odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

小澤征爾/大江健三郎「同じ年に生まれて」(中公文庫) リヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」第4部「英雄の業績」の2。ウィーン歌劇場の音楽監督とノーベル文学賞受賞者の対談。

 小澤征爾大江健三郎は同じ1935年の生まれ。2001年にハーバード大学名誉博士号を同時に受賞した。それを受けて二人の対談をが計画され、同年9月秋に行われた指揮者が主催する音楽祭で実施された。数年前に大江がノーベル文学賞を受賞したり、翌年に小澤がウィーン歌劇場の音楽監督に就任するなど、二人の仕事が世界的な評価を受けていた時代だった。というわけで、本書はリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」の第4部「英雄の業績」にあたる。


 小澤征爾の本や対談を読むと、この人は自分の考えを整理して発言することがとても苦手。たぶん音楽家に向かって曲のことを説明して自分の意図を伝えることはとても上手なのだろうと予想するし、その能力は高く評価されているのだろうが、こうやって社会のことを説明するとつたない。芸術全般のこともあやふやになったりする。どうしても自分が手掛けている目前の仕事やその協力者の範囲に限った話になってしまう。自分で起業して大きな会社にした創業者がこういうしゃべりをするのに似ている。これまでの対談相手は年上(武満徹)か年下(村上春樹)で話がかみ合わないと思っていたが、本書は同世代であり、知識と思考は圧倒的に上の人。インタビュアーとしても慣れている人なので、大江の喋りに呼応して小澤の発言はとても雄弁になっていた。これまでの対談ではもっとも読みがいがあった。
 ハーバード大学名誉博士号を授与した人たちを紹介する冊子を作っている。その中で経済学者のガルブレイスと作曲家のジョン・ウィリアムズが小澤のことを書いていたという。小澤は音楽の言葉を音楽の文学を通訳している、演奏家に音楽を創り出させるときのリーチが長い、小澤は実現された夢のところがあり強い義務の思いがあり守るべき基準を持っていて他人がそれらを守る世話人である、などの指摘が出てくる。指摘の妥当性を考慮するよりも、ガルブレイスジョン・ウィリアムズがこのように優れた人物評をかけることに驚いた。文章による人のスケッチ。こういう文章を書く練習があったのだと思うけど、人物をどう見るかという訓練があり的確に見抜く目が養われている。日本人が書くものだとエピソードを連ねるかとても観念的なものになるかで、その人らしさを浮かび上がらせる文章はまず見ない。欧米人はこういうところが優れているなあ。
 上にある小澤の「実現された夢」とは東洋人が西洋古典音楽をやることだと言っている。もちろん彼自身の個性にもあると思うが、彼にスポットのあたった昭和30年代は西洋全体で日本に注目が集まっていた。1960年のショパンコンクール中村紘子が入賞し、同年にNHK交響楽団が渡欧し、小澤が指揮者コンクールで優勝した。そのような実績を背景にして日本人音楽家を採用する気運が西洋にあった。小澤のウント努力と同時に、西洋のアファーマティブアクションも後押しになっていることに注目したほうがよい。2021年には、西洋のオーケストラでは「アジア人の女性指揮者」を求めていて、エージェントが活動しているという記事を読んだ。これもエスニックやジェンダー平等をめざす活動にあたる。西洋が進める機会の平等がクラシック音楽でも進んでいる(社会全体より先に実行されることが多い)ことの証だとおもう。機会をつかんだあとは能力で評価されるようになることも含めて、日本の情実や縁故による採用よりもずっとよい。

 二人の対談で出てきたことをいくつかメモ。
・日本人は批評するが比較しない。IT革命で閉じこもり国粋主義になる。他人を同格に受け入れない。金がないとプライドをなくす。ユーモアがないので人間性に乏しい。
・日本では人間を支える芸術の力が弱い。芸術家が古典を繰り返すのは、古典を生きているから。
大江健三郎のいう「新しい人」(というタイトルの短編集がある)は、個として責任を取り、誇りを持つ人。制度の益が個人の益より大事と思う。そのために個人は個を失う。日本人はグローバル化と日本には日本のやり方があるというダブルスタンダードをいっしょにいう。

 大江健三郎は1961年に小澤征爾にインタビューしていた。単行本になったのは翌年。
大江健三郎「世界の若者たち」(新潮社) 1962年

odd-hatch.hatenablog.jp

 そこから小澤征爾の発言を抜粋。

小澤 音楽しているときにはね、自分が日本人だとか、どこで生まれたとか、そんなことを考えてる必要はないですね。もっと厳しいものです。
小澤 指揮者はね、練習の時に棒の代わりに口を使うほどヘタだといわれるんです(略)音楽家はあまり音楽の話ってせんですね。音楽という部門が人間の内面的なところで占める位置は、大江さんのように作家なんかのほうがかえってハッキリ考えているようでおもしろいですね。大江さんのように聴衆の側にいてしかも書いたりしゃべったりできる方が、音楽をみつめていて音楽を製造する側との橋渡しになってくれるととてもいいと思います。

 二人が20代半ばの会話から抜粋したが、その40年後にもほぼ同内容の発言をしていた。早熟というべきか、変化しかなったというべきか、なんともはや。
(2001年の対談では、大江のパートナーが珍しく二人の会話を立ち聞きしていたというのだが、小澤の話に耳を傾けたくなるのは、「レコードマニア@小澤征爾)」にはめったに聞けないバックステージの情報がきけるからではないかしら。)

小澤征爾/村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(新潮社) リヒャルト・シュトラウスの英雄の生涯」第5部「英雄の隠遁と完成」。指揮者の仕事はつねに「ワーク・イン・プログレス(試行錯誤中)」。

 リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」になぞらえれば、第5部「英雄の隠遁と完成」にあたる。初出の2011年の前に、食道がんになり長期療養をすることになり、ステージにあがることはめったになくなった。本人がいうには「ひまになった」。それまで忙しく世界中を飛び回っていたので、過去を語るインタビューを受けたり、文章を書いたりすることがなかった。なので「そういえば、俺これまでこういう話をきちんとしたことなかったねえ」。

 小澤の家人を介して知り合ったので、村上が本にすることを提案し、数回に分けてロングインタビューが行われた。村上はクラシック音楽界のインサイダーではないので、小澤は他人におもねることなく、しゃべりたいがしゃべる機会がなかったことをしゃべっている。
 というわけで上記の本では触れられなかった小澤の半生をつまんでみると、
ブザンソン指揮者コンクールで優勝した後、レナード・バーンスタインのアシスタントになる試験を受けて数年行動を共にする。ニューヨークフィルを訪れる人々と知り合いになり、幅広い交友関係を持つ(クラオタからすると綺羅星のような豪華なメンバーばかり)。そのなかで1960年代に唯一の黒人奏者に誘われてシカゴのジャズクラブに行くという話がよい。黒人しか行かない店でも、一緒に連れていかれれば別の人種・民族も受け入れられるというわけ。個人でジャズクラブにいくときは、奏者は黒人でも客は白人だけの店になる。公民権運動のさなかには、そういう差別的なすみわけがあった。

・ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインに気に入られて1960年代後半に数年いっしょにツアーを組んだ(岩城宏之がルービンシュタインに気に入られたのはこのあとかなあ)。
・ニューヨークの仕事をしているうちに、シカゴやトロント、サンフランシスコに招かれ、1973年にボストン響の音楽監督に招かれる。前任者(モントゥーやミュンシュ、スタインバーグなど)の影響でフランス風の音だったのを、小澤の意向でドイツ風の弾き方に変える。楽員からは反発があったらしい。小澤のレーコーディングはおもにフランス音楽だったが、レコード会社の意向によるものだった。本人はドイツ音楽をやりたかった(それはのちにサイトウ・キネン・オーケストラで実現)。
・1970年代にバーンスタインカラヤンらにオペラを習い、西洋でオペラを指揮する機会を増やす。2002年から2010年までウィーン歌劇場の音楽監督
1984年に夏だけ奏者を集めてツアーを組むサイトウ・キネン・オーケストラを設立。1987年に初の海外ツアー(評判がよくて1989年にメジャーレーベルで初録音)。曲目とテーマを決めて短期間にその都度奏者を集めるオーケストラのはしりなのだそう。このあと同趣旨のルツェルン祝祭管とかドイツ・カンマーフィルなどが創立(でも古楽ではフリーの奏者がそのつど集まって団体を組むのはまえからあったなあ。また、オペラの海外ツアーはそういうのが当たり前だった19世紀末から20世紀前半という時代もある)。

 この人は人とすぐに仲良しになれてしまう。ビッグネームがぽんぽんと出てくるのに圧倒されるが、彼らの推薦や紹介で次々と新しい場所を得ていく。そのチャンスを生かしていくのもすごいことだ(もちろんtakeにたいしてgiveもやっていたのだろう)。本人は社交は嫌いだったそうだが、古いドキュメンタリーではオケの資金集めパーティで悠々と会場を泳いでいき、如才なくあいさつ回りする姿もあったので、謙遜なのだろう。本書は「英雄の隠遁と完成」に至っての発言なので、前者が本音なのだろうが、そうみるとこの人は自分の本心を隠し続けていたのだなあ、それは苦しかったのだろうなあとも思う。

 音楽に関しては
・たん・たん・たんのリズムを刻むとき、たっ・たっ・たっとするか、たあ・たあ・たあとするか、たん・たあ・たああとするかはその曲の内的な理由できまる。全体の流れでも、曲のどこにあるかでも変わる。その見極めは大変だし、勉強するごとに変わる。
・長いフレーズ感をもてるようにしなさい(なるほどポップスではフレーズは5-10秒程度だが、クラシックは1分越えはあたりまえだ)。
・勉強中は自分の音しか考えないですむが、合奏するときには他の人の音を聞きなさい(なるほど、どう入るかとか、フレーズをどう合わせるかとか、和声のどこを強調するかとか、リズムをどうとるかとかの問題を、聞いて合わせたり意見を言って自分の解釈に合わせてもらったりとか)。
 まずは楽譜を読むことが大事、というわけで朝4時から5時間ほど勉強する生活を続ける。この勤勉さには敬服(時差ぼけで苦しかっただろうに)。

 でも、小澤征爾から出てきた音楽はというと、記憶に残らない。なぜかを考えて思いついたのは、とても勉強熱心であってしかし指揮の経験はつねに正答があるわけではなく、作品のどこを強調するかで解釈や意味付けは多様でありうる(そのうえオーケストラの性格や相性、ホールの状況など千変万化)。ベストは尽すが、常にどこか不満が生じる。でも演奏会や録音ではどれかに決めないといけない。その際に、この指揮者はまとまりや安定を重視する。複雑で多様で形式が混乱しているような作品(たとえばマーラー)でも、どこかに落ち着きどころを見出し、破綻が起こらないようにする。ここに着地するという意思がなくて、ふらふらしているところで安全なところに着地しておこうというような。そうして生まれた演奏はたがをはずさないが、指揮者の発見や創意(あるいは破綻して生まれた新しさ)が起こらない。この人のマーラーを聞いてつくづくと思った。師匠のバーンスタインカラヤンが持つ表現意欲みたいなのがみえない(そのような破綻の少ないフランス音楽では指揮者のやり方はうまくいく)。別の言い方をすると、この指揮者の仕事はつねに「ワーク・イン・プログレス(試行錯誤中)」。
(この「ワーク・イン・プログレス(試行錯誤中)」は巨匠の後の人たち、小澤征爾と同じ世代のアバドやメータ、マゼールレヴァインバレンボイムらにも聞き取ってしまう。巨匠のようにできず、ピリオドアプローチの隆盛に追い立てられながら、ついに成熟できなかった世代。これらの指揮者の演奏で興味深く聞けるのは60-70年代に録音された若いころのものなのだよなあ。小澤にしても、ボストン響の音楽監督になる前の若いフリーランスな時代の録音(1960年代後半)のほうがおもしろかった(「シェエラザード」やバルトークメシアンなど)。いっぽうで、ポストを望まずにいたブロムシュテットがどんどん変貌しながら成熟した音楽をし続けている不思議。)

 もうひとつは若い時は英語や他の言語をうまくしゃべれなくて、レニーやカラヤンのいっていること、あるいは同僚が言っていることをあまり理解できなかったといっているところ。それは10代の若い時から指揮の勉強をしていて、他の勉強をおろそかにした証。なるほど敗戦からしばらくは日本で勉強することはとても困難だったと思う。そのせいか、この人は西洋の文化や歴史の基礎教養に欠けていると思った。本書でも、作曲家やその時代の話はでてこない。哲学や思想の話もでてこない。常に楽譜だけを頼りに、その読み込みをする。それは潔いやりかたではあるが、文化の学び方としては不十分になるのではないか。この基礎教養の不足が作品の読み込みに影響しているのではないか(その点、もっと若い世代の音楽家になると、たとえば山田和樹樫本大進、このブログに登場した金聖響や伊東乾、もっと他の人も、言語の壁や基礎教養の不足というのはあまり感じることがなく、小澤征爾のような不満を感じることはめったにない。他にもチョン・ミュンフンヨーヨー・マなどの活動をみたりすると、東洋人が西洋の文化や芸術を理解することはどういうことかはまた考えないといけない)。 
 こんなことを考えたのだが、俺はどうみても「レコードマニア」の側にいるのだし、小澤征爾はこの対談を「レコードマニアのためにはやりたくない」というので、彼のいいたいことは俺には届いていないのかもしれない。

 

    

 

2024/2/9

指揮者の小澤征爾さん死去、88歳 戦後日本のクラシック界を牽引

 世界の楽壇の第一線に立ち続け、戦後日本のクラシック音楽界を牽引(けんいん)した指揮者の小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが6日、心不全で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を検討しているという。

www.asahi.com

深水黎一郎「トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ」(講談社文庫) 日本初のオペラハウスで起きた演劇ものミステリー。オペラの現代的読み替えもミステリー的。

 オペラには人が死ぬ話が多くあり、ときには舞台で殺されたりもする。ふと思いつくだけでも、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」「神々の黄昏」、ヴェルディオテロ」、ビゼーカルメン」、ベルク「ヴォツェック」、ショスタコーヴィチ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」などがある。たいていは男が男を、男が女をと、世の中の権力関係がそのままに現れる。でもプッチーニ「トスカ」は冷酷でサディストの悪代官の男を激情的な女性が刺殺する。権力関係を逆さにしたショッキングなできごと。そのうえ、ヒロイン、ヒーローに魅力的なアリアがあることもあって有名。

 さて、上野のオペラハウス(架空)がこのオペラを上演した。第2幕のラスト、トスカが悪漢スカルピアを刺し殺すとき、通常は模造品をつかうのに、その日は本物のナイフにすり替えられていた。世界的に名声を博す演出家は頸動脈を貫く演技をしろと指示してあったので、スカルピア役はそのまま亡くなってしまった。舞台上手と下手には上演関係者が常時いて、舞台の後方はホリゾントの幕や板の囲いで行き来できず、客席からは数千の眼が舞台をみている。模造品であることを幕あけ前に確認したので、取り換えられたのは上演中(第2幕はだいたい50分)しかない。いったいどうやって交換したのか。
 警察の捜査が行き詰まる中、今度は演出家が自宅で刺殺される。24時間風呂に入っている最中、何者かにナイフで刺された。鏡には口紅で「トスカ」のセリフ(「これがトスカの接吻よ」という殺害直前のセリフ)が書かれ、死体は腕を組んだ奇妙な姿勢でいた。いったいどうしてその姿勢をとったのか。 
 小説は主には警察の視点で語られる。職務に忠実な公務員は芸術には無縁とみえて、事件の関係者はオペラの上演、運営、演出、歌手などについて詳しく説明する。舞台にいる人ばかりでなく、小道具大道具、衣装、演出補佐などの裏方の説明は結局は舞台上が密室であることの補強する。そのうえ、殺人をリアルに演出した意図も聞きださなければならないので、演出、歌手、作曲家、台本などの芸術の側の情報も必須。そこで記述の大半はここに費やされる。海外の舞台ものではここまで詳しい説明はなかったと記憶するが(イネス「ハムレット復讐せよ」マクロイ「家蠅とカナリア」など)、俺はオペラに興味があるので、面白く読んだ。
(ことにオペラハウスは舞台と同じ広さのバックヤードが3面あって、別の幕の装置が用意してある。幕間で装置は取り外され組み立てられるのではなく、家を動かすように装置ごと取り換える。ときには舞台の後方のスペースを使って、とんでもない奥行きをだすこともある。1980年代のゲッツ・フリードリヒ演出「ローエングリーン」@バイロイト。)


 とりわけ興味深かったのは、オペラの演出における「読み替え」。19世紀のドラマをそのまま再現しても、リアリティに欠け、想像力が働かない。そこで台本のセリフを一切変えないで(変えると歌にならない)、新たなアクチュアリティを見出し、異化効果を狙う。このセリフを一切変えないという制限を課された状態でいかに新機軸を打ち出すか。うまくはまると、それは歴史的な事件として長く語られ、保存される。そこに演出家の苦労と責任と喜びがある。俺も、シェロー演出「指輪」やヘアハイム演出「パルジファル」のように映像で魅了されたことがある(ペーター・コンヴィチュニー演出「魔弾の射手」のように呆れ怒ったのもある)ので、楽しく読めた。くわえて作者による「トスカ」の読み替えの可能性が示唆され、なるほど台本の矛盾(なぜ冒頭に悪役のテーマが出るのか、なぜトスカは死の直前に恋人の名ではなく殺した相手の名を呼ぶのかなど)を合理的に説明する。これはおもしろい。加えて、その解釈が現実の事件(演出家殺し)の動機にかかわり、さらにプッチーニという芸術家の生き方にも関連しているというのは優れたやり方だった。きっと「トスカ」の読み替えから逆算するようにミステリーを作ったはず。
 こういう芸術の話のほうが魅力的だったので、解決は「まあそんなものでしょう」という感じ。第二の事件では動機をもっているのはただ一人(なのがあとでわかる)。その一人をよく隠しておけました。
 なお、この上演でヒーローを歌ったテノール歌手は「ジークフリートの剣」の主人公になる。書かれたのは後だが、事件は「トスカの接吻」のほうがあと。混乱しないように。

 

深水黎一郎「最後のトリック」(河出文庫)→ https://amzn.to/4cX0SiH
深水黎一郎「トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ」(講談社文庫)→ https://amzn.to/3U4DGGm
深水黎一郎「花窗玻璃 天使たちの殺意」(河出文庫)→ https://amzn.to/4cY2etw
深水黎一郎「ジークフリートの剣」(講談社文庫)→ https://amzn.to/3U4q3qK
深水黎一郎「言霊たちの反乱」(講談社文庫)→ https://amzn.to/3U2Q6yF
深水黎一郎「ミステリー・アリーナ」(講談社文庫)→ https://amzn.to/4dbefMm

 

 「トスカ」上演で起きたさまざまなトラブル・事件を全部盛り込んだマンガがあるので、あわせて読むとよい。佐々木倫子動物のお医者さん」第101話(文庫第7巻)。バブル時代の雰囲気が懐かしい。


 プッチーニ「トスカ」のよい聞き手ではないので推薦盤を上げられない。カラス、ゴッビが登場するサバータ指揮のものくらい。
同じ歌手による第2幕フィナーレ(スカルピア刺殺シーン)1958年パリ

www.youtube.com


マリア・カラスとジョージ・ロンドンによる第2幕フィナーレ、1956年ニューヨーク、メトロポリタンオペラ

www.youtube.com


これらとは別に、カラス、ゴッビのコンビが出演する第2幕全部の映像があったはずだが見つからない。たしかコヴェントガーデンオペラ。