odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ハリイ・ケメルマン「金曜日ラビは寝坊した」(ハヤカワ文庫) ユダヤ社会をケーススタディにした正義や倫理の問題のほうが興味深い

 金曜日の朝、ラビは寝坊した。起きたときには、ラビの車のそばで絞殺された女性の死体が発見されていた。彼女の持ち物であるハンドバックがラビの車の中に見つかった(ということは、ラビに限らずボストンからほど近い小さな町の住民は車に鍵をかける習慣がなかったとみえる)。事件の奇妙なのは、この女性、イタリア人の経営するレストランに住み込んで家族の世話をしていた。休みが取れるのは木曜日だけ。あまり社交的ではない彼女は外を出歩かないのだが、部屋には脱いだドレスが残されていて、死体は下着にレインコートを着ているだけだった。ハンドバックには特に目立つものは残されていないが、妊娠2か月目であることがわかった。この身持ちの固いと思われた若い女がなぜ下着とレインコートだけの軽装(というか非常識な恰好)で外に出たのでしょう。ラビは前日の夜、大学で読書と研究に熱中していたので、アリバイがない。最初の容疑はラビにかかる。

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 これは都筑道夫「退職刑事」に出てくるような謎。その解決はとても合理的で自然。エキセントリックな犯人がたくらんだロマンティックで非現実的な理由や方法ではなく、なるほどその年齢の女性であれば、ありうるだろうというようなもの。そこはとても好感をもてた。探偵小説がこの時代(初出は1964年)にはリアリズムになっていて(同時代のクイーンの長編はアナクロだし、カーは時代歴史小説に移っていたし)、その傾向を明らかにしていると思う。ただ、長編をこの謎だけで押し通すことはできないなあ。謎ときに専念する書き方だと短編になるだろう。
 そこを埋めるのが、アメリ東海岸の地方都市におけるユダヤ人社会の様子。この街は、プロテスタントが優勢で、カソリックは少数。他のエスニックマイノリティは小説には登場しない。そのような白人の富裕層から中間層の集まる街。そこではユダヤ人はさまざまな差別を受けているみたいだ。そこで教会を中心にする共同体を作り、相互扶助の仕組みを作る。みんなで少額ずつ負担して、社会的共通資本に投資したり、セイフティネットを作っている。それは一方で、プライバシーに入り込んだり、共同体内のグループ抗争があったりして、盤石で安心できる社会になっているわけではない。それは、ほかの社会でも似たようなものなのだが(この国の「村」でもそうだよね。頼母子講村八分が共存していたのだし)。
 興味深いのは、中心になるユダヤ教会のしくみ。俗人の集まりが教会を建立すると、その共同体がラビを育成する神学校に派遣を要請する。神学校が推薦した数人の候補から理事会が投票などで選抜する。赴任してきたラビの給与は理事会の決議で決まり、毎年ないし数年ごとにラビを更迭するか継続するかの会議が行われる。理事会には社会の名士が集まるが、宗教的な情熱で着任するのではなく、教会を中心とした社会を利用する(ビジネスの販路を拡大するとか政治運動の足場にするとか)のが目的。なので、ラビ擁護とラビ反対のグループが生まれてしまう。ここでは、学究肌で社交的ではないラビを更迭しようとする運動も同時に進行する。人間関係の調整よりもタルムードの規範を優先する、超俗的なラビの判断で傷ついた人たちがいるせいだ。彼らは事件を利用して、ラビを排除しようとする。ラビは殺人事件の容疑を晴らすことと、自分の立場を守ることのふたつを引き受けなければならない。両立の難しいこの課題を、ラビは論理の力だけで乗り越えることができるか。
 ラビの論理能力と、高い倫理性(利害関係を持たないで正義を実現しようとする)を最初に評価し、のちに積極的に支援するようになるのが、カソリックの警察署長。この宗教間の乗り越えが、共同体の団結よりも先に行われるのが興味深い。日本のような均質な成員で構成される(この認識はマジョリティの持つ幻想)のとは異なり、様々な出自とアイデンティティを持つアメリカの共同体の成員同士の確執は、なかなか解消しがたい。共通の敵を見つけるか、コミューンを外に開いて利害を共にしない成員を受け入れるか。これはたぶんほかの共同体、コミューンでも起きることかもしれないなあ。
 謎解きよりも、ユダヤ社会をケーススタディにした正義や倫理の問題のほうが面白かった。

  

ジェイムズ・ヤッフェ「ママは何でも知っている」(ハヤカワ文庫) 社会の知的エリートよりも家庭にいる良妻賢母が優れているという戦後アメリカ家庭のモデル化。

 安楽椅子探偵の古典。刑事になったジェイムズが週末にママの家に行く。ママの手料理を賞味するのが目的だが、ママは息子の仕事を聞きたがる。話を聞いていくつか質問すると、ママは難事件を見事に解決する。15年間にわずか8編がかかれただけだが、80年代にいくつかの長編が書かれた(創元推理文庫で翻訳あり)。
 のちに都築道夫が退職刑事のシリーズを書くときに、念頭に置いた作品がこれ。

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ママは何でも知っている (Mom Knows Best)1952 ・・・ ホテルでブロンドの若い娘(レビューに出るのが夢)が殺された。そこを根城に仕事を探すので、長逗留していたのだ。3人の男が入れ替わり部屋を訪ねて、最後の男が死体を発見。娘が口紅をしていたか、テレビに何が映っていたかでママは犯人を当てる。1952年はアメリカのテレビの黎明期。格闘技、特にプロレスは毎日ゴールデンタイムに放送されていた(「ルー・テーズ自伝」)

ママは賭ける (Mom Makes a Bet)1953 ・・・ 有名レストランに演劇プロデューサーと外科医の義父がやってきた。プロデューサーはこの店の老ウェイターをいじめるが好き。今日も「スープに塩を入れるな」と念を押し、店主に味見させたうえで一口すすると、青酸カリが入っていた。厨房にネズミ捕り用の青酸カリがあって、それが使われたらしい。ママはプロデューサーがスープのあとに頼んだ料理を聞いて、犯人を当てる。青酸カリが台所に転がっていたのは時代のせい。

ママの春 (Mom in the Spring)1954 ・・・ 若い金回りのよさそうな夫婦が、叔母が結婚詐欺にあいそうだと警察に行ってきた。その翌日、一人暮らしの叔母が絞殺されているのを夫婦が見つけた。手元には詐欺師の手紙と写真が残されている。別名の詐欺師はすぐに捕まったのだが。ママは封筒の所在と手紙にアンダーラインが弾かれているかを質問して、犯人をあてる。ジェイムズとシャーリイによるママ(このとき52歳)の再婚お見合いが進行中。

ママが泣いた (Mom Sheds a Tear)1954 ・・・ 飛行機パイロットの父(朝鮮戦争で死亡)のあと、5歳のケネスは叔父ネルソンに反発し、次に崇拝する。ケネスは父の遺品を盗み出し、ある昼、ネルソンが4回から転落死したときケネスは顔をまっさおにしていた。ケネスが殺人犯?と思ったとき、ママはケネスが読んでいた本と当日の天気を質問して、犯人をあてる。

ママは祈る (Mom Makes a Wish)1955 ・・・ プトナム教授は妻を亡くしてから酒浸りに。毎月と木に酒を飲みに行くが、気がかりは娘ジェーンが学部長ダックワースの息子と婚約したこと。この学部長は有名な禁酒主義者で、教授を首にした男だ。その学部長がウィスキーの瓶で殴り殺された。教授の仕業と思われたが、彼は自白を拒む。ママは保釈後の食事と「風と共に去りぬ」の映画がかかっていないかを質問して、犯人をあてる。

ママ、アリアを唄う (Mom Sings an Aria)1966 ・・・ メトロポリタン・オペラの立ち見の常連である、マリア・カラスのファンとレナータ・テバルディのファン(いずれも老人)はいつも口喧嘩をしている。今日はテバルディが今シーズン唯一の「トスカ」をうたう日。テバルディファンの買ってきたコーヒーを飲んだ風邪気味のカラスファンが数時間後、トスカのアリアが始まる頃に、毒が回って殺された。ママは死んだファンのポケットに封筒がないかを質問して、犯人をあてる。
(クラオタたる自分はここでうんちくを語ろう。カラスファンとテバルディファンが喧々諤々の議論をしたというのは事実。このシーズンでカラスは「椿姫」を、テバルディは「トスカ」をうたったことになっているが、この演目は二人とも得意にしていて、録音も残っている。
 テバルティは1956年にメトで「トスカ」を歌っていて、録音が残されている。

www.hmv.co.jp

 同じ1956年にカラスはメトで「ノルマ」「ランメルムールのルチア」「オテロ」「仮面舞踏会」などを歌い(すごい演目ばかり!)、11月15日にメトで初めて「トスカ」を歌ったとのこと。

www.yomitime.com

 カラスは1958年にメトの支配人と喧嘩して契約破棄してからメトロポリタン・オペラで歌ったことはないし、1966年以降カラスはセミリタイア状態にあるから、発表当時の話ではない。)

ママと呪いのミンクコート (Mom and the Haunted Mink)1967 ・・・ 長年の夢かなってミンクコートを購入してもらった老婦人。前の持ち主の怨念がたたっているとかで怪異が起きるのを気にしている。ついに売却する決心をしたら、ミンクのコートで絞殺されているのが見つかった。ママは老婦人が人の名前を覚えられないたちではないの?と質問して、犯人をあてる。

ママは憶えている (Mom Remembers)1968 ・・・ プエルトリコ出身の少年。夜ごと家をでていて、親父に怒られている。深夜タクシーが強盗に襲われ、被害者は少年だと証言した。少年は当夜のアリバイを決してしゃべらない。その状況は、ママの結婚式の前日、パパに起きたこととそっくりだといい、ママのママが解決した事件の話をする。そしてママはプエルトリコの少年の金回りがよくなったのかと質問して、犯人をあてる。(ちょっと脱線。冒頭にピアニストの「ヴァン・クラインバーグ」がでてくるが、これは「ヴァン・クライバーン」のこと。作者の勘違いかチェック漏れか、些細なことだけどクラオタなので気になった。)

 

 ママの住まいはブロンクスで、言葉の端々にイディッシュがあるなど、明示されていなくともユダヤ人であることがわかる。この国で読むときにはあまり意識しないように。あと、ジェイムズの妻シャーリイが茶々を入れては、ママにたしなめられる。シャーリイは大学で心理学を学び、社会科学のうんちくを語るというインテリ女性。まあ、彼女の知識は警察システムを成立するものであって、ママの微細な観察や関係者の心理洞察など民間の、生活の知に対立するものだ。男性である俺からすると、ママの言葉はたしなめというよりいじめみたいで、きつすぎる。
 さて、安楽椅子探偵の件について。以前「隅の老人」を読んだときにも、この短編集を読んだときにも、世評ほどには楽しめなかった。なるほど探偵術としては、現場を検証せず、他人の話を聞いただけで、彼らの見落としを指摘し、真の犯人をあてるというのは理想的な叡智の在り方なのだろう。でもそれを小説に書くとなると、困ることがある。すなわち、会話で報告されることによって、報告者と探偵で共有されている暗黙の事項があって、それがわからないと第三者は何が起こっているのかさっぱりわからない、見落としをするということだ。「隅の老人」では20世紀初頭のロンドンが、この「ママは何でも知っている」では1950-60年代ニューヨークのブロンクスとその住人が舞台になっていて、その場所の普通は描かれない。これは都筑道夫の「退職刑事」でも同様で、1970-80年代のこの国の地方都市が描かれる。事件の関係者の普段の生活がどうなのか、どういう習慣で暮らしているのか、どういう家電製品を使っているのか、どういう社会のマナーがあるのかは書かれない。それを書こうとすると、カー「アラビアンナイトの殺人」のように膨大なおしゃべりが必要になる。小説では、普通の探偵小説以上に描写が少なく、読者は自分の知識でそれを埋めることになる。作家はそれをたぶん読者に暗黙のうちに期待している。でも、その前提を共有していない読者には時にちんぷんかんぷんになる。ユダヤ教徒の習慣や知恵を知らないと最後の短編はわからないし、オペラファンでないと「アリアを唱う」もわからない。
 「安楽椅子探偵」というジャンルはすごく難しいし、暗黙の前提を共有する読者が少なくなると評価もかわるのではないかな(と、どの短編でも犯人あてのできなかった自分のことを棚に上げる)。

 

 

 アメリカのユダヤ人社会のありかたは土井敏邦アメリカのユダヤ人」(岩波新書)が参考になる。自助(self help)」は「貧困状態にある住民を援助すること」で、ユダヤ人集住地区には自助コミュニティがたくさんあるという。シナゴーグがあるので(作れるので)、ユダヤ人は都市に集まり、シナゴーグが信教と社交の場所になっている。当然のことながら、ユダヤ人が一枚岩であるわけではなく、さまざまな政治姿勢を持っている。親イスラエルがいれば、パレスチナ共存を目指すひともいるし、イスラエルを否定する反シオニストもいれば、同化するひともいる。多様なのは、日本の「在日」と同じ。

   
2019/4/26 福岡安則「在日韓国・朝鮮人」(中公新書) 1993年
2022/03/22 土井敏邦「アメリカのユダヤ人」(岩波新書) 1991年

ウィリアム・ヒョーツバーグ「堕ちる天使」(ハヤカワ文庫) ハードボイルド部分は解決していないが、すべての謎は解かれている

 ハワイが併合されたのがニュースになったというから1959年のこと。ニューヨークのしょぼくれた私立探偵ハリー・エンジェルに、ルイ・シフルという男からおよそ20年前に失踪したスイング・ジャズ歌手ジョニー・ファイバリットの行方を捜してくれという依頼が舞い込む。シナトラ以前にもっとも売れた歌手だが、兵役にでて植物状態で帰還した後、ずっと病院で加療しているのだという。すぐに病院はわかったが、医師は面会謝絶といい、裏から手を回すと15年以上前に連れ出されているという。医師はエンジェルと話し合った自室でピストル自殺した。
 ジョニーがかつて所属していたバンド連中を見つけて歩き回ると、歌声のメロウさとはうらはらに、気難しく高慢なジョニーは嫌われている。しかもエンジェルの捜査を先回りして、口封じのためにか脅しをかけているようだ。情報を得られないどころか、彼らは次々と殺されていく。彼らの数少ない情報によると、ジョニーは下町の黒人やプエルトリカンが信仰しているブードゥーに深く関係していたという。ブードゥーの巫女でジョニーと親交のあったイヴァンジリン・ブラウドフッドによると、その儀式にも参加していたらしい。イヴァンジリンには娘のイピファニーがいて、父はジョニーだと打ち明けられる。17歳のイピファニーは年の離れたエンジェルになつき、誘惑する(ブードゥーは1950年代にはやったのか。アイリッシュ「パパ・ベンジャミン」フレデリック・ブラウンのショートショートなど同時代にブードゥーの登場する小説があった。)
 もう一つのてがかりは、ジョニーが婚約してすぐに解消した相手。海運会社を経営しているクルーズマーク家の娘マーガレットだ。彼女は霊媒の双子の妹ミリセントがいるという。エンジェルはミリセントにジョニーの生年月日をいって占星術の占いを頼んだ。その結果を受けとることになっていたが、彼女も殺されているのを見つける。ジョニーの捜索は暗礁に乗り上げ、ときにチンピラに脅され、廃駅の構内やアパートで殴られたりもする。どうしてジョニーを調査すると妨害があるのか、エンジェルは苦悩する。

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 ここではある重要な情報を故意にまとめに入れなかった。入れると、読み慣れた読者には一発でわかってしまうからね。小説の前半に書かれているから、読み落とさないようにしてください。
 なるほど、みかけはチャンドラーばりのハードボイルド。うらぶれてしょぼくれた私立探偵が奇妙な依頼で家族の経歴を洗っていると、その発覚を喜ばないグループが行く先々で私立探偵を妨害するという話。ここではそのフォーマットにのっとったストーリーが書かれていて、あまりに見事に展開されているだけに、そちらに目を奪われるだろう。そのうえ、1940-50年代のアメリカの風俗が細かに書かれていて、マニアックな固有名の並びとトリビアルな雑学に興奮する。
 でもその裏側(というか書かれない大状況)では、もうひとつの物語が進行している。重要な情報を故意に書かなかったように、ここではその物語は指摘しない(秘密の日記には書いておこう。ひとつだけもらすと、トム・リーミー「デトワイラー・ボーイ」。このブログで言及しているが、リンクは貼らない)。とりあえずは、人の名前に注目しておいてください。それに気づくと、この「ハードボイルド」には解決編が書かれていないのだが、それは表層の事件でのことで、裏側のもうひとつの物語ではラストシーンですべてに決着がついていることがわかる。そうしたうえで、タイトルを見直そう。

 「ポーをめぐる殺人」もすごかったが、最初にヒットしたこちらの方がもっとすごいな。どうやらこの2作しか翻訳されていないようで、なんとも残念。1978年初出。

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