odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-1 宗教改革運動は社会の体制に組み込まれるものと、個人の選択と意思を重視する政治運動に分派する。

 著者には問題がある。

(本書「プロテスタンティズム」の)第19回「読売・吉野作造賞」授賞取り消しのお知らせ 2019/5/17
https://www.chuko.co.jp/news/112323.html
「深井氏の別の著書と論考(『ヴァイマールの聖なる政治的精神』、「エルンスト・トレルチの家計簿」)について、深井氏が院長を務めていた東洋英和女学院大学の調査委員会が今月10日、捏造と盗用があったと認定したうえ、「学術的・社会的影響度は極めて大きく、行為の悪質度は極めて悪質」と結論づけたことを受けた措置です。」

 著書や論考をまとめるにあたり、架空の研究者の架空の論文を「引用」した。その結果、著書は再販しないことになり、大学を辞めた。信用できない著者の本の感想を書いて公表してよいのかという問題がある。本書について版元は次のように声明をだしている。

「『プロテスタンティズム』に関しては、不正行為の疑いが表面化した昨年10月以降、研究者2人に内容の精査を依頼、不正行為を告発した関係者から意見を聞き、さらに深井氏本人からもヒアリングを行いましたが、捏造、盗用などは認められませんでした。」

ということだ。これを信用して読むことにする。

第1章 中世キリスト教世界と改革前夜 ・・・ キリスト教はヨーロッパ化した。ヨーロッパの人の最大の関心は予期せぬ死(食糧不足、医療不足、伝染病など)であり、キリスト教は死後の世界を説明してヨーロッパの人の要求に応えた。問題は懺悔せぬ間の死であり、それにこたえるのが贖宥状(免罪符)であった。これは教会の儲けになり、ローマ教皇領は神聖ローマ帝国(現在のドイツと周辺)を搾取した。

第2章 ハンマーの音は聞こえたのか ・・・ 1517年のハロウィンの日(10/31)にルターが「95か条の提題」を表明した(教会の門に打ち付けたかどうかは確認されていない)。彼は、贖宥状が商品取引や投資になっていることを批判し、教会のリフォーム(立て直し:宗教改革の英語表記)を要求した。分派闘争や新組織の確立を考えたことはない。しかしバチカンは金づるを失うことと、神聖ローマ帝国に権力が移ることを恐れた。

第3章 神聖ローマ帝国のリフォーム ・・・ 教皇はルターを破門して鎮静化しようとしたが、ルターは抵抗する。ルターの影響を受けた農民が教皇や権力に対抗する(ドイツ農民戦争)。次第にルターの周辺が宗派化する。ルターは教会の権威を認めず、聖書のみに権威を認めた。この考えが広まったのは印刷術が普及していて、パンフレットが擦られ各地に配布され読み上げられたから。神聖ローマ帝国バチカンの支配を嫌がっていたので、ルターの行動を許容していた。たんじゅんな宗派分裂ではなく、政治経済の思惑がからみあっていた。

第4章 宗教改革の終わり? ・・・ 中世の制度が疲弊していて不満が蓄積しているところに、教皇に抵抗するルターの影響で領主たちの権力闘争や農民運動などが起きる。1555年の決定でプロテスタントの法的正当性が認められたが、プロテスタントは聖書の解釈でさまざまに分派(フランスはユグノー、スイスのカルヴィン派、イングランドの国教会、スコットランドの長老派など)し、カソリックは堅固なヒエラルキー組織になる。ルターは教会のリフォームまでを考えていたが、その思惑を超える動きになった。

第5章 改革の改革へ ・・・ 分派したプロテスタントを見ると、二つに分類できる。ひとつは中世の支配者が持っている教区を維持する社会の体制に組み込まれたもの。ルターやカルヴィンらの「改革」運動でできたのはこういう宗派。もうひとつは個人の選択と意思を重視する新しいプロテスタント。教会は自発的な結社であると考える。教区という考えがないので、有志が教会を作った。そこでは個人主義、起業精神、自由競争、自由市場、デモクラシー、抵抗権などの近代的な権利他の概念が生まれ、政治活動の実質的な担い手になった。ここにはビッグネームは存在しない。彼らの一部はアメリカにわたり、アメリカの社会の仕組みの担い手になった。最初のは古プロテスタンティズムで現在は保守主義。後者は新プロテスタントでリベライリズム。
(後者にあたるのが、洗礼主義やバプテスト派、スピリチュアリズム教会など。どれも歴史の教科書にはのってこない集団と運動だ。上の説明を読んだ瞬間に、ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、トーマス・ペイン「コモン・センス」、アーレント「革命について」などの本を想起し、フリーメーソンエマニュエル・スウェデンボルグ「霊界からの手記」などにネットワークが広がるのを感じた。)

 

 第4章までは教科書にのっていそうな話。でも本書の見とりで重要なのは、ルター自身は新たな宗教集団を立ち上げる意図はなかった(教会制度の改革をのぞむところまで)、しかし周囲の人たちは権威に対抗・抵抗する姿に感銘を受け「教会に権威はなく聖書にだけ権威がある」というルターの主張を強く展開していった。本人の意思と影響をうけたひとびとの思惑が一致しないのは、たとえばコペルニクスの地動説もそうだった(まあ、イエスキリスト教団にも差異がある)。もうひとつはルターの影響は宗教内部の教義や神学だけにとどまらず、中世社会が変動を必要としているときに現れたので政治的社会的な変動を起こした。社会や制度を変えたい人々がルターと周辺の動きにどんどん参加して大きくしていった。
(その時のぶつかり合いがたとえば17世紀フランスの聖バルテロミーの虐殺。この時の内戦と大量死の経験は宗教の寛容を制度化するきっかけになった。人権の拡大や異文化を許容する運動の源泉になっている。)
 宗教改革が宗教集団内の運動にとどまらず、諸侯や市民・農民を巻き込んだものだったので、のちにプロテスタントを受け入れた諸侯の支配下では、国教になる。政治や制度の支援をうけるようになったので、信者は支配や統治の担い手になった。この動きは教科書では教わらないところ。のちに、ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で分析しているが、解説書を読む限りでは宗教と政治の結びつきが大事だという指摘はなかったので、とても新鮮。とくにドイツ(というかプロイセンか)では政治と宗教の結びつきが強いというのは、ここで指摘されないとわからなかった。

 

2022/03/29 深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-2 2017年に続く