odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

貝塚茂樹「中国の歴史 中」(岩波新書)-1 五胡十六国・南北朝から隋・唐まで。中国はいつも人口過剰なので、労働生産性をあげたり機械化する意欲に欠けていた。

2024/02/15 貝塚茂樹「中国の歴史 上」(岩波新書)-2 秦・漢から三国志の時代まで。都市国家連合から官僚による専制国家が誕生。 1964年の続き

 

 最初のミレニアム期を駆け足ですぎる。前半は国がころころ変わるので、高校の歴史でもあっさりと通り過ぎるところ。でも、現在の中国につながる大変革が起きていた。

三国志の時代を過ぎて晋が統一したころから周辺民族が移住するようになった。主に北と西の遊牧民。農耕生活をはじめ漢族に同化するものもあれば、民族集団を維持するものもあれば、奴隷になったりするものもあった。漢族からは差別の対象になる。のちに国を作った時には、漢族にジェノサイドを行い、その逆もあった。
・周辺から移住してきた民族が国を建てて五胡十六国時代になる。ここで民族大移動が発生。北と西から周辺遊牧民族が移住してきて、それに押されるように漢族が南下する。移動した漢族は客家と呼称され、土着の漢族と交わらず、独自の集団・共同体を作った。リンクによると、この時代の客家は第2段階のもの。

ja.wikipedia.org


・民族大移動によって律令制が崩れ、土地所有があいまいになった。政治が不安定だったが、文化芸術学問は隆盛する。儒教がすたれ、道教が流行し、個人主義懐疑主義の思想運動がおこる。仏教の受容が始まる。

・589年に隋が中国を統一。律令制科挙が行われる(以後歴代王朝はこの二つを踏襲)。国家的土地所有制である均田制を行い、戸籍制度ができる。黄河揚子江などをつなぐ大運河を建設。
(これらの隋の政策を列島の大和王朝は模倣したのだね。均田制はすぐにダメになったが。)

odd-hatch.hatenablog.jp


・隋は外征失敗と農民戦争によって滅び、628年に唐が建国される。儒教政治、中央行政組織の整備、法制(律令格式)完備。科挙、均田制、府兵制(徴兵制)など。西域にトルコ系の国ができたが、瓦解させることに成功し、周辺諸国朝貢して従属化する。内外ともに安定し、世界帝国になる。(俺の妄想では、隋代までの耕作放棄地を整備して土地所有を明確にし、税を軽くして民間の経済を活発にしたのが成功のもと)。建国から200年間が絶頂期。

・暗雲漂うのは、以下の循環のため。人口増→一人当たりの農地減→税負担大→逃亡→府兵制崩壊→地方軍閥割拠→農民戦争→官吏(宦官)の専横。人口増が生産性の拡大を超えてしまって、一人当たり生産性が落ちた。一方新規産業は立ち上がらなかったので、過剰労働力を受け入れる先がなかった。
2018/03/26 宮崎市定「世界の歴史07 大唐帝国」(河出文庫) 
・全土に戦禍が広がった農民戦争が複数回起きて、907年に唐が滅亡。再び群雄割拠の時代になる。

 

 中国の特長は一貫して人口増があったこと。自分の知っているヨーロッパでは数世紀に一度くらいの間隔で感染症が蔓延し、人口が劇的に減少した。また天候不良などの不作も人口を減少させた。でも中国ではそのような事がない。感染症は起きても局地的で全土に広がらないし、不作も局地的。風土が人口を増加させるのだね。いつも人口過剰なので、労働生産性をあげたり機械化する意欲に欠けていた。さまざまな発明がおきても、影響は少ない。社会のしくみを変える意欲も起こらない。

 

odd-hatch.hatenablog.jp

 

貝塚茂樹「中国の歴史 上」(岩波新書) https://amzn.to/3OV9EU7

貝塚茂樹「中国の歴史 中」(岩波新書) https://amzn.to/3OwXFMf

貝塚茂樹「中国の歴史 下」(岩波新書)  https://amzn.to/3w67A57

 

2024/02/12 貝塚茂樹「中国の歴史 中」(岩波新書)-2 五大十国・宋から元まで。同じ中国文化圏のなかで分裂と統合を繰り返す。 1969年に続く