odd_hatchの読書ノート

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北山茂夫「日本の歴史04 平安京」(中公文庫) 律令制という中国化が完成したらすぐにほころびだした

 770-967年までの200年を扱う。ここも高校の日本史の躓きの時期であって、延々と宮中のできごとが語られる。時間は過ぎているのに、事態はほとんど変化がない。そのうえ、宮中の政治は事なかれの棚あげで、出る杭は打ち、スキャンダルはフレームアップし、談合できめて会議は形式だけ、黒幕とその取り巻きのグループが別のグループと競争し、評価はその内部の利害で決める。幾人かの優れた個人がでてはきても、ほとんど何もできないまま足を引っ張られて途中で退場させられる。こういう、21世紀になってもこの国に巣食う<システム>@カレル・ヴァン・ウォルフレンがこの時代からあることに憮然としてしまうのだ。

 この平安時代の前半を強引にまとめれば、大化の改新で班田収授法を作って、全国から租庸調の税収を宮廷に集める仕組みを作る。それを700年あたまのころに天武天皇律令を作って、文書による官僚制にする。その試みはしばらくの間うまくいったが、8世紀半ばにはほころびが生じる。そこで800年ころに桓武と嵯峨の天皇によっててこ入れをした。かれらがいる間はうまく回っていたが、死亡後はだめになる。そのあとは事なかれの、たなあげの、内輪受けの・・・という時代。
 この本を流し読みにした(その理由は上と同じ)あと、妄想したのは以下のこと。

・班田収授の法とか律令制とかで、宮廷が行った政策の背景にあるのは、この島に住む人々が土地は時の権力者から分け与えられるものであるという認識を共通に持っていたのではないかということ。この感覚がないと、人の足で情報を運んでいた時代に九州から関東までの広い地域の多くの人々がこの制度を受け入れたように思えない。なにしろ、宮廷は収奪するばかりで、農業従事者ほかの民になにもしていない。

・そのような制度が100年足らずに機能しなくなる。宮廷や天皇から下知された土地を放棄して、勝手に私有田をつくるようになる。そこには、土地を所有するという新しい観念が生まれてきたのではないかと推測。その「所有」の観念が生まれたのは、天皇による仏教の国教化があるのではないかとも。土着でない宗教を受け入れるようになったとき、価値や権威のもとがふたつになる。天皇と仏と。どちらを優位なのか、どちらを優先するのか、というダブルバインドみたいな、絶対矛盾の自己同一みたいなやっかいな事態が生まれ、そこから土地は天から授けられるという古い観念が弱くなっていたのではないか。

・まあ、もちろん農作業の現場では班田管理のために中央から派遣される受領と、土地に定着する土豪や有力農民とで、権力や権威の移動が起きていたのだろう。そう簡単に人が移動できない時代であれば、そこでは長年一緒にいるものを信頼するようになるものだ。

・とはいえ、本書の記述を読むと、この島の住民はほかの大陸に見られるような農村共同体をつくらない。水利を除いては自治を行わない。治安や法の執行は外部の権力の指示に従う。当然、反抗や抵抗は起こらない(せいぜいが逃散くらい)。なんというか、この国の民の従順さには千年以上の歴史があるのかと思うと、ため息しか出てこない。

・それに加えて、宮廷の貴族や政治家どもの体たらくときたら。徴税の苛烈さが班田の生産性を落としているのにほぼ無策。文化サークルを作って、漢詩・漢文を制作し、100年たって簡便な文字をつくると和歌に移動。恋か、日常身辺の印象か、上司のごますりか。その程度の主題しかもたない。堀田善衛のいうように限定された人数の文化サークルが数百年続く(たぶん世界史で類例がない)と、文化の抽象化とマニエリズムは究を極めるかもしれない。それにしてもねえ。

・宮廷の権威は天皇の存在にあるが、平安時代になると天皇はたいてい幼年時代に即位する。当然、執行能力はないので、大人が代行する。主権者である天皇の意志はどこかにいき、大人のつくった複数グループが競争対立して、事なかれと棚上げの政治を運営する。それに敵対する外部が現れると(平将門藤原純友)、グループの競争対立を棚上げして、協力して排除にあたる。排除が終わると、再びグループ間の抗争になる。権威と権力の中心は不在で空白のまま。ときに物心がついた天皇が権力を奪還しようとすると、やはり権力者グループは全力で排除する。このどうしようもなく無責任な<システム>はこの時代にできていたのだね。摂関政治というのがそれについた名前。

・農民と土地に密着した土豪や有力農民が生産性の向上、治安、徴税を行うようになると、宮廷貴族は受領を派遣するかわりに、土豪や有力農民と結びつこうとする。そうしてできたのが荘園。これも今日の官僚と財界の関係に似ている。

・本書の記述は宮廷側に寄り添って微に入り細を穿つ。上のような社会構成に関する話題も少し出てくるので、「奈良の都」よりは読みでがある。ただ、宮廷に寄り添い過ぎたか、農民への圧政を強調し過ぎたか、地方の記述に問題ある。前出の藤原純友など「海賊」と一蹴されるのであるが、網野義彦など読むと、実態は海運業者を主体とした多事業を行うグループで、海賊行為は従わないものにときどき行ったに過ぎない(そうでないと単なる犯罪集団は淘汰される)。有力農民も「百姓(ひゃくせい)」であって多角経営を行う地方企業家とみたほうがよい。そうすると中央と地方の関係も見直しが起こるはず。

 

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