odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ウィリアム・シェイクスピア「冬物語」(白水ブックス) 王や貴族らは幸福であるには心の平静を保つことが重要。心が動き回ると暴君になるか、自己にきつい懲罰を課すか。

 シチリアボヘミアの王様は幼少期から仲がよく一緒に遊ぶことしばしばだったが、即位後は多忙でなかなか会えない。しばらくぶりのボヘミア王の来訪にシチリア王は喜ぶが、虫の知らせがあってボヘミア王は変えると言い出す。シチリア王は妻にボヘミア王を引き留めるよう依頼し、妻はよく説得したが、あまりにボヘミア王に親しげであると嫉妬し立腹するのだった。シチリア王は家臣にボヘミア王の暗殺を命じるが、思い悩む家臣はボヘミア王に陰謀を話してしまう。兵の包囲が完了する前に家臣の手引きで脱出。それを聞いたシチリア王は妻を不倫と国家転覆の陰謀で裁判にかける。激怒するシチリア王は息子を放逐し、出産したばかりの娘を別の家臣に捨てるように命じる。これらの施策は正しいと思われたが、先に送った使者が持ち帰ったデルフォイの神託はシチリア王が誤っているのであり、失われた子が見つかるまで世継ぎを得ることはできないという絶望的な予言なのであった。
 それから15年、ボヘミアの海岸(な、なんだって!?)でシチリア王の娘は羊飼いの手によって保護されていた(ここまでの話は「オイディプス王」に極似)。ボヘミア王の息子はこの娘にぞっこん。若い二人は愛を育み、結婚を意識していた。村の祭りの日、極秘に結婚式をあげようとすると、お忍びで息子の行状を調べに来たボヘミア王は父の承諾を得ないのかと忠告するも、王子はわけあって話せないが結婚はするつもりと返事する。激怒したボヘミア王は息子を追放。シチリア王の元家臣はシチリアに戻り、王の慈愛を期待しようと提案する。そして若い恋人たちと家臣はシチリアを目指す・・・


 1611年作と言われるロマンス劇。20世紀の「ロマンス」ではなく、中世からルネサンス期に書かれた物語の総称としての「ロマンス」を踏襲したものという意味らしい。なるほど、王家の家族や世継ぎが問題になり、暴君による残虐な裁判と刑の執行があり、神の宣託がありその言葉から逃れることはできないのであり、貴種流離の末に若い恋人たちができて上の世代の確執を解消したりするなど、中世の物語によくあるパターンが頻出。見ている人たちもすでに知っている物語として、安心して楽しんだのだろうな。同時期の「あらし(テンペスト)」同様、このあとのゴシックロマンスに続いたのだろう。
 目が行くのは、シチリア王とボヘミア王の暴君たち。彼は他人の意思を重要に思わず、自分の欲望に反する行為をされるとすぐに嫉妬し、激高し、我を忘れて、他人に攻撃的になる。家臣や妻や侍女らは暴君をいさめようとするが、暴君にはその戒めや忠告すら陰謀や悪意に感じ取って、ますます怒り狂う。その結果、自分の過ちをより権威の高い者(デルフォイの神託も含む)に見せつけられると、一気に反省し自己に懲罰を与え、世界の苦しみを一身に背負うような悔悟をみせる。それは事件の起きた15年後でも継続していて、当時の平均寿命からすると、人生のほとんどの時間を悔いと自己懲罰に生きることになる。なるほどこのような神話や伝説があればこそ、シェイクスピアの150年後のアダム・スミスは「道徳感情論」ほかで幸福は心が平静であると説くわけだ。人生を豊かにするには必要な分の富がいるのであるが(スミスは富の配分をどうするかを「国富論」で書く)、富の問題がない王や貴族らは幸福であるには心の平静を保つことが重要なのだ。そのためにはスミスの議論を借りれば、他人を観察し交流することで自分に「利害関係のない公平な観察者」をつくり、行為や判断がそれに照らして正しいかを確認すればよい。暴君らの心の不安定を観察することは「公平な観察者」を育てるよいケーススタディになるのであった。

 

 大場建治「シェイクスピアを観る」(岩波新書)によると、シェイクスピアは「冬物語(大場は「冬のよばなし」とする)」で一世一代のトゥール・ド・フォルト(バレエ用語。転じて「驚嘆すべき離れ業」の意)を仕掛けているという。すなわち、第3幕の大詰めでシチリア王に弾劾された妻は産気づいて退廷したあと、死亡したと伝えられるのだ。生まれたばかりの乳児にはつれないシチリア王も愛する妻の死は衝撃であった。死の理由が王自身による糾弾であるだけに強い責任と喪失感を持ったのだ。それから15年後、ボヘミア王が訪れたとき、妻の忠実な侍女が腕の立つ彫刻家に妻の立像を作らせていたと知らせる。その像はとても見事で、しかも15年のエイジングも表現していた。みなが感嘆する中、王は立像が動いたのに気づく・・・。
 実は劇の中で妻が死ぬ様子は侍女によって語られただけなのである。その後の葬儀の様子は語られていないが、おそらく「ロミオとジュリエット」のロレンス修道僧が用意した者と同じものが流通していたのであろう。彼女の語りが痛切かつ迫真であるからこそ、このトリック(というのは探偵小説用語であって、古典劇ではトゥール・ド・フォルトという)が成立したのである。それも超自然的な解決に頼らずに。それゆえに、長年月のあとに父と娘の再会が達成するというカタルシスが際立つ。
 ほかには3幕までのシチリア王室での暗い悲劇的な調子が4幕以降ボヘミアの野外の祝祭的牧歌的雰囲気になったとか(羊飼いが正義の象徴であるとか道化や詐欺師が笑いやサスペンスを持ち込むとか)、女性の主張が過去作に比べるととても雄弁になったとか、シェイクスピア最後期の作品はみどころ読みどころが多い。

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(このあたりは大場建治の上掲書が詳しく説明しているので、ぜひ参照のほど。いやあ、シェイクスピアを語るのは難しい)。