SEALDs」(集英社新書)-1
笠井潔/野間易通「3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・SEALDs」(集英社新書)-2
を参考に。
 ここに書かれるアンティファやあざらしのやりかたが「単独者」「交通」「普遍性」「社会」等の観念によくあう。レイシズムのデモや街宣に「カウンター」として、罵倒したり周知アナウンスをしたりチラシやフライヤーを配ったりプラカを掲げたりする人たちがいる。この人は、レイシズムが日本人の問題であり、「この私」の問題として考える。類としての「私」には関心がないので、「カウンター」に関してオルグや組織化を行わない。「この私」がどうするかだけを考えていて、「カウンター」の現場に行っても、周囲の「カウンター」とはユニットを臨機応変に組むが、組織化しない。ときには隣のカウンターと会話しないことさえある(だって、初対面だもの)。しかし共同体の論理で異者(朝鮮人とか沖縄県人とか移民とか難民とか)を排除しようとするレイシストには、会話や対話にならない(すなわちカウンターから見た「外国人」=」=他者)コミュニケーションを試みる(それは罵倒であったり嘲笑であったり叱責であったり)。このような交通=コミュニケーションの場はレイシストのデモや街宣のときだけあり、デモや街宣の終了と同時に消える。レイシストが同じ場所を使えば、不定期に交通空間は現れるが、定期的にも固定的にも現れない。中世の市ですらない。カウンターやアンティファやしばき隊がめざすのは、公正や人権などの普遍的な正義。共同体の要請する善には一切考慮しない。というか、周辺の共同体の「迷惑」でもありうる行為をすることで、公正と人権尊重の正義を実現しようとする。これはカウンターやアンティファが組織化されないように、共同体とは一線を画して、すなわち共同体の間にあるようにして「存在」しているから。川崎や大阪のアンティファの動きを見ると、集住のマイノリティ集団とアクセスしても、同化や再組織化などはいっさい行わない。そういう存在は「社会」的。
(注意するのはアンティファやカウンターがつねに「単独者」としてあるのではなく、カウンターや抗議の現場においては「単独者」としてふるまうということ。仕事や生活にあるときは共同体の一員。あるときだけ、ある目的の活動をしているときだけ、「単独者」が現れ、消える。上のカウンターの現場という交通空間がある時間だけ現れ、消えるのと同じ。)
 たぶん牽強付会にすぎるだろうけど、本書の抽象的な議論も具体に落とすことができそうな一例として書いてみた。書かれたバブル時代から1990年代には、対応する事象はなくて、本書は抽象的と思われていたと思う。でも、10年代にはリアルな議論として読めた。


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