21世紀になってから、ヨーロッパに居住するイスラムが増えた。2004年(本書初出)現在で1500万人ともいわれる。彼らの受け入れ国社会では摩擦が起きて(彼らを規制する動きとそれに対する反発)、イスラムへのヘイトクライムが発生している。民主主義、平等原則を掲げてきたヨーロッパ社会がなぜイスラムを敵視し、排除しようとするのか。ドイツ、オランダ、フランスの事例をもとに検討する。
いきなり本書を読むと背景が見えてこないので、以下を参考にしたほうがよい。カソリックとプロテスタントの対立と虐殺ののちの国家と宗教のありかたのまとめ。国家と宗教の関係は日本とヨーロッパでは違うし、ヨーロッパのなかの国でも制度やシステムが異なる。
保坂俊司「国家と宗教」(光文社新書)
EUに統合されるヨーロッパでは「外国人」のシティズンシップをどのように拡張してきたか。EU域内と域外の出身者によってどういう違いがあるか。シティズンシップの思想と併せて考える。
2017/05/26 宮島喬「ヨーロッパ市民の誕生」(岩波新書) 2004年
序章 ヨーロッパ移民社会と文明の相克 ・・・ 十字軍のころからヨーロッパはイスラム嫌悪と差別をもつようになった。19世紀の植民地化のあと、欧米はイスラムに暴力的に介入したり独裁者を支援したりする。WW2のあとイスラムは移民や移住を開始。主に宗主国に向かう。言語の壁がないことと宗主国が受け入れに寛容であったことが理由。1973年が転換点。石油ショックなどで経済成長が止まると、外国人労働者の募集が停止されたが、一方このあたりから家族の呼びよせが始まり、宗主国にイスラム社会ができた。しかしなかなか同化しない(民族性と宗教を大事にする)イスラムに西洋人は苛立つようになり、難民や不法移民に対する排除や差別が強くなっていく。2001年の911以降、イスラムには厳しい状況になる。
1章 内と外を隔てる壁とはなにか―ドイツ ・・・ WW2敗戦と冷戦体制で労働力不足(東欧の出稼ぎがいなくなる)になったので、外国人労働者を受け入れる。多かったのはトルコ系。低賃金なので低家賃のところに集住する。そこは開発から取り残され、ゲットー化した。1973年をきっかけ(序章参照)に、定住者が増え、二世三世が生まれる。同化の強要、排斥感情があって、民族アイデンティティよりも宗教的なアイデンティティを持つ人が増える。1990年ころからはソ連東欧の解体、中近東の不安定などで不正移民や難民が増える。移民が全人口の9%(2004年ころ)になって、ドイツ人の排斥感情・差別扇動・ヘイトクライムが増加する。
ドイツの側から見た戦後のレポート。
2020/10/02 三島憲一「現代ドイツ 統一後の知的軌跡」(岩波新書)-1 2006年
2020/10/01 三島憲一「現代ドイツ 統一後の知的軌跡」(岩波新書)-2 2006年
(2020年以降、ドイツは積極的に難民を受け入れている。ドイツの難民受け入れはここがまとまっている。
2章 多文化主義の光と影―オランダ ・・・ オランダはリベラリズムの実践場。自由意思の尊重と相互不干渉の原則が徹底している(なので飲酒、軽い麻薬、買春、同性婚、安楽死が合法)。過去にカソリックとプロテスタントが争った歴史があるので、それぞれの文化社会を認める仕組みができていて、それをイスラムにも認めようとしている。しかしイスラムからみると、自由と欲望の氾濫は道徳的退廃にみえ、イスラムの教えに回帰する意思が生まれる。
一方、オランダの白人からすると、リベラリズムは自由意志の尊重と相互不干渉を重視するのだが、新しく入ってきた多文化はいずれの価値にも反するから排除するという行動を生み出す。異なる文化がマジョリティの「自由」を侵害し、コミュニティに干渉してくるから、リベラリズムが重視していることが壊されている。だから排斥と差別が正当化される、と。オランダのイスラモフォビアはこういう理屈で醸成された。オランダも排外主義の極右が台頭している。
多文化共生は、他者の生き方を尊重することと他者を理解することは関係ないことだとする。尊重することは好きになることではないし、相互理解することが必要であるわけでもない。複数の文化が共存できる(他者から攻撃されない)仕組みができていることが大事。
「オランダではイスラムとの共生、異文化共生が議論になるとき、必ずといってよいほど、寛容という言葉が登場する。日本語で寛容というと、広い心、優しい心を持ち、自分とは異なる意見の持ち主であっても平等に処遇することをイメージする。オランダでも、他者との平等を認める点では同じである。/しかし、オランダで言う寛容、あるいはヨーロッパ社会でいう寛容には、もう少し冷徹な意味がある。簡単に言えば、他者に同じ権利を認めるが、他者に関心や共感を持つ必要はないのである。オランダ社会は、イスラームがヨーロッパ社会の価値体系と隔たっていても、同じ社会に生きるムスリムの権利を否定してよいとは考えなかった。キリスト教徒や無神論者に柱状化を認めてきた経緯があるので、/ムスリムにも同等の権利を与えたのである。ムスリムが生きたいように生きる権利を承認するのだから、当事者のムスリムにとっては、生きやすい社会ということになる。ホスト社会の文化との摩擦に日々苦しむということもない。ホスト社会から、絶えず「いつになったら帰ってくれるのかい?」などと問われることもない。スカーフを着用しようが、顎鬚を伸ばそうが干渉されないのだから、先に書いたドイツや、次の章で書くフランスの状況とは大いに異なっている。/だが、生きたいように生きる権利が保障されていることと、他者としてのムスリムへの理解があることとは一致しない。実際、オランダ人の多くはムスリムがどういう人間かを知ろうとはしなかったし、関心も抱いていなかった。スカーフや顎鬚に不快感を抱くオランダ人はいたがそれを表に出して非難しなかったのである(P104)」
オランダの事例から紹介されたリベラリズムの思想から排外主義・民族差別が生まれるという指摘がショッキング。フランス革命の標語は「自由・平等・博愛」と訳されるが、Fraternitéフラテルニテは日本語の「博愛」からは程遠い。人びとへの無制限の愛情ではなく、思想や理念を共感している者・共同体を同じくしている者に対する愛情という意味が強い(そこを強調したのか、米川正夫は同胞愛と訳した)。ヨーロッパ域外からの出稼ぎ労働者や移民、難民の多くは経済的理由と安全を求めてのものだった。そうすると、国民国家を統合する理念や伝統などに共感しているわけではない。ヨーロッパの政教分離を進める世俗主義とイスラムの教えは一致しない。そのような「異人」「外国人」を排除する理由が「自由・平等・博愛」から生じる。啓蒙主義と平等原則は近代以降の国民国家の基本前提なのだが、それを揺るがすような存在になっているのだ。
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2024/04/01 内藤正典「ヨーロッパとイスラーム」(岩波新書)-2 ライシテ(政教分離)を徹底したフランスの場合 2004年に続く