イギリスの作家は怪談を書くのが定番だし、ドイルの時代は古典的な怪談に人気があった。そこでドイルの怪談短編を集める。あいにく初出年が書いていない。いつごろ書かれたかは、小説の読解に必須な情報なので、きちんと書いてよ。ネットで調べてもよくわからない。
大空の恐怖 The Horror of the Heights 1913.11 ・・・ 初期航空機の時代。首を失くしたパイロットの死体が見つかった。アームストロング大尉は単葉機の愛機で、事件現場の山脈付近を捜索する。そこでも目撃したおそろしい「もの」。「宇宙大怪獣ドゴラ」みたいな怪物。ドイルの科学的な文章は怪物の恐怖を描くには足りず(ストーカーやラブクラフトの方がうまい)、むしろ飛行機を操縦することの方が怖い。とはいえ、サン=テグジェベリのような飛行体験をもっているわけではなく、他人の経験の聞き取りに基づくとなると、機械の故障の恐怖のほかは見るべきところは少ない。むしろ1904年の飛行からわずか10年で、アルプス山脈を超えるくらいの高度に到達でき(成功できたのはもう少し後だったと思う)、数時間の長時間飛行ができるまでに、飛行機の開発と普及が進んだことのほうに驚く。
革の漏斗 The Leather Funnel ・・・ オカルト愛好家の家に招待され、古い傷の付いた革の漏斗をみせられる。夢見の実験だといわれて、それを抱いて寝ることにした。意識は17世紀の裁判所に飛び、ある女性の尋問になる。19世紀末に書かれたので残虐描写は控えられた。それでも史実としての魔女裁判などを知っているものには衝撃的。とはいえ、気になるのは、女性の正体であって、拷問を正当化ないし合理化する理由付けになっているところ。人権意識が21世紀と異なるので、仕方がないけど、この女性蔑視は許容しがたいなあ。
新しい地下墓地 The New Catacomb. ・・・ ローマに新しい地下墓地(カタコンブ)を発見したと考古学者がいったら、ぜひ見せてくれと同僚が行った。かまわないがその前に君の破談した恋愛のことを教えてくれという。ここまでくると、ポオの有名作のパスティーシュであることがわかるが、オチは常識的であってもかまわない。こういう作品では過程の描写が重要だが、ドイルの文体では不十分。
サノクス令夫人 The Case of Lady Sannox ・・・ サノクス令夫人と不倫をしているダグラス医師、今夜も密会にでかけようとするところを、トルコ人が急患を申し出た。古い短剣についた毒が回った女性の唇を麻酔なしで切ってくれという。高額の報酬のゆえに、ダグラスは承諾することにした。これはオチの感情を吐露する場面をもっと短くした方が、衝撃的。
青の洞窟の怪 The Terror of Blue John Gap ・・・ 羊が殺される事件が頻発するので、青の洞窟(ホタル石が妖しく光るのでこの名前を付けた)を医師が探索する。「怪物」に襲われる。怪物の描写はラブクラフト「ダンウィッチの怪」に比べると、ちょっとなあ。こういう「怪物(伝説の生き物でもなく、古生物の生き残りでもなく、人造生物でもない)」はいつごろから生まれたのだろう。
ブラジル猫 The Brazilian Cat ・・・ しぶちん(死語)の養父が金をくれないものだから、にっちもさっちもいかなくなった青年。ブラジル帰りの従兄の家に行き、借金を申し込むことにした。なぜかその妻は邪見であるが、従兄はニコニコと話を聞く。深夜、従兄は「ブラジル猫(なんだそれ?)」の檻に青年を閉じ込めた。恐怖の一夜。ウィリアムソン婦人「灰色の女」でも、テレンスという青年が虎のいる部屋に閉じ込められたな。博物学の時代というのに、このような不正確な描写になったのはなぜだろう。
まず内容から。空の怪物、キャトルミューテーションなど、19世紀の怪談にはなかったような恐怖が生まれた。これは航空機の発達、牧畜業の発達(と家畜の害獣の駆除)などのテクノロジーや社会の変化に呼応してのことだろう。20世紀の後半になると、このテーマは空飛ぶ円盤や異星人に結び付くのだが、ドイルの時代にはそこまでの想像力はない。これもテクノロジーが底まで進んでいないことが理由。
人に隠された邪心の暴露というテーマになると、ドイルのは差別や人権軽視が露骨にでてしまう。時代の制約があるので、とやかくは言わないが、読んで気分のよいものではない。ほぼ同時代のルヴェル(「夜鳥」収録の短編)では、もっとシニカルであらゆる人のだめさを暴露したものだが、ドイルは自分の所属する階層や属性を大切に保護しようとする。それが今日的なコードに合わなくなっている理由。
そのうえ、ドイルの科学的な文体は、恐怖の描写にふさわしくないのも、自分には減点対象。