odd_hatchの読書ノート

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網野善彦「日本社会の歴史 中」(岩波新書) 中世の日本。西の大和朝廷は中国化・グローバル化を目指し、東の武士政権は江戸時代化・鎖国化を目指す。

 中巻では10世紀から14世紀前半までを扱う。教科書では、平安時代の貴族政権が鎌倉・室町の武士政権に変わったと説明されるところであるが、本書では西の貴族政権と東国の武士政権が併存しているとされる。すなわち、東国に武士政権ができたからと言って、大和朝廷の権力を完全に覆したわけではない。朝廷の荘園管理は依然と続いていて、朝廷に従う豪族・郡司もあった。上巻にあるように、西と東では長年の間文化が異なり、勢力範囲は異なるのであった。また、ここに與那覇潤「中国化する日本」(文芸春秋社)の知見を加えれば、西の大和朝廷は中国化・グローバル化を目指し、東の武士政権は江戸時代化・鎖国化を目指していた、その相克が中世と言われる時代の政治と社会の動きであるといえる。

第6章 古代日本国の変質と地域勢力の胎動 ・・・ 10世紀。このころになると朝廷は中国との行き来をなくしていたが、鎖国を目指すための行動ではなく、民間の通交がさかんになってとくに朝廷が先導する必要がなくなったのである。朝廷も律令制の政治から王朝風の政治に、唐風文化から国風文化にと変質していた。10世紀初頭に唐が滅亡してから、アジアが激動してきて、その影響は日本にも及ぶ。東国と瀬戸内海の「海賊」が謀反を起こしたが、これは朝廷の権力・権威の届かないところでの独立運動であるといえる。11~12世紀には朝廷は次第に地方を統括できなくなる。武士政権が登場する直前、12世紀末の朝廷の様子は下記が参考になる。
堀田善衛「定家明月記私抄」(ちくま学芸文庫) 
堀田善衛「定家明月記私抄 続編」(ちくま学芸文庫)

第7章 東国王権の出現と王朝文化の変貌 ・・・ 荘園公領の管理の必要から軍事力を持つ「兵」「武士」が出現。王朝貴族はこれを重用せざるを得なくなる。11世紀ころには、西国に影響力のある平氏海上交易重視)と東国に所領をもつ源氏(農本主義的)の二大勢力が生まれる。12世紀の終わりに源平合戦が起きて平氏を追い出す。源氏は鎌倉に政権を樹立。ここで西の王朝と東の武士政権ができる。源氏が三代で絶えた後、1221年に東国西国戦争(承久の乱)が起きて、東の王権が西の王権と同等の権力をもつ。ここでふたつの王権が併存するようになる。東西の差異は、社会や風俗習慣などで現在にも残る。
(メモ:一宇は一軒のこと。なるほど「八紘一宇」は家族とか家制度を残す考えなわけね。親鸞の説明で、善人は自力の作善ができる人、悪人は殺生などを生業とせざるを得ないような人。仏の教えや仏教の要求する戒律を実践できないような人を「悪」といったわけだ。あと「悪」の意味には社会の構成からはみ出た人、流浪の芸能人や職人など、がある。)

第8章 東西の王権の併存と葛藤 ・・・ 13世紀になると、東国の王権は北条家の専制になり、東西の王権が人的につながる(という事情は上記の「定家明月記私抄」にでてくる。それによると西国の王権は収入が少なくなり、地頭や郡司を抱えている東国の家からの援助がないとやっていけなくなっていたそうだ)。中国ではモンゴル帝国がユーラシアを制覇。宋から難民・亡命者が来て、情報は入っていた。二度の襲来があったが、運よく退却してくれた(ここから「神国日本」の意識が出てくる。主に寺社から)。14世紀の前半に、西国の天皇が覇権を奪還しようとする。北条家は滅ぼし東国の王権はなくなった。しかし天皇の親政にはならず、新たな西国の武将が幕府を立てる。海洋の交易がますます盛んに。国内の交易だけでなく、中国や半島との往来も。宋銭が流入し、国内の決済にも使われる。女性の地位が低下。穢れを忌避する空気が生まれて、のちの部落差別の遠因になる。「悪」の意味に、未開の世界に通じる得体のしれない力に動かされるどの外れた行動や人の制御できない力などが加わる。東西の王権や寺社の商業芸能の組織から外れる者がいて、彼らを総称して「悪党」といった。楠木正成が「悪党」の典型。そういう権力の外にいる勢力が中世にあって、救済の対象になっていなかった。なので新仏教は「悪党の救済」をやろうとしていた。
(商業、交易が盛んになって物流がよくなっていた。宋銭が入って決済にも使われるようになった。似た状況はこの少し後の14-15世紀イタリアにもあった。イタリアでは資本主義になったが、日本は資本主義ができなかった。ヒックス「経済史の理論」を使えば、商業資本はあっても金融資本がなかった。当時の日本では宋銭は呪術的な意味のほうが強くて、収蔵したまま使わないケースがあったという。貨幣へのフェティシズムが強くて金融資本の形成に至らなかったのだろう。あとは商業資本を支える官僚制がなかった。法と文書の管理がなくて、商業と金融資本への支援がなかった。同時代の宋も政体は近代になりうる条件をそろえていたが、資本主義を生まなかった。一つの理由に、人口が常に過剰だったので生産性向上の意欲が生まれなかったということがあるらしい。)

 

 

 日本の歴史は周辺の民族・地域を侵略・支配する歴史。なので、中央(であるヤマト、中世には東国)の周辺と外にあるマイノリティを蛮族扱いし、武力侵略を繰り返し、収奪と差別を行った。古代には南九州、東北が、中世には奄美・沖縄の南洋諸島と東北・北海道がその対象になる。本書では、沖縄とアイヌの歴史が節を設けて説明される。これは「日本史」「日本の歴史」のタイトルをつけた類書にはまずみられない。たいていはそれらの地域や民族は侵略・支配の対象でしかなく、ふだん何をしていたかに関心を向けない。その点では「日本史」という名称自体が、日本民族の差別や侵略を糊塗する誤った見方であるといえる。むしろ「東アジア史」という見方にし、そのなかの列島という一地域と日本民族という一民族の歴史というふうに見ないといけない。