odd_hatchの読書ノート

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ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル 上」(角川文庫)

 19世紀の小説の中ではとりわけ有名。いくつかのエピソードは小学生のころから知ってはいても、全体を読むことはめったにない。なにしろ新潮文庫(全5冊)や岩波文庫(全4冊)などの分厚い全訳を読み通すのはきわめて困難。そこで、角川文庫の縮約版を読む。1960年代に英語の全訳を参照し、余分なところ、冗長なところを刈り込み、筋の通らないところは前後を入れ替えるなどして混乱しないようにし、しかし原文はみだりに改編せず、作家の思想や主張が意図通りになるようにした。その結果、全体の約40%の分量に圧縮されながら、ほぼ著者の文章でこの大作を読むことができる。角川文庫版では上下2巻で、850ページくらい。これは昨今の分厚いエンターテインメント小説とほぼ同じくらい。これでハードルはそうとうに低くなった。さっそく読もう。

前史 ・・・ 貧困でパンを盗んだジャン・バルジャン。窃盗で5年の懲役。複数回の脱獄が加算されて合計19年の懲役となった。41歳で出獄したものの、世の風は冷たく、悪しざまにののしられ、宿泊を拒否される。最後にたどり着いたのは教会。司祭のもてなしのあと、深夜銀食器を盗んでしまう。捕らえられたジャンをみて司祭はさらに銀の燭台を忘れたという。呆然とするジャンは子供のおとした銀貨を無理に取り上げる。その意味に気付いたのち、彼は慟哭する。
第1部フォンテーヌ ・・・ さて貧乏な娘フォンテーヌがいる。都会で勤めを探そうとしたものの受け入れ先はなく、行きずりの男との情夜で子供を産む。故郷に帰る途中、子供を宿屋に預ける。宿屋亭主テナルディエはフォンテーヌから金を毟り、子供はネグレクトする。フォンテーヌの戻った故郷にはマドレーヌという起業家がいて、数年でこの町に国際的な競争力をもつ企業を作り上げた。そのうえ地元の公共事業に投資し、慈善事業も行う。そうして栄えた街の市長となった。フォンテーヌはその工場に勤めていたが、いきなり解雇に会う(シングルマザーであることが発覚したため)。行く先の無くなったフォンテーヌはマドレーヌに助け出され、宿屋に預けた子供コゼットを手元に戻しそうとするがうまくいかない。ついに胸を病んで(抗生物質のない時代には致命的)、市長の前で亡くなる。ジャベール警部は市長を疑っていた(司祭の食器と子供の銀貨の窃盗)が、別の港町でジャン・バルジャンを告発したと報告する。苦悩するマドレーヌ(見捨てるか、自白するかの葛藤)。徹夜の煩悶ののち、市長は決心をつけ、裁判所に向かう。
第2部コゼット ・・・ ジャン・バルジャン終身刑となる、船で強制労働することになる。ある水夫が帆柱で事故を起こし、だれも助けられない。ジャンは許可を得て鎖と錘とはずし、マストを登って水夫を助ける。その直後、海に転落。死体は上がらなかった。しばらくしてコゼットのいる宿屋にいき、1500フランで救い出す。パリの屋根裏部屋で質素な暮らしをしていたが、ジャベール警部が現れ、クリスマスの夜、ジャンの部屋を襲撃する。事前に察知していたジャンはコゼットをつれて逃げ(このときガス灯に登る。パリのガス灯設置は1830年代から)、偶然に第1部で命を救った老人のいる修道院にかくまわれた(外出しなくてよいので警部の追求はなし)。つかのまの安逸な日々。
第3部マリウス ・・・ 青年マリウスの父は軍人で1815年のワーテルローの戦いで負傷したとき、勘違いで宿屋の亭主テナルディエの恩義を感じ、息子に恩返しをするよう命じて亡くなった。育てた祖父は名家の出であり、18世紀の王政にシンパシーを感じていた。祖父の厳格な教育に嫌気のさしたマリウスは大学法科に進学して、共和主義思想にかぶれ、秘密結社に加入するまでになる。祖父と衝突して勘当され(家出をして)、貧困生活のすえに弁護士の資格を得る。あるとき町で美少女にあってひとめぼれ。名前もしらない少女を探してパリを放浪するがみつからない。安下宿の隣人が食うものがないというので金をやり、思い付きで壁の穴から隣室を覗く。そこにはルブラン実はジャン・バルジャンが訪れ、テナルディエは娘を潟にして脅迫する。周りには悪党4人組も控える。マリウスは父の恩義にかないたいと思いつつ、下劣な男に同情をもてない。そこで部屋の前にいる娘にメモを警察に届けるよう命じる。ルブラン実はジャン・バルジャン絶体絶命の瞬間、ジャベール警部が踏み込み、テナルディエ以下悪党を逮捕する。混乱のさなかにルブラン実はジャン・バルジャンが姿を消す。この脅迫シーンはとても迫真的。20世紀に映画やアクション小説で何度も繰り返されたシーンだが、これがオリジナルか。この数十ページは手に汗握る。すごいぞ。


 主要な登場人物は、ジャン・バルジャン、コゼット、マリウス、テナルディエ、ジャベール警部。彼らの愛憎が約10年にわたって衝突し、ときに屈服し、ときに打倒し、田舎町からパリ市内まで偶然と必然に導かれて出会いと別れを続ける。
 以上第3部まではこれらの主要人物の紹介にあたる。それだけで全体の60%になるという、とても悠々たる流れ。10年間にわたる時間が経過する。ここでの主題は、フランスの貧困と政治の未対応。弱者に対する仕打ちはとてもひどいもので、ジャン・バルジャンのようにパンの窃盗で5年の懲役になるわけだし、いったん前科者となると警察の監視がつく。家賃を払えなくなれば即座に追い出され、路傍で物乞いをするしかない。社会も政治も彼らに救援の手を差し伸べず、せいぜい教会が慈善を行うにしても、資金の少なさは十分な支援を行えない。そうすると、事業の失敗や失業などは即座に人生の転落であり、貧困のどん底にまっしぐらとなる。この当時は政府が経済に介入することがなかったし、社会福祉という思想もなかったので、リバタリアンのごとく人民は放置されていたのだった。その悲惨さのひどいこと(そこからタイトル「悲惨な人々」がつけられる)。
 ここで面白かったのは、第1部のジャン・バルジャンの姿。神父から送られた銀器を資金にしたのか、産業のない街でちょっとした工夫でおもちゃのイノベーションを起こす。それはグローバルな成功をおさめ、事業の拡大と雇用の創出となる。貧困者の集まる地方都市が数年で産業都市に変貌し、この都市の経済が回りだすと全体の収入が増え、波及効果でその他の産業も栄える。ここらへんが資本主義のたくましさ。ジャンの奇特なところは、企業の利益を都市のセイフティネットに回すところ。公共事業が十分になることが、貧困からの脱出と弱者の救済になっていくわけだ。この思想や方法は先進的。21世紀の現代にも通じるはず。あいにくこの国の企業は利益がでても地域に還元しないし、地方から吸い上げて都市に持って行ってしまう(その点、明治から大正にかけてのこの国の企業家はなるほど贅沢はしても、地域に還元したり慈善事業を起こしたりしていた。まっとうな生き方をしていたのは昔の人の方。そのかわり環境への配慮や労働環境の改善にはあまり目をむけなかった)。
 ジャン・バルジャン、フォンテーヌ、コゼットの問題は貧困とセイフティネットの欠如にある。努力しようにも、世間や社会は一度貧困に落ちたものに厳しく、復帰を認めず、差別し収奪する。これが書かれたころから労働組合運動などで労働環境改善や貧困対策などが行われるようになり、20世紀の資本主義国家は社会民主主義的な政策をとるようになった。それによって、多くの貧困者や障碍者が支援されるようになっていった。自分が高度経済成長時代の幼少期に子供向け版を読んだときには、この小説の記述は何とも古めかしいものに思えた。周囲から貧困者は見えなくなっていたから。バブル経済の頃には、この小説のことを振り返る気持ちはなかった。ところが、21世紀になって、この小説はアクチュアリティをもつ。ジャン・バルジャンの、フォンテーヌの、コゼットの貧困と差別の物語は、この国のリアルでまさに起きていることだ。前半の「レ・ミゼラブル(悲惨な人々)」の物語は、1820年代とは思えないほどの迫真力をもつ。20世紀後半の高度成長、経済大国を経てから、この国は19世紀前半に逆戻りしてしまった。

    


2017/02/28 ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル 下」(角川文庫)-1 1862年
2017/02/27 ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル 下」(角川文庫)-2 1862年に続く。