odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

荒畑寒村「寒村自伝 上」(岩波文庫)-1

 荒畑寒村は1887年生まれ。長じて社会主義者となり、さまざまな活動にかかわる。戦後は代議士にもなった。長命であったので、日本の社会主義運動の生き字引的存在。彼が折に触れて書いた自伝を上下二巻にまとめる。

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空想少年の生い立ち ・・・ 里子に出された坊が遊郭の近隣で育ち、父母との葛藤を経ながら家をでていく。万朝報の内村鑑三の文にひかれた寒村は、次第に堺利彦幸徳秋水に関心が移り、二人の退社の辞に感動する(1903年)。労働者の暮らしを知るために横須賀の海軍造船廠に入り、職人となる。日露戦争開戦を控えた造船廠、21世紀のことばでいえばブラック企業であり、長時間労働・劣悪な労働環境・各種のハラスメント・低賃金などが常態であった。それに怒らず立ち上がらない労働者を寒村は奇異の目で見る。
堺利彦の自伝もそうだったが、幼少時代は詳しく語られる。こどもの行動や感傷は常のものであるが、彼らが明治半ばの1880-90年代を記述していることでがぜん光る。すでに1世紀を経ると、当時の日常はすでに失われた日本の風景なのだ。これは同時代の小説からはわからない情報。)


週刊「平民新聞」 ・・・ 1903-1906年。創刊された平民新聞に感激して社主の幸徳秋水堺利彦に会い、そのまま新聞発行の手伝いをする。社に出入りする者のなかに田中正造がいた。日露戦争勃発とともに大連の満州倉庫に勤務。感冒にかかって帰国。そのご社会主義伝道活動(大八車にプロパガンダのパンフを乗せて、地方を行脚。路上で口上を述べてパンフを売る。売り上げの半分を平民新聞に渡し、残りを宿泊や食事代にする)。官憲の圧力で平民新聞が1905年に廃刊して解散。翌年社会党が結党。東京都電の賃上げ反対闘争を起こす。そのころ19歳の寒村は管野須賀子と出会い、紀州田辺や京都で同棲生活。
(放埓でエネルギッシュなティーンエイジ。親との関係が切れているので、好き放題をしているし、出会った大人の影響を受けて、無思慮に行動に入っていく。傍目には危なっかしい(キリスト教を入信して、社会主義に入れ込み、信仰をすてたり)が、幸徳やことに堺が良いメンターになったのだろう。)
社会主義伝道活動はNHK朝の連続テレビ小説花子とアン」に登場した。花子の父が行商でやっていたことがそれ。社会主義伝道活動を行う父を伊藤剛志が演じていたことには重大な意味がある。)


日刊「平民新聞」 ・・・ 1907年。徴兵検査がある。不合格になるよう画策したが甲種合格。面接で「社会主義者なのでつきたい兵種はない」というと、懲罰の意味で海軍水兵になる。身体検査で不適(直前にカンフルを飲んで動悸を激しくしたんだそうだ)。社会党の周辺をうろちょろ。アメリカ帰りの幸徳が社会主義から無政府主義に転向して社会党が分裂状態。寒村も職も頻繁に変えている。菅野須賀子が結核になる療養生活に。寒村はいろいろなところを転々としているので、疎遠になる。
(ここのトピックは1907年7月5日に谷中村に残る十数戸を強制代執行で追い出し、貯水池に変える工事を開始したこと。寒村は平民書房のすすめで、田中正造を取材して「谷中村滅亡史」を一気に書き上げる。当年21歳。宇井純激賞の作品は、即座に発禁。復刻されたのは1963年昭和38年になってから。)

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 1945年以前は人の流動性が低いのではないかという思い込みがあったが、寒村や大杉栄堺利彦の自伝を読むとそうではないことがわかる。おそらく農家の長男は家から離れることが困難であっただろうが、次男坊以下や商家の息子などは家を離れることは容易であったようだ。寒村の場合は、くわえて親との折り合いが悪く、寒村が毛嫌いしていたことが拍車をかける。結果、16-7歳で自活の道を選び、以後職業を転々とする。貧乏であったであろうが、本書にみられるのは底抜けの明るさ。若さと無知のなせる業か。この時期はインフレが進行中であったが、それでも薄給で暮らせるくらいの物価ではあったわけだ(一切の家電製品がなく、風呂なし共同トイレの下宿で暮らしていた。21世紀とはちょっと基準が違う)。
 寒村は最初にキリスト教に興味をもち、平民新聞創刊の辞から社会主義に転向する。その心持ちの詮索はおいておくとして、俺が魅かれたのは明治以降の若者たちの興味の持ち方。明治維新から国内の思想に物足りないと思った若者は、その時々の流行りの西洋思想にかぶれた。寒村の興味のもちかたがそう。このあと1930年代にマルクス主義、敗戦後に民主主義、1960年代に実存主義、1980年代にポストモダン。これらの共通するところを無理やり見つければ、現状と自己の変革を同時に要求する思想だということ。若者の潔癖さとか同士的連帯感とか焦燥感とかが、これらの変革の思想に適合したのだろう。
 「谷中村滅亡史」を書いた時の情報がもっと詳しく載っているかと思ったが、宇井純「公害原論」での講義の時がもっと詳しかった。一ページもかけないであっさりと通り過ぎる。発刊後すぐに発禁になって、以後50年以上読み返せなかったのだから、記憶をつむぐののが難しかったのだろう。「谷中村滅亡史」は未読なのでいずれ読まないと。それにしても20歳そこそこで書き上げたというのが驚き。 

荒畑寒村の講義>

2019/09/27 宇井純「現代社会と公害」(勁草書房) 1971年

       

 

2019/10/18 荒畑寒村「寒村自伝 上」(岩波文庫)-2 1975年
2019/10/17 荒畑寒村「寒村自伝 下」(岩波文庫)-1 1975年
2019/10/15 荒畑寒村「寒村自伝 下」(岩波文庫)-2 1975年