odd_hatchの読書ノート

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ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)11.12 ブルームにとって性と死と食はたがいにつながっている。

2023/10/20 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)9.10 「ガス状脊椎動物」はヘッケルの引用。補注の付いていないところにも隠しごとはあるよ。 1922年の続き


 「ユリシーズ」を読んでいると、他の小説を読んでいるときよりもずっと頭を働かせないといけない。ストーリーはほぼなくて、ダブリナーズの日常(と狂騒)を描いているだけ。ストーリーやキャラに焦点をあわせる読み方ではまったく面白くないが、書かれた言語や文章の意味を考えることになる。そうすると、ほぼ意味のない単語の羅列ですら、さまざま事物や書物、観念などにリンクが張られているのがわかり、小説の外を考えることになる。連想や出典を発見できれば読者の勝ち、そうでなければ作者の勝ち。いまのところ一方的に負け続けている。


11.セイレン
 冒頭の「序曲」はとりとめのない文の羅列にみえるが、ふり返ると、この章にでてくるさまざまな音を集めて、章全体を圧縮したものと知れる。その意味で、オペラの「序曲」と同じ役割を果たしているのだ。1906年というとSPレコードはきわめて高価で、ラジオ放送などない。ダブリン市内を歩き回っていても音楽など聞こえて来やしない。でもバーにはピアノが据え付けられていて、弾き手や歌い手がたむろしている。なので、音楽を聴けるのはこういう歓楽の園でだけ。これまでは人の話し声や馬車の闊歩、労働の音くらいしかなかったのが、この章を開けるとにぎやかになる。
 午後4時。オーモンド·ホテルのバーに人が集まる。 この章が「セイレン」であるのは、冒頭に登場する酒場の女給二人が客を招き入れているから。招かれた男たちは快楽の園で愉悦にふける。神父がピアノを弾き、サイモン・ディーダラスが見事なテノールを披露する。それがあらぬか、ブルームの意識は音楽に呼応する。音の連想で、韻を踏んだ言葉遊びを楽しむし、短い単語を羅列してリズムをうつし、文章や単語を全部書かずに途中で切ってしまうし(ピアソラの前の拍を食い合うリズムというのを思いだした)。前の章のような引用合戦とはことなる趣向を使っている。
 ブルームはワインを片手にレバーとベーコンのフライを食べる。午後1時ころの「8.ライストリュゴネス族」でブルームは軽食を取ったのだが、歩き続けて腹が減ったのだね。腹がくちくなると、セイレンの甘美な歌に魅せられて、性欲も昂進し過去の情事を思いだす(同じ時間に妻のモリーは興行師ボイランと寝ているらしい)。一方、息子の死を思いだして落ち込んだりする。性と死と食はたがいにつながっている。
 それにワインを飲んだのがまずかった。午後1時ころの「8.ライストリュゴネス族」でおかしくなった腹具合がますます悪くなる。そんなときでも、すかし屁を言葉遊びにしてしまうブルーム。 最後は「≪終れリ≫(ダン)」と訳しているけど、おれは「ダン(≪終れリ≫)」のほうがいいと思った。()はルビ。この音楽の文章化と形式化を行った文体実験の最後が豪快な太鼓の音で締めくくられたほうがよい。

 

12.キュクロプス
 午後5時。ブルームは人と会うために酒場に入るが、そこでは「市民」となのる名無しの男を中心に数名が飲んでいる。ブルームは誘われてそのグループに入るが、次第に険悪な雰囲気に。死刑や不倫やスポーツなどの町のうわさ話なのに。それは、市民のグループがアイルランド愛国者なのにブルームがユダヤ人であるからで、ブルームが酒を飲まずに彼らの噂話に反論したりマンスプレイニングをしたりするからで、そのうえブルームは競馬で大穴を当てたのに彼らにおごらないから(「5.食蓮人」でブルームはこのグループの一人と雑談して、大穴を出した馬と同じ単語を口にしていた)。ブルームが「裁判所に行く」といってでていったあと、グループはブルームの悪口で盛り上がり、馬車に乗り込もうとするブルームにビスケットの缶を投げつける。
 スティーブンは「若い芸術家の肖像」で家庭・宗教・国家から離脱することを宣言し実行したのだが、ブルームはダブリンにずっと住んでいながらこれらから疎外されているのだった。家庭のことは他の挿話で触れられているのでおいておくとして(でも自分の不倫、妻モリーの不倫はこの小説の重大なテーマ)、この挿話では宗教と国家からの疎外がはっきりする。ダブリンに長年住んでいるとはいえユダヤ人であるブルームはなかなか生きるのが難しい。組合のあるような職(パン屋、靴屋、肉屋、大工のような中世からの職能団体のある職業)に着くことはできないので、ブルームは職を転々としている。今の広告取りも数年前に始めたことで、「市民」たちのグループは過去の職や浮気などをよく知っているから、ブルームを民族差別・宗教差別をからめてからかうのだ。それに丁寧に応答するブルーム。マイノリティは激高することも泣くこともできない。感情を表すことがさらなる差別を誘発するのだ。それを知っているからこそのブルームの反応(日本の文芸評論ではこの指摘がでてくることはないだろうなあ)。「市民」たちのナショナリズムは反英国。長年のイギリス支配で、言語や宗教、政治などが抑圧され、民族性が抑圧されている。その状況に不満をもっているからこそ愛国心が高じる。しかしダブリン市民の下層階級の(一部の)ナショナリズムは、他国への排外感情も含んでいる。アイルランドの優越をたたえるのは自然としても、同時にイングランドスコットランド、フランスへのヘイトスピーチもでてしまう。そのうえ、抑圧されている側のアイルランド人がその地のさらなるマイノリティであるユダヤ人に差別をぶつける(なるほど19世紀末から20世紀半ばまではヨーロッパのどの国でも反ユダヤ主義が強い国民運動になっていた)。そのためにユダヤ人は、支配しているイングランドから差別され、その支配下にあるアイルランド人からも差別されるという状況にある。これがブルームの宗教と国家からの疎外。これまでの挿話ではブルームの軽薄さや下品さ、道徳感情のうすさなどが気になっていたが、この人が置かれている複雑な状況を勘案しないといけなさそう。
(「市民」の愛国的ナショナリズムアーレントを使って分析したくもなるが、夏目漱石トーマス・マンの感想で書いてきたことを繰り返すだけになりそうなので、やめておこう。ふたりの文学者と異なるのは、アイルランドがイギリスの「植民地」であることで、植民地から生まれる民族差別であるところ。)

 さて、この挿話では話者がスティーブンやブルームではなくなる。これまで彼らの「意識の流れ」をずっと追ってきたので、読者はなんとなくの親近感やキャラの特権的存在になれていたが、話者が代わったこの章では「主人公」であるかれらもダブリンを歩き回る普通の人々であって、文学的な特権性がない。それはブルームに利害関係のない第三者の観察によるものだから。それにこの話者はとんでもない博識であって、事態の推移に合わせて過去のさまざま文体(古代・中世・近代の文芸作品に、さまざまな新聞、法的文書など)のパロディでその場を描写するという離れ技をしめす(訳者・解説は観察記録とパロディの話者を別人としているが、ここはひとりが芸を披露しているとみていいのじゃない。それこそこのあとの「14.太陽神の牛」でそうしたように)。
 いったい誰なのだ?というのが当然でてくる疑惑であって、柳瀬尚樹は犬であるという説を唱えている(という)。その線で読むことは可能かという視点でこの挿話を読んでみると、語り手の「おれ」は冒頭で掃除夫にモップで目玉をつかれるわ、「市民」が連れている犬ギャリオーエンと険悪な関係になるわ、会話の記録がテーブルの下の床で聞いているようであるわと、柳瀬説に好意的になれそうな記述をいくつも見つけた。「おれ」は市民のグループやブルームといっさい会話せず、ただジョー・ハインズとだけ会話する。なので「おれ」は人であるともいえるのだが、ジョーがしゃべっていることは「おれ」の発言がないものにしても成り立つ。そうすると、言葉の通じない「犬」を話者にしてもつじつまがあう。(すなわちジョー・ハインズは飼い犬と一緒に酒場に入り、「市民」が連れている犬と喧嘩にならないように席を取った。)

odd-hatch.hatenablog.jp


 思えば、話者を人間以外にするのは近代の小説、ことにエンタメではよくあること。女の服にたかったノミが女の情事を記述するという艶笑小説は中世からあったはずだし、19世紀ビクトリア朝のエロス文学にもあったはず。当然ジョイスも読んでいたでしょう。

 

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2023/10/16 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)13.14 「猥褻文書」にされた章と英語散文文体の博物館。 1922年に続く