odd_hatchの読書ノート

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林達夫/久野収「思想のドラマツルギー」(平凡社)

 林達夫の本は「歴史の暮方」(中央文庫)「共産主義的人間」(中央文庫)しか読んでいない。なるほど、書かれた時代のわりにとても先鋭なこと(しかし20世紀後半以降になると陳腐)をいっていた。一方で、この国の哲学者や思想家は林達夫をえらい、すごいといっていて、ピンとこなかった。読んだものと斯界のギャップがあって、どうもうまく埋められない。そこで、この対談本を読む。久野収はどうやら林達夫の弟子筋らしい。
2015/12/23 久野収/鶴見俊輔/藤田省三「戦後日本の思想」(講談社文庫)-1
2015/12/24 久野収/鶴見俊輔/藤田省三「戦後日本の思想」(講談社文庫)-2
 もともと林達夫は文章を書かない人で、書いたとしても切り詰めぎみで、そのうえインタビューや講演をやらず、自伝めいたことも書かない。自分を隠すことに精出した人のよう。大学で講義を持っていたので、その教え子はいたようで、平凡社の百科事典の編集者でもあったりして、他の著述家との関係もあった様子。そのために、斯界の評判は外に漏れることがなかったようだ。

 この対談では主に二つのことが語られる
・ひとつは、林達夫の半生記。1896年生まれの明治人であるが、父が外交官であったので、幼少時代にシアトルに在住。英語をしゃべれるようになる。帰国後は親に反発して、中学・高校はバンカラ(という言葉はなかったよう)な生活をする。驚いたのは、クラスメートを含めて哲学思想の原著をガンガンと読むこと。なるほど進学率のきわめて低い時代のエリート集団ではあるが、それにしても。なんとも知的にタフな人たち。もちろんネットも携帯もゲームもアニメもなく、時間つぶしをするには寄席や舞台に行くか、本を読むか、友人とつるむしかない(それにしても金がない)時代。それもあってか、中学や高校のクラスメートはその後、研究者になるか企業の経営陣になるかの出世をしても、交友は卒業後も続く。ネットの検索ができないので、知的興味は自分で探すか、交友関係の広がりでつながりをもつか。その人的関係の深さが今となっては目新しくみえる。あと、高校時代に朝日新聞主催の全国中学校野球大会の第1回があり、その記憶がとても貴重。はじめのころは出場を打診しても断られるくらいに信用のない大会だったようだ(それが新聞とラジオによって全国が熱狂するようになる)。
(戦中の林達夫にふれたものに
多川精一「戦争のグラフィズム」(平凡社ライブラリ)
中島健蔵「昭和時代」(岩波新書)
がある。いずれも雑誌「FRONT」編集長時代について。本人はほとんどこの職業のことを語っていない。)
・もうひとつは、林の知的興味。この人は西洋を研究するのであるが(それもギリシャ悲劇からルネサンスに、中世以来の演劇に、マルクス主義から現代哲学にと、とても幅広い)、70代を越えるまでついに一度も西洋にいっていない(幼少時代を除く)。情報は主に文献と雑誌(時に新聞も)。自身も書斎と大学と平凡社を行き来するだけのおよそ足を使わない人。それだのに、文献だけでもって他の人にみえないことをみるというのはすごいや。
・この人が注目している「レトリック」について。通常、修辞学と訳されるこれは、中世の大学で教えられた重要な技術であり、弁論・雄弁術と関連していて、ソクラテスプラトンアリストテレスの重要な方法であったこと。ほかのソフィストの雄弁に対して、彼らの対話を使い、説得の機能を持たせた。文学の学際・思考のゼミナールをやっていたし、哲学者は俳優でもあった。それが近世になってレトリックがモノローグに取って替えられ、対話から自己語りになった(たとえばデカルト)。こういう変遷で、見えなくなったことが西洋の思想や精神にあるという指摘が面白い。
・先にあるように、林達夫は西洋にでかけないで西洋と文や言語で関わりをもとうとした。その対極にはこの本に出てくる小田実「何でも見てやろう」(河出書房新社))の足と会話で関わるというやり方があり、文献も足も使って移動しながら考える堀田善衛がいて、この三角形が1950-70年代にあったというのが面白い。もちろん方法よりも、彼らが見聞きしたことのレポートの読みでがあることが重要。
 という具合の素人の読みでした。専門教育を受けたものには、毎ページ、発見があるかも。ま、さすがと対談から50年にもなろうというと、登場する本は古いし、林や久野の指摘も十分に人口に膾炙した「ありきたり」になったものもある。そのうえ、1920-30年代の学徒がああしたこうしたという消息も古い情報になった。なにしろ彼らの本は入手困難になって、だれが何を考えていたのかもよく知らない。