odd_hatchの読書ノート

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工藤庸子「宗教vs国家」(講談社現代新書) 第三共和政のフランスは公共空間から宗教を排除した

 政教分離は近代の国民国家の前提になっているが、国によってありかたは異なる。たとえば、アメリカでは議員が宗教団体の集会に出ることは承認されている。イギリスでは国教会があり、聖職者には一定数の上院議員の割り当てがある。ドイツでは聖職者は国から給与が支払われる。

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 しかしフランスではいずれもダメである。なぜフランスの政教分離はかくも厳密であるのか。それを19世紀のフランス史で、多くの小説を参考にしながら解読する。登場する小説は、ユゴー「レ・ミゼラブル」、フローベル「ボヴァリー夫人」、モーパッサン女の一生」、ゾラ「ルルド」。これらの読みはみごと(「レ・ミゼラブル」のマリウス神父の経歴から革命の影響を見るなんて思いもつかなかった。自分が読んだのは縮約版なので省略されていたのもあるけど)。

 フランスはカソリックの国であって、過去にはプロテスタントとの内戦や虐殺もあった。そこで宗教寛容令がでたりしたが、政教分離を政治にしたのはフランス革命以後。このときに「ライシテ(政教分離)」が制度的な決断となった。実際、革命政府は聖職者の追放などラディカルな政策をとる。しかし、国民は宗教的情熱をすてたわけではなく、生活に深くねざしたところで宗教と宗教組織が関係していた。19世紀は革命政府は倒れ、帝政と共和制が交替する。そこでも、聖職者や修道士・修道女らは社会参加をよくしていた。ことに教育や医療、孤児院などでは彼らの活躍に依存していた。フランスには革命の意志を受け継ぐ共和制とカソリックの組織化という二面があった。
(1866年の調査によると、フランス人3800万人のうち、カソリック3710万人、プロテスタント85万人、ユダヤ教5万人とされる。)
 修道士・修道女だけでなく、女性はさまざまなアソシアシオンに加わり社会活動を行った。たとえば霊泉ルルドのボランティアなど。これは当時のフランスがマッチョでパターナリズムな社会であり既婚女性は単独で家の外に出ることができなかったが、宗教活動や無報酬のアソシアシオンに加わると家をでて責任ある仕事に従事して解放されたから。それもあって、国民生活の重要なところに宗教が関与していた。
 それが1880年代の第3共和制になってから教会を政治から切り離すようにする。宗教団体のアソシアシオンを解散させ、公共空間から宗教者を排除した。象徴的なのは学校から十字架を外したこと。教師や父兄の反対が強かったので、軍隊が投入された。あわせて多くの教会が破壊された(国民は受け入れ参加していたという。男性の宗教離れが進んでいたのもある。この心情は日本の廃仏毀釈に似ているのかも)。で、現在に至る。とはいえ、国民の宗教感情が冷めることはなく、宗教的なアソシアシオンに参加したりボランティアを行ったりしている。(21世紀には増えてきたイスラーム政教分離の解釈の違いでトラブルが起きている。とくに学校でイスラムの女性がスカーフを外さないことについて。これは上の学校から十字架を外した行為の記憶の延長にあるかもと著者は言う。)
 こういう政教分離の過程を見る本書のストーリーからは傍流になるが、感心したことがある。
・19世紀のフランスではなんども「革命」が起きて、市民による市の占拠があった。そこでは、市民の政治参加が活発になり、さまざまなアソシアシオンやコミュニティが政治の空白による混乱を引き受けていたという。マルクスは1848年の革命を失敗と断ずるが(カール・マルクス「ルイ・ボナパルトブリュメール十八日」)、そういう評価は一面的だと指摘する。アーレントの「革命について」でも出てこないので(1792年の革命を主題にしているので当然)、新鮮な驚きだった。

・フランスで反ユダヤ主義がつよくなったのは第3共和制の時。ドレフィス事件が代表。このとき、保守や社会主義者反ユダヤ主義を煽った。

・市民(シトワイヤン)が現れたのはフランス革命のとき。市民は政治参加し権利と義務(納税と兵役)を持つ人たち。ドイツの市民(シトワヤン)とは違う意味のようだ(福吉勝男「ヘーゲルに還る」(中公新書)本書では国民全部が市民になったとされる。でもたぶん納税しない人、地方の農民、女性、異教徒などは排除されていたはず。ここは別書で補完しないと。

 最後に「政教分離」について。「政教分離」は、国教をもたないこと(国家は宗教行事を行わないこと)、国家が信仰を強制しないこと、立法行政司法に宗教組織を入れないこと、だと思った。この基準からすると、戦後日本は建前上は国教がなく、信仰の強制はないが、立法に宗教組織が関与していて、「政教分離」はできていないとみなせる。

 著者はフランス文学の研究者で翻訳家。コレットの紹介で有名、だったと思う(未読)。本書の意図は文学を通して市民をみる、小説を読みながら歴史的考察を行うということ。自分の読み方に近いので、読みでがありました。2006年刊行。

 

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