odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

名作オペラブックス「パルジファル」(音楽之友社)-1 制作開始から初演までのドキュメント

 ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「パルチヴァール Parcival」(郁文堂)をようやく読んだので、勢いでワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」の解説書を読む(おそらく原著1982年で、邦訳は1988年)。リブレットの他、成立史、上演史、批評などが収録。ドイツで作られた論文集なので、邦人の論文はない。

台本の対訳はこちらを参照。

https://w.atwiki.jp/oper/pages/165.html

歌のない「パルジファル組曲。良い演奏です。

www.youtube.com


ワーグナーの〈パルジファル〉構想 ・・・ 自伝〈わが生涯〉によると1857年の聖金曜日に突然エッシェンバハ「パルチヴァール」を思いだして、歌劇の構想を得たという。日付と曜日が合わないなど創作であるとか。1857~1865年にかけて〈パルジファル〉の第1散文稿が書かれる。これはリブレットに書かれなかったキャラクターの設定やワーグナーの解釈があるので、演出家は必読。洗礼が改心の決定になるというのはプロテスタンティズムの反映かしら。
 自分がポイントだと思うのは、これ。

「他人が苦しんでいることではなく, 他人が苦しんでいるのを知って私が苦しむことが問題なのである(P193)」

 受苦の考えはキリスト教に根差していて(イエスの受けた苦痛を自分の苦痛とするのが信仰で重要)、のちにはドストエフスキーの小説やシモーヌ・ヴェイユにもみられる。デイヴィド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」も受苦が主題。この考えはまだよくわからない。PKDも受苦への共感をテーマにした小説を書いていた。

odd-hatch.hatenablog.jp


 本書の編集者によると

「〈舞台神聖祝典劇〉誕生の20年からどれほどかけ離れていたかという点が明らかになる。ワーグナーは(エッシェンバハの)この騎士叙事詩の放埓な冒険譚を痛烈に批判しているが。それは彼の考えでは, この物語が聖杯物語の核心に迫っていないためであった。そのためワーグナーはこの物語にキリスト教的同情と純潔という要素を深めつつ付け加え、それに応じて素材の内容を、彼の言葉によれば〈劇的な内容〉、すなわち、〈純粋な愚か者〉パルジファルが経験する、すでに述べた同情の3つの段階を伴った、3つの主要なシチュエーションへまとめ上げた(P195)」

 なるほどワーグナーエッシェンバハの「パルチヴァール」を受け入れなかったのだね。エッシェンバハは文字がかけなかったというところが、知的エリートでディレッタントワーグナーがお気に召さなかったのかも。なので、エッシェンバハ「パルチヴァール Parcival」とクレチマン・ド・トロワ「ペルスヴァル Perceval」とワーグナーパルジファル Parsifal」という具合に、綴りと読み方が三者三様になる。

パイロイト祝祭劇場での初演について ・・・ ワインガルトナー(観客)、レヴィ(指揮者)、ハンスリック(批評家)のエセー。ワインガルトナーはベートーヴェンブラームスの録音を聞くことができ、戦前に来日して新響を指揮したので、1882年がわがことの延長のように思える。ハンスリックはエッシェンバハの「パルチヴァール」を読みワーグナーとの差異を示す。するとワーグナー版では第2幕以降が意味不明になった、とくにパルジファルの回心、グルネマンツの説教、アンフォルタスの救済、聖杯の存在理由などが意味不明になったとのこと。キャラクターは風変わりばかりで、ヒステリック。音楽も冗長で示導動機が弱い。クンドリーの誘惑、パルジファルの苦悩などのシーンは旧作の焼き直しなどを指摘。論文「音楽美論」は訳が分からなかったが、この評論は見事なできでした。ほぼ同意です。

パルジファル〉の受容に関する主要文献 ・・・ ニーチェアルバン・ベルクストラヴィンスキーシェーンベルクエルンスト・ブロッホトーマス・マンアドルノ。そうそうたる面々。とはいえ、ベルク、ストラヴィンスキーシェーンベルクバイロイト劇場システム嫌悪を書いた文章を除くと、他はとても難解。

 

 ここまで読んで(P300)、「パルジファル」が仏教的世界観を表明しているというよく言われることに関する説明や議論は出てこない。エッシェンバハ「パルチヴァール」についても同様。いったいどこに仏教があるのだか。

(追記)
 片山杜秀「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」(文春新書)にこうあった。

「最後のオペラ「パルジファル」は仏教の影響を受けていて、主人公のパルジファルは物語の終りに仏のようなものになったと解釈することができるでしょう。近代合理主義を越えて、神話や伝説などの“根”に触れることで、人間が霊的により浄化し、進化して、もっと高次のものへと進む。ワーグナーにはその種のヴィジョンがあったと思います(P213-214)」

 なるほど、アンフォルタスの苦痛に共感したあとの第3幕第2場になると、個人への関心はなくなっている。それは地上の善悪を越えた彼岸に立ったものとして、そこにいるだけになっている。それを仏教の仏なのだと見ようと思えば見えないこともない。

 

 

2023/05/31 名作オペラブックス「パルジファル」(音楽之友社)-2 ワーグナーは反ユダヤ主義者で女性蔑視者 1988年に続く