1914年から翌年にかけて新聞に連載された随想集。小説よりも、自分の周りのことを書いたこういう随想のほうが、明治の人たちや漱石らが考えていることがわかりそう。
タイトルを「硝子戸の中(ルビによると「うち」と読むようだ。ずっと「なか」と思い込んでいた)」としたのは、
「小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中」
にいると考えているから。連載時期というと、第一次世界大戦がはじまり、不況が起きて、相撲の人気があったらしいが、硝子戸の中にいる漱石にはそれらに関心を向けることがない。新聞社の社員で人気小説家であるとすると、売文で世間に波風を立てるほどのことはないと考えたのかもしれない。詮索はさておき、なるほどこの時代も有名人のスキャンダルや失言にはとても厳しく(ほとんど恫喝・暴力扇動まがいまで)、かつプライバシーが守られないのであれば、社会や政治への関心を表現しないことは防衛機能として有効だったのかもしれない。でもそれらを語らないことは、政策や世論の追従になり、悪や不正義に目をつぶることになった。
そこには漱石の行動性向に由来しているのかもしれず、ことに「三十三」は参考になる。煩瑣になるので引用はおくとして、書かれたことは高機能自閉症スペクトラムにありがちなことがつづられている。他人と一緒にいるのが大変で、孤立するほうが楽と思えるのに、孤立することはならず、そのために他人の考えや行動から自分がどう思われているかをいろいろ考えざるを得ない。それは自分には侮辱や屈辱を感じさせるが、他人はかえって自分に腹を立てるようだ。すべての人間は毎日毎日恥をかくために生まれてきた、とニヒリズムに陥ったりもする。。そういうものの見方をするので、「不安で、不透明で、不愉快に充ちている」と嘆じざるを得ない。何とも窮屈で、これなら「非人情」の世界にいってみたくもなるだろう。
漱石の胃弱はずっと続いていて、そのうえ神経衰弱もある。何度も死線をさまよい、毎年ひと月は病臥に伏してしまう。なので、生より死を貴いと信じていたり、未来よりも過去を振り返ることが多く、あの人は死んだこの人ももういないと嘆いてしまうのである。明治も終わって新時代の大正になっても、40代後半の年齢は十分な年寄りであり、子供のころの維新前後を思い出すと、その習俗・市井・流行りなどはすべて古いものですでに失われてしまっている。さらに漱石は両親や兄などを年若い時に亡くしているので、人生に対する諦念は深いものであったろう。漱石の小説の語り手は独身か核家族であり、両親が不在ないし存在感が希薄で、兄には愛憎両方をもっていて親しみを感じていない。漱石の家族歴が小説に反映したかどうかは鑑賞にはどうでもよいこととはいえ、一応覚えておこう。
この随想集では、漱石は重大なことはすべて終わっていると考えている。新しい何ごとかへの関心もなく、生への期待もなく、たんたんとした冷静な面持ち。とても日本的だと思うが(たとえば「徒然草」「方丈記」などとの親近性)、自分にはあわないな。まえの「永日小品」「思いだすことなど」のほうが発見があって面白い。
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