ハーバード大学の政治哲学教授の講義はとても人気があった。30年間の受講生が14000人!を超えたので、映像に収録して放送した。その時の内容に教授が手を入れて、テキストにしたのがこの本。アメリカでもこの国でも盛んに読まれたという。遅ればせながら入手したので通読した。
正しいことをする ・・・ 正義を考えるときに、福祉の最大化、自由の尊重、美徳の涵養の3つの観点がある。いずれをも満足させることは難しい。人によって事態に関与の仕方や利害が違ってくるから。科学や社会の変化が新しい事態を生み、それまでの知識や経験が通用しない場合もある。なので、特定の状況に関する判断と、塾考の上で指示している原則とのあいだの弁証法的相克が必要。
(徳はプラトン、アリストテレスのころから考えられてきたけど、そのころの知恵や判断はそのままでは通用しない。自分が思うには、国家と市場の役割がとても大きくなったため。民主主義が支持されるようになると、少数者や反対者の権利をいかに保証するかも難問になっている。そこではサンデル先生のいうように、現場に行くことと原理原則を考えることを同時になってそれぞれを検証することが大事。もうひとつ。自分個人の判断や性癖、性向などを一般化して、他人に当てはめようとするのは避けなければならない。)
最大幸福原理(功利主義) ・・・ 「正義」を実現するときの便宜的な方法として功利主義がある。共同体(ベンサムによると幻想なのらしいが)の幸福が最大になるような行動や施策をとるのがよい。快楽と苦痛は同じ基準で評価できるというわけだ。これには批判もあって、個人の権利を尊重しないのでは(とくに命に価格をつけるのは行き過ぎ)というのと、異なる快楽や苦痛を図る共通基準手存在するのというもの。
(一方資本主義はあらゆるものやことを商品にして価格をつけている。貧困者が減り、セイフティネットが充実しているような社会では、功利主義的な「勘定の倫理」で事態や状況を判断できるようになる。でも、格差が大きく、命を落としやすい事態や状況になると、とたんに功利主義では対応できなくなる。)
私は私のものか(リバタリアニズム) ・・・ 自由至上主義(リバタリアン)は個人の自由を最大限に尊重し、国家その他の介入を最小限にすることを主張する。政治的主張の特長は、パターなリズムの拒否、道徳的法律の拒否、所得の再分配の拒否である。この主張は、私は私の所有権を持つことにある。でも、その主張をまさに身体に適応した場合、自由至上主義を実現できない。
(私は私の所有権を持つというのは、ジョン・ロック「市民政府論」に由来する。「市民政府論」はとても面白く知的刺激に富む本だが、私は自分の身体を所有するという心身二元論の主張は大いに戸惑った。なるほど、身体の所有権と処分する権利を行使すると、臓器販売や食人の罪を問えないというのは、自由至上主義のジレンマだな。)
雇われ助っ人(市場と道徳) ・・・ 市場のやり取りにも道徳が関係していて、自由と福祉のジレンマがある。それだけの対立で見ると落ちることがあり、自由に対する強制、福祉に対する公益の問題があって、一概に言えない。たとえば、徴兵に対する身代わりや代理出産などでは自由と強制、福祉と公正の問題がヴィヴィッドにあらわれる。
(ポースト「戦争の経済学」では効用とか費用便益分析などで、徴兵制より志願兵制のほうがよいとされるのだが、いっぽうルソー以来の「市民」概念では一般意思を預けた国家に対して負担することは義務であるとされる。最近の代理出産では卵子も提供するのであって、子宮のレンタルかアウトソーシングみたいになっている。出産を他人に預けることの正当性とか親権をどうするかとか。ここでも私が所有する身体をどこまで自由に処分してよいか、あるいは一時的に借り受けてよいかが問題。身体の範囲が科学技術で拡張されて、過去2000年の知恵が通用しなくなっているのだなあ。)
重要なのは動機(イマヌエル・カント) ・・・ 功利主義を批判する考えの代表カント。この人はあんまり勉強してこなかったのでよくわからない。人間の道徳や行動性向は快楽/苦痛だけではない(ここから発する道徳は福祉を重視するという話と、外部の刺激や選択に服従しているだけで自由ではないという話)。人間には理性から発する道徳や行動性向があり、これが自由。カントは自由を極めて厳格に考えている。行動そのものを究極の目的にする行為とか、義務の動機に発する行動だけが自由なのである。あと人格を目的にする行動こそ自由(なので、身体を商品にして売るとか、処分するとかはアンモラルである。ここで身体の所有権を重視するロックやリバタリアンと激しく対立。
(非常におおざっぱなまとめになった。たぶん不正確なところがある。あとカントは正義と権利が社会契約に由来すると考えているが、初期の社会契約者たちと違ってカントは社会契約は原始契約ではなく仮想上のものだとした。では仮想上の契約がなぜ構成員を縛るのかというと説明はしていなくて、200年後にロールズが答えようと試みた。というわけで次の章に続く。)
なるほどこの講義はおもしろい。自分もかつて大学で道徳論を受講したのだが(教職資格をとるのに必須だったので)、まったくつまらなくて数回出席したあとはすべて欠席。試験だけ受けて単位を取得した。まあそういうのが許容されていた時代だったので、自分の行為は「悪」や「不正義」とはされなかったのだ。
自分が受講した講義のつまらなさは、たんじゅんに道徳を考えた人を羅列し、思想のダイジェストを並べただけだったから。この講義でも、その種の知識は紹介されていて、アリストテレス、ジョン・ロック、ベンサム、カント、ジョン・ロールズらの正義や徳の思想家が登場する。必ずしも時代順に登場しないのは、正義を巡る議論を、功利主義と選択の自由と共通善の3つにわけて説明しているから。読者は政治哲学史を学ぶことが目的ではなく、政治哲学の知識を使って現代の社会をどのように構築するかを考えられるようになることにあるから、問題はない。
ただ、この本の議論だけでは上記の思想家の考えを正確につかめるわけにはいかないので、できれば原著や参考書で補完しておくことは重要。
マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(ハヤカワ文庫)→ https://amzn.to/3Tzm2eT
マイケル・サンデル「公共哲学」(ちくま学芸文庫)→ https://amzn.to/49R9TrC
小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)→ https://amzn.to/49Of8Zd
2016/07/5 マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(ハヤカワ文庫)-2 2010年
2016/07/4 マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(ハヤカワ文庫)-3 2010年
<追記 2019/7/29>
トロッコ問題って、「暴走トロッコの先の線路には5人いる、ポイント切り替えれば1人しかいない。さあどうする!」みたいな話で悩んだりするのはおもしろいけど、何も考えてない普通の人は「6人とも線路から退避したらいいだけやん」と、最も正しい答えを出す。
https://twitter.com/cracjp/status/1155683494867062786
ポイント切り替えのとこにいる人の正解は「危険を知らせる」だよね。
https://twitter.com/miyomi34/status/1155684973485023232