odd_hatchの読書ノート

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ジェイムズ・ジョイス「ダブリンの市民」(岩波文庫)-2 男性の女性支配欲と女性のアイルランド愛国主義。

2023/10/05 ジェイムズ・ジョイス「ダブリンの市民」(岩波文庫)-1 20世紀初頭のアイルランドは沈滞と堕落と憂鬱と怠惰。植民地政策で政治と経済が沈滞していたせい。 1914年の続き

 

 ジョイスがつけた少年期、青春期、青年期、社会生活の区分に入らない/入れづらい、少し長い短編を読む。事実、この作品(「死者たち」)はあとから短編集に追加されたらしい。

The Dead (死者たち)  ・・・ 1904年1月6日に、アイルランドの名家で親族を集めたダンスパーティが行われる。集まる男女は中流から上流層。金に困っている風はない。たとえば主にフォーカスされるゲイブリエルは大学をでて教授職についている。他の短編に登場する家族や一族からすると恵まれた人々であるが、思想や主張が一枚岩であるわけではない。「Ivy Day in the Committee Room (委員会室の蔦の日)」にあるように、アイルランドナショナリズムのあり方が多様になっていたのだ(逆に言えば植民地の宗主国であるイギリスからすると御しやすいといえる)。ここに集った恵まれた人々はおおよそ現状維持か利益確保の「保守」なのではあるが、ゲイブリエルはイギリス文学専攻という職業柄イギリスで刊行される雑誌に短文を書いている。そのために「愛国的な運動」に関わっているらしいアイヴァーズ嬢には手厳しく指弾される。しかもいいわけが「自分の国にうんざりなんだ、もううんざりなんだ」。そのために「西イギリス人」と侮蔑される(アイルランド人なのに、宗主国のイギリスにシッポを振っているとみなされるのだ)。アイヴァーズ嬢がこのパーティを途中で抜けるのは、他の保守の人たちもアイルランドの利益や権利に無頓着な「西イギリス人」への抗議の意味なのだろうなあ。帰りがけに「バナハト・リブ」とアイルランド語であいさつし、そこに集まった人たちがきょとんとしているのを大声で笑う。地元の言葉、母語を大事にするのはナショナリズム運動のひとつ。
 ゲイブリエルは「自分の国にうんざり」なのに、パーティのスピーチではアイルランドの歓待の伝統を賛美するという矛盾ないし厚顔を披露する。それに「過去のことをくよくよ語るつもりはない」といいながら、このあとに過去の亡霊や死者たちに痛烈なしっぺ返しを受ける。この滑稽さ。
 パーティがお開きになったあと、参加者の一人がアイルランドの民謡をピアノで弾き語る。そこからゲイブリエルの妻が感傷にふける。このあとの教授の感慨は前の感想に書いた。
 ここではゲイブリエルの女性支配欲が目に付く。入館するときに使用人のリリー(アイルランド人でイギリス語をあまり知らない)をからかったら、思わぬ反発を受ける(なので小銭を渡して失策を塗り隠そうとする)。妻の姿を見ていとおしいと言い、それが愛情だと思う一方で、妻が自分の知らない過去をもっていることに、とりわけ知らない男に憧憬を持っていることに嫉妬する。ゲイブリエルは大学や社交ではおとなしい品のよいでしゃばらない男であるが、家にいると家族に対しては抑圧的になる。そういう男が、リリーにアイヴァーズ嬢に妻に拒否され指弾される。ラストシーンで見せるゲイブリエルの無常感は立て続けに女性に拒否された末に起きた感情なのだろう。彼は挫折はしても行動を変えようとはしなさそう(「対応」「痛ましい事故」「恩寵」などのキャラと似ているので)。
 ここで起きた夫婦の問題はこの後の「ユリシーズ」でレオポルドとモリーのブルーム夫妻の場合に拡張されるのだろう。そこでも問題のきっかけは死んだ男の存在。死者の存在感がいやますにつれて、夫婦の関係に亀裂が入り、不倫・姦通が起こる。19世紀の小説でもあったテーマだが、ジョイスは女性を悪に仕立てたり、女性に犠牲を強いたりしない。女性を人間らしく見ようという新しい思潮の影響を受けているのかも。
ナショナリズムアイルランド語とイギリス語の違いなどのテーマも共通しているところもみると、「死者たち」は「ユリシーズ」の原型なのだろうな。ゲイブリエルの文学志向はスティーブンに、夫婦関係はブルーム夫婦に引き継がれて、分裂したのだ。「ユリシーズ」で二人が長い旅の末に会うというのは、分裂したゲイブリエルが統合される、とみてもよさそう。)

 

 結城英雄の訳はひっかりがなくわかりやすい。代わりに解説を見ないと、人物や社会の問題が見えてこない。ジョイスがしかけた言葉の遊びや小説のトリック(Ivy Day in the Committee Room (委員会室の蔦の日)など)に気づかない。あまり時間をおかないでの再読なので、印象に残らなかったのかもしれない。平坦な感じが米山正夫の訳のドストエフスキーみたい。手元に残すのは柳瀬尚紀訳の新潮文庫にしよう。

 

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 1回目の読みの感想。

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 3回目の読みの感想。

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