イギリス・オックスフォード大学所属の研究者が2003年に書いた政治哲学の入門書。章立てを見ればわかるように、政治哲学の大問題をわかりやすく解説したもの。日本で政治哲学の入門書を書くと、ソクラテス、プラトン、アリストテレスからカントやヘーゲルを経て20世紀の思想家をたくさん紹介することになるが、ここではホッブスとミル(まれにジョン・ロックとルソー)が顔をだすくらい。自国の哲学者や思想家を俎上にあげるだけで、政治哲学の本ができてしまう。この国のデモクラシーの歴史の厚み(実践と理論)があるからだね。他国の哲学者や思想家を知らなくても済むので、イギリスでは高校や大学のテキストに使われたのだろう。
(それは逆にいうと、現代政治哲学を一通りみるには本書では不十分。ここで枠組みを押さえてから、もっと広範な読書をしましょう。)
1 政治哲学はなぜ必要なのか ・・・ 政治哲学は、善き統治と悪しき統治の本性、原因、結果にかかわる学問。善き統治と悪しき統治が人間の生の質に深く影響を与える。統治の形態はあらかじめ決定されていない。善き統治と悪しき統治を見分ける知識は獲得できる。政治哲学の中心問題の一つはなぜ国家、ないし政治的権威が必要か。政治哲学は時間が経過した後に影響を持ちうる。個人の選択を至高の価値として中心におく。
(政治と宗教の関係を勉強中なのだが、著者のこの考えは西洋中心なのではないかな。統治の目的が神の意志に実現とするような民族・国家ではこの価値観を共有しないし、個人の選択は至高の価値ではない。俺は著者の考えに賛同するが、この考えでは宗教国家との話し合いはできない。うまい考えはないかと暗中模索中。)
2 政治的権威 ・・・ 国家が政治的権威を使いだすのは近代以降(それ以前は公共財の提供などをやらなかった)。政治的権威が提供する安全保障によって人は他人を信頼でき、政治的権威に服従できる(法の処罰を受け入れたり、税金を支払ったり、徴兵に応じたりなど)。この権威がどこから生まれるかの問いには共同体と市場とされる。政治的権威は万能不変ではなく、抵抗や市民的不服従が可能であり、正当であるとされる。
(俺からすると、国家や政治的権威の起源は生産手段をもたず権威を目的にする共同体と共同体の〈間〉にある集団だと思うんだよね。国と個人の間に同意や契約があるのではなく、まず強制力があって、後から同意や計画があるかのように思い込む。)
3 デモクラシー ・・・ 王政や貴族制よりデモクラシーが優れているのは、各人は平等に政治的権利を享受でき、特別な権力を信託されたものは民衆全体に責任を有しているから。でも実際は、自分が直接政治参加するよう努めるのではなく、自分を代表する指導者のチームを数年おきに選択することだけ。そこでは政治的決定が少数の専門知識にアクセスできるものに限られ、民衆は政治に無関心・無知で監視を怠る。多数者の選好が優先され少数者の権利が保護されなくなるという問題がある。公共の議論が大事。
(アメリカのサンデルや亡命ドイツ人のアーレントであれば各人の政治的自由の行使を熱心に説得するだろう。著者がイギリスのオックスフォード大学教授であることで以上の記述に納得。上記の記述で十分と考えるのは、イギリスの政治家は民衆全体に有している責任を強くもっているという暗黙の了解があるからだろう。日本ではその確信を持てないから、政治の説明では仕組みと原理が必須になる。)
4 自由と統治の限界 ・・・ 国家(政治的権威)が無条件に禁止されている人間の生の領域があるというのが近代政治の了解事項。善い統治だけでは不十分であるという了解もあった。もともとは宗教の自由。次第に、職業選択、居住、婚姻、政治参加などに拡張された。自由の意味と限界を示す必要がある。前者は選択肢の範囲と選択する能力であり、後者は物理的な障害と制裁と本書は記述。また自由を実行するコストや制限することによって不利益を回避できることで自由が制限されることがある。自由は他者の気分を害したり、危害になったりすることがある。国家(政治的権威)の介入が制限されることがあり、それは「人権」を呼ばれる。自由以外の原理を考慮することも必要(平等、公平、自然の尊重、文化の保護など)。
(自由はそれだけで大部な本になるような大きな問題。この章では同国人のミルだけが参照される。事例もイギリスに特有なものがあって、ゼミや講読会には不十分。自由の意味と範囲は
苫野一徳「『自由』はいかに可能か 社会構想のための哲学」( NHKブックス)
国家の介入が制限されるのは「人権」だけではないという議論は
米本昌平「バイオポリティクス」(中公新書)-1
米本昌平「バイオポリティクス」(中公新書)-2
この章にも自由の制限の例として出てくるヘイトスピーチに関する議論は
師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」(岩波新書)
法学セミナー2015年7月号「ヘイトスピーチ/ヘイトクライム 」(日本評論社)
法学セミナー2016年5月号「ヘイトスピーチ/ヘイトクライム II」(日本評論社)
法学セミナー2018年2月号「ヘイトスピーチ/ヘイトクライム III」(日本評論社)
別冊法学セミナー「ヘイトスピーチとは何か」(日本評論社)
別冊法学セミナー「ヘイトスピーチに立ち向かう」(日本評論社)-1
別冊法学セミナー「ヘイトスピーチに立ち向かう」(日本評論社)-2
を参照。具体的な自由のなかに政治参加が入っていないのは不十分。自由以外に考慮する原理として正義と公正が入っていないのは不十分。自由と他者の関係は、他者の相互承認、公正の実現、マクシミン原理を使うと自由の範囲と制限がよりよくわかるのではないか。これらの議論をみても、自由は結果ではなく、構想を実践する過程なのだなあ、というのがわかる。自由は常にあるのではなく(さまざまなルーティンでは自由は意識されない。構想を実践する意欲や欲望の現れにおいて現れ、行為の完了とともに消える。まるでジャンケレヴィチが考える音楽みたい。)
(政治参加の自由、共和主義などを考えるときに、アーレントやサンデル、アマルティア・センなどの考えを参照することは大事。アーレントとサンデルの概要はカテゴリーから。アマルティア・センの考えは
2014/06/05 アマルティア・セン「貧困の克服」(集英社新書) 2002年
2016/07/7 アマルティア・セン「人間の安全保障」(集英社新書) 2006年
を参照。)
5 正義 ・・・ (この章は全く不十分。なので、サマリーは作らずつっこみだけにする。正義の類型を分類する。個人の行為と社会正義。分配的正義と交換的正義。この章では正義をリソースの分配で検討する。なので平等であることを要求する。でも平等は人々に有意な差異がないときには成り立つが、実際には差異が存在するので分配は平等にはならない。ロールズは格差原理でもっとも不利な人の便益が最大になるように分配されることを要求するが、著者は一定程度(健康で文化的な生活を送れるくらい)に制限し、好運や努力で成功した人が多く分配されることを肯定する。正義を最大多数の最大幸福とみるような功利主義とする立場だ。功利主義では、ドスト氏が「カラマーゾフの兄弟」などで弾劾するように虐げられ辱められる少数の人々を肯定する。それでは正義にならないというのが、最近の了解事項。正義はここ数年の関心事項なので、興味を持って読んだが、期待外れだった。)
(ロールズの読書は挫折したので、このブログではサンデルとアマルティア・センの議論を参考に。)
6 フェミニズムと多文化主義 ・・・ 近世になってから議論されてきた政治哲学(本書1~5章)は女性とマイノリティを無視してきた。これは政治(学を含む)の怠慢で、無視されてきた人の保障の欠如を意味する。女性とマイノリティは選択肢の範囲が制限されていて、社会的な制限や偏見に傷ついていて、余分なコストを払わされている。
(内容は薄いので、参考文献などで補完しましょう。本書では問題のありかさえわかりません。マイノリティ問題のうちヘイトスピーチは「反差別カテゴリー」のエントリーを参照。)
7 ネイション、国家、グローバルな正義 ・・・ 古代から近世の都市国家(ギリシャのポリスやイタリアの貿易都市など)は外敵脆弱性で滅んだ(より大きな帝国や国民国家には対抗できない)。都市国家では目に見える政治的共同体に忠誠を尽くしたが、国民国家ではネーションが統合の象徴になる。ネーションには隣国への反目や憎悪から生まれる側面がある。ネーションと国家は互いに強化しあう(ときに国民を弾圧して搾取する)。一方ネーションは社会正義や福祉の義務を国民が引き受けるモチベーションになる。20世紀後半からは国民国家を超える動きができている。グローバル企業や国家間経済協力圏など。国民国家に代わるグローバルな政治的権威は構想されるが、人々の政治参加ができない、専制化、政治運動で選抜されたものではないものに権力集中などの問題がある。
(内容は薄いので、参考文献などで補完しましょう。「政治」や「経済」カテゴリーにも参照できるエントリーがあります。)
2017/05/26 宮島喬「ヨーロッパ市民の誕生」(岩波新書) 2004年
2019/07/12 庄司克宏「欧州連合」(岩波新書)-1 2007年
2019/07/11 庄司克宏「欧州連合」(岩波新書)-2 2007年
デイヴィッド・ミラー「はじめての政治哲学」(岩波現代文庫)→ https://amzn.to/4a8jhal
イギリスの上流階級が政治や経済のリーダーシップをとることになるような人々に向けて解説したという趣き。女性やマイノリティの生活がしにくいとか、グローバル化で資本主義のゴミを一手に押し付けられているグローバルサウスの人たちの苦しさとか、失業で金も家もない人の厳しさとかは遠くにあるよう。国際会議で議論している人たちが参考にしているのだろうな、とも。
もっと地面にちかいところで政治哲学を学ぶべきなので、とりあえず有斐閣が大学生向けに出版している政治学や政治哲学の教科書のほうが読みでがあります。
2020/11/05 北山俊哉/真渕勝/久米郁男「はじめて出会う政治学 -- フリー・ライダーを超えて 新版」(有斐閣アルマ)-1 2003年
2020/11/03 北山俊哉/真渕勝/久米郁男「はじめて出会う政治学 -- フリー・ライダーを超えて 新版」(有斐閣アルマ)-2 2003年
2020/11/2 加茂利男/大西仁/石田徹/伊藤恭彦「現代政治学 新版」(有斐閣アルマ)-1 2003年
2020/10/30 加茂利男/大西仁/石田徹/伊藤恭彦「現代政治学 新版」(有斐閣アルマ)-2 2003年
2020/10/29 川崎修/杉田敦編「現代政治理論(新版)」(有斐閣アルマ)-1 2012年
2020/10/27 川崎修/杉田敦編「現代政治理論(新版)」(有斐閣アルマ)-2 2012年
2020/10/26 藤田弘夫/西原和久編「権力から読みとく現代人の社会学・入門(増補版)」(有斐閣アルマ)-1 2000年
2020/10/23 藤田弘夫/西原和久編「権力から読みとく現代人の社会学・入門(増補版)」(有斐閣アルマ)-2 2000年