odd_hatchの読書ノート

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ジェイムズ・ジョイス「若い芸術家の肖像」(岩波文庫)-I、II スティーブンは優等生で、作文がうまいが、コミュニケーションはうまくいってなさそう。

2023/10/27 ジェイムズ・ジョイス「若い芸術家の肖像」(集英社文庫)-V 他人といることで孤独がいや増す文体と観察を持った小説、 1914年の続き


 再読は2007年にでた大澤正佳訳の岩波文庫で。こちらは訳注がほとんどないし、脚注もない。なので、物語の流れを中断されることがない。本文と訳注をいったりきたりする回数が少ないのはありがたい。


 サマリーは集英社文庫版の感想ページに書いたので、ここでは思いついたことだけメモする。

1.ディーダラス3歳から10歳ころまで。
 この年齢を小説にする作家はたくさんいるが、たいていは懐古・回顧の感情がはいりこんで、大人の視点による反省がはいってしまう。なので文章もその年齢にしては大人びていて、語彙や感情がその年齢と乖離してしまう。物語からみて未来の視点があって、現在の言動をそのあとに起こる結果から良し悪しを判断してしまう。多くの自伝的小説はそういうもので、あんまり楽しくない。でも本書が貴重なのは、その年齢の語彙と文体で書かれ、その年齢にふさわしい感情と判断で書かれていること。主人公デダラス(と訳者は表記)は1世紀以上も前の少年だが、彼は我々の子供時代にいたのだ。

・冒頭は3歳ころの記憶。いたずら(テーブルの下に隠れる)のが見つかって父に咎められる。これが最初の記憶。楽しいことや嬉しいことではなく、たしなめられる・怒られることのほうがショックとして記憶に残るのだ(そういえば俺の最初の記憶も父に怒られたことだった)。

・そのあと書かれることも、まず被害に会う(厠に突き落とされる、いじめで眼鏡を壊される、不当な理由で折檻を受ける)。それを乗り越える過程で嬉しいことが起きる(友人ができる、校長の共感を得る、学寮生の賞賛を浴びる)。以後、これが本書の挿話のパターンになる。問題そのものが解決されることはないが、代償があり、とくに他人の共感や賞賛は失敗の恥やいじめの屈辱を越える嬉しさになる。それが人生に起こることなのだね。

・この部の最後の挿話では、学寮生の何人かが退学することになる。その理由は噂では、ミサのワインを盗み飲みしたか、トイレで男色行為をしたため。このときデダラスはとくに感情を示さないが、数年後に、デダラス自身が娼館に通いつめるという違反行為を行う。のちに自分が起こすことが先取りされているのだ。
・デダラスは人付き合いがよくない内向的な子供。ぼんやりと物事を考えているのが好き。学寮の生活や友人の手引きで発見するのが、詩やなぞなそなどの言葉だ。言葉を使うことは何よりも楽しいゲームであり(19世紀末の学寮では読書ですら制限されていた)、生涯楽しめるものになった。
(1889年にアイルランドの民族運動を指導していたパーネルが不倫で失脚。これがアイルランドナショナリストに深刻であった様相が第3挿話にでてくる。ことに民族と宗教は一致しているというナショナリズムの確信が失脚理由によって失われてしまったようだ。パーネル批判者は宗教を擁護し、パーネル擁護者(父サイモンなど)は宗教を批判する。スティーブンは口論から絶交までを見ているだけだったが、のちに民族と宗教から離反することを決意する。ここでものちに起こることを先取りしている。)

 

II.ディーダラス10歳から14歳まで。
 引き続き学寮生活。言葉への感受性の強さ、読書へののめり込みは早熟な子供にみられる傾向。この第2部で顕著なのは、大人の存在が低くなること。思春期になって知的好奇心が生まれ、そこに独我論が形成されるにつれて、自分が特別であるという思いが強くなる。そうすると、大人(会うのは家族と学寮の教師たちだけ)はうっとうしいか、単純で何も考えていないのにあくせくしているだけの怠惰なものに見えてくる。意図的か無意識か大人と距離を置くようになっていく。もちろん大人はこの年齢の未成年も子供とみなして抑圧的になる。そういうことの積み重ねで、スティーブンは父サイモンに幻滅していく。これ以降のスティーブンの行動性向はアンチ・サイモン(反サイモン)であろうとするようになる。饒舌で激情家である父に対して、寡黙で冷静であろうとふるまうようになる。
 代わりに同世代・同年齢の他のあれこれが気になり、勉強や知的興味やスポーツや腕力などで、違いを意識するようにもなる。とくにこの部の主題は性愛。隣の家の女の子に興味をもち、彼女が自分を見ているのではないかと妄想して、現実において挫折する(「Araby (アラビー) 」@ダブリナーズをスティーブンは繰り返す)。そのあと作文の報奨金で一時的に金を持ったので、浪費の末に娼館に赴く。以後の快楽の園の経験は第3部で語られる。ここで目を向けるのは、スティーブンは女性と対等の関係になったことはなく、性愛と官能は経験しても、恋愛がないことだろう。先取りしていいえば22歳になった時の「ユリシーズ」においても、スティーブンは恋愛を経験していない。「Araby (アラビー) 」の「僕」は女の子とおしゃべりしたけど、スティーブンにはそれがない。
 スティーブンは学寮で優等生で、作文で天才のひらめきをもっているが、ことコミュニケーションにおいてはうまくいっている様子がない。寡黙なのに、ある話題に関しては饒舌になり、他人に対しては皮肉っぽく、他人の親切にうまく答えることができない。上司(教師や校長など)とは如才なくふるまえるのに、対等な関係を作るのは苦手。たぶんそれが理由で、他人はスティーブンの前ではリラックスできないようなのだ。そういう彼の行動性向の最初がうかがえるのがこの時期。傍目の立場でスティーブンをみると、やっかいでめんどうなアンファン・テリブルだ。

 

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2023/09/29 ジェイムズ・ジョイス「若い芸術家の肖像」(岩波文庫)-III、IV スティーブンはまじめで禁欲的な外見と常習的な娼館通いの堕落に分裂している。 1914年に続く