odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

朝日ジャーナル編集部「闘う三里塚」(三一書房)

 三里塚中央公園に行って印象深いのは、開港4年目の春の集会。そこにつくまでいろいろあったけど割愛し、さらに本集会前にさまざまなグループが集会をやっていたりとか春の雨がふってレインコートを着ていたとか、個人的なおもいでがあるけどそれも割愛して、本集会が始まってからこと。支援団体の演説は退屈であったのだが、目が覚めたのは、同盟のひとりが登壇し短い演説をしたとき。演説自体はどこかの機関紙にのっていそうな紋切り型だったのだが、演説者の顔に仰天した。彼はよくみるインテリや学生くずれではなくて、百姓の顔をしていた。自分の親が農家の出身なので、泊りにいったり、手伝いをしたりすると、人が出入りし、訛りの強い言葉で現状をしゃべる。それを横で見ていたから百姓の顔はよく知っている。その顔が、左翼機関紙に出てくるような言葉で空港建設反対を力強く主張していた。

 この本は1970-71年にかけて朝日ジャーナルに掲載されたさまざまなレポートを集めたもの。最初の強制代執行が行われたときの頑強な抵抗と反対運動があった。そのとき、反対する人たちは、まず大人の男が反対同盟をつくり、老人は老人行動隊を、女性は婦人行動隊を、未婚の男女性は青年行動隊と、小中学生は少年行動隊を組織する。それぞれ独自に行動する。なにしろ小中学生が同盟休校し、学校で全校集会を招集し、校長や教師をつるし上げる。彼らの論理は、大人の教師を絶句させるほどの鋭さを示す。よごとに集まって議論し、運動をする中で、おのずと彼らは自分の言葉で語るすべを獲得する。その結果を自分は集会でみたわけだ。言葉のみならず、肉体のせめぎあいも辞さない。強制代執行になると、百姓のおやじは糞をかぶり、青年や少年はガードマンや機動隊に体当たりし、老人は土地に空けた地下壕にもぐり、おっかあは自分の体を木に鎖で固定した。なんというか、都会のインテリや学生、知識人では思いもよらない行動(しかし農民一揆の記録に照らし合わせれば伝統通りなのだ)をとる。まあ、その種の一揆的な行動はたとえば蜂の巣城でもみられたとはいえ、これほど広範囲で、しかも首都に近いところで起きたというのが驚きだった。もともとは戦後の入植者の集まりで、保守的で体制順応的な人々であると思われていたので。驚きは、現場に行き、彼らと話をし、強制代執行を目撃した人たちによるこの本に収録されたレポートによく表れている。
 工事を強行しようとする政府や公団は、メンツを守る以外の動機がないと思うくらいに、卑劣で暴力的だった。機動隊が少年や老人に暴力をふるい重傷を負わさせる一方で、彼らにたまたま触れるだけの行為で公務執行妨害で逮捕する。あるいは、深夜の道で待ち伏せて、会議後に帰宅する反対同盟員をリンチする。デモや抗議行動を暴力的に排除し、人々に傷を負わせ、むやみに逮捕する事例はこの時代に頻繁であったとはいえ、ひどいものだった。
 政府や公団は「話し合いの解決を」といいながら、現地に来ることはなく(なにしろ強制代執行の現場にいない)、町長・市長に対応を丸投げ。市長や町長らは反対者に集会参加を求められると、当日にドタキャン。まあ、無責任のしくみが上から下まで貫徹しているわけだ。この無責任のしくみは、1980年代初頭に別の運動で自分も体験したこと。対話や説明会がなんどすっぽかされ、彼らの秘密会議で決定されたことか。まあ、住民・市民・国民をなめきっていたわけだ。そのうえ小心で卑劣。なんともいやな気分になる。
 この本は1971年夏までのレポート。その後、政府・公団と反対運動のせめぎあいはますます熾烈になっていく。重傷者や死者のでる事態もおきた。政府・公団のやり方に反感を持つ一方、反対同盟の支援団体はテロルをしかけたり内ゲバを起こしたりする。憎悪の拡大と、報復合戦は、気軽な気持ちで運動に参加することを困難にする。それが運動を孤立させるという循環が進んだ。反対同盟も最初の団結力を失い、2派とも3派とも数えられるように分裂する。
 この住民運動を語るのは、難しく、口ごもるようにするしかない。公共の福祉と私的所有の優先をどのように両立するかという問題がありながら、そこに分け入るまでのできごとのすさまじさに、自分のかかわり方を見失ってしまうのだ。少数者の私的所有権を侵害してまで公共の福祉を強行してはならない、あたりで21世紀はコンセンシャスを得るようになったのかな。GDPとかGNPの増加は目的にであるわけではないということだ。
 ああ歯切れが悪いなあ。自分も閉塞感を味わう状況にいた時に読んだので、そのときには鼓舞され、勇気づけられたものだ。