漱石44歳から46歳にかけての講演集。「門」を書き終え、胃潰瘍で大出血。入院後、体調をみて関西に行き講演会を開いた(娯楽の乏しい時代だったので、作家の講演でも人はよく集まったとみえる)。その時の記録。この直後に、再度胃潰瘍で入院する。
道楽と職業 1911.8・・・ 社会的分業と賃金についての話から、職業は他人本位で、はなはだ面白くないが、自分本位でできる職業に研究者芸術家がいて、こちらは自分本位ではあっても手元不如意になり、まこと面倒だが、そのかわりおもねりがないので自由はあり、自分本位が社会のためになるという特殊な職業である、というなんか今日聴くと支離滅裂なお話。
現代日本の開化 1911.8 ・・・ 「開化」はだいたい西洋化(資本主義経済の仕組みが国全体を覆うこと、さまざまな機械が生活の隅々で便利を実現すること、西洋のさまざまな仕組みやマナーを模倣して生活すること、あたり)とみてよいか。開化は西洋では18世紀から、この国では1868年以降に起きているが、この国は外発的で、しっくりこない、上滑りだ、というのが作家の見方。そこでこの国の開化も内発的にならないといけないと主張する。振り返ると、インテリの意識改革が浸透して開化が進むというより、生産様式や生活様式が西洋化されてから内発的な開化がおこる。作家のいらだちや焦燥感がすごくよく伝わる。
中味と形式 1911.8 ・・・ この講演がわかりにくいのは、「形式」の多義性のため。前半、形式にこだわるのはよくないというとき、形式は対象の比較や評価や結果など。後半で、「形式」も大事だよというときは、対象を成立させる規則、規範、ルールなど。これがごっちゃにされているので、結論がなんだかよくわからない。
文芸と道徳 1911.8 ・・・ 今日までの道徳は、古い浪漫的道徳(達成され難い理想に当てはまろうと努力、善悪や美醜などの価値は社会的共同体的に決まる)とこのごろの自然主義的道徳(現実をありのままみて、達成可能な理想を実現しようと努力、価値は個人本位にきまる)に分けられる。科学の知見が増えたことと、交通の便がよくなったことで、世の中、人々の多様性が知られるようになったので、おのずと自然主義的道徳に人々は変わってきている。そこらへんの事情は文芸をみてもわかる。
私の個人主義 1914.11 ・・・ 学習院大学での講演。このときには乃木大将は自決((1912年9月13日)した後。前半は自伝的懐古。政府の命令で英文学を勉強することになったが、英国や大家の見解と食い違うのに困っていた。「自分本位」を確立してからは気分が晴れた(まあ、そのときに構想した仕事は捨てることになったが)。この自分本位は浪漫的道徳と対立するが、権力と金力をもっている階層には絶対に必要(この時代、就職、結婚、住居などが自分の都合では決められず、家とか会社・組織などの共同体の都合が押し付けられて反発できなかったことに注意。そのなかで権力と金力を持つ者は自分本位の自由を獲得できた)。そういう権力と金力を持つ人は、自分本位の自由を他人に押し付けることができるので、義務=徳義を順守することが求められている。そこの自助努力をちゃんと行いなさい、という内容。自分本位の個人主義の反対は党派主義とのこと。漱石のいう「個人主義」はこの国にはいないジェントルマンのもの。ジェントルマンは英国の社会や教育などではぐくまれる観念だが、そのような観念を共有しないこの国の権力や金力をもっている人々に期待しようという齟齬。アダム・スミスやミルの道徳論や自由論の内容にあっているのではないかな。(柄谷行人「近代の超克@戦前の思考」P111によると、漱石の哲学的立場はたぶんヒュームだとのこと)
100年たった今(2013年)から見ると、ずいぶん常識的なことをいっていて拍子抜けになる。だから、漱石の思想を考慮するには、現代の眼で見るのではなく、同時代の別の演者の講演と比較しなければならない。そこまでの勉強はしていないので自信も根拠もないけど、たいていの論者はこの本の言葉に即すると浪漫的道徳、国家主義、党派主義の内容だったのだろう。そこにスミスやミルの自由論、道徳論を話す漱石は、とても斬新だったとおもう。そのもとになっているのは英国体験か。この英国体験は、維新以降のたくさんの留学生とは異なる立ち位置であった。
小田実「何でも見てやろう」(河出書房新社)の分類を使うと、漱石は西洋とのかかわりを考える第二世代にあたる。それも相当に早い時期でその認識になった人。とりあえず第二世代の付き合い方は、原書を読んで理解した人で、西洋の問題をいかに自分の問題にするかを考えてきた人。この国vs西洋みたいな図式で世界を眺めているような人。
漱石は英国体験をあまり快く思っていないが、英国の自由や規律には影響を受けているみたい。「私の個人主義」の後半ではそのすばらしさを賞賛しているからね。英国の自由を会得して帰国したときに、この国の「浪漫的道徳」や党派主義のわずらわしさは漱石をうっとうしくのだろう。小説には好んで「高等遊民」(権力はないが金力をもって生活の不自由がない人)を登場さすが、それは漱石の分身であって、英国流の自由とこの国の浪漫的道徳が両立しない葛藤の苦しみなのだろうねえ。あとグローバル資本主義に参加させられることになり、土着のナショナリズムや道徳を変えないとならない時代であることに注意。和魂洋才といいながら、和魂も変容しているのが漱石には見えているのに、そう見ないこの国のインテリや官吏へのいらだちなどもみえる。
「浪漫的道徳」や党派主義に対する鬱屈やうっとうしい気分(「不愉快」)が払しょくされて、個人本位の自由がある程度浸透するには、資本主義の定着による経済発展があることとか、民主主義のシステムができることとか、人々の交通がさかんになり生まれた場所の外で生活するのがあたりまえな社会になるとか、インテリの内面とは別のところの変化が進む必要があった。もちろんその変化は別の鬱屈やうっとうしい気分をインテリにもたらしたはずでそれは別の作家の主題であるだろう。昭和の「政治と文学」とか「前衛と大衆」みたいな問題の立てかたで現れたと思う。
なお、先鋭的な漱石にもみえなかったことはあって、庶民とか貧困層、あるいは女性とか植民地とか。こういう虐げられた人々にまで彼の「個人主義」「自分本位」はひろがらないみたい。あくまで権力と金力を持つ階層やインテリ知識人を対象にした議論なのだと思う。
あと芸術と自己意識を主題にしているということで、世界に目を向けると、トーマス・マン「トニオ・クレーゲル」、ドストエフスキー「地下生活者の手記」あたりを思い出す(追記:本書を読んだ2013年の時の感想。そのあとこの2冊を読み直したが、漱石の講演に並べるには不適当に思う)。これらの遅れた民族国家や資本主義発展途中にある国家にいる作家の問題意識と共通点はあるだろうか。あるいはジョイス「若い芸術家の肖像」、ミラー「北回帰線」などの英米作家では。彼らとの違いはどのあたりか。
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