odd_hatchの読書ノート

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モーリス・ルブラン「ジェリコ公爵」(創元推理文庫)

海賊ジェリコと、剛勇侠気のエレン・ロックの誇り高い美女と、謎のメダルをめぐっての死闘を中心に、ルブランならではの活劇、悲劇、喜劇が、地中海、パリ、ブルターニュの海と街と田園を背景に展開する。それにしても、海賊王が公爵とは? 失われた記憶をたぐりよせるにつれて、次々に意外事が続出する。作者晩年の会心作。 
ジェリコ公爵 - モーリス・ルブラン/井上勇 訳|東京創元社

 このサマリで思い込んでしまったのは、ジェリコ公爵とエレン・ロックに年齢の差が大きいということ。そんなことはかかれていなかった。なかなか姿を見せないジュリコ公爵の存在が次第に大きくなって、エレン・ロックを脅かしていくさまはなかなか読み応えはありました。もちろん、驚天動地の真実が待っていたわけだけど。前半に広げた風呂敷をちゃんとたたんで、奇術のねたはそう簡単にはあかさないという作者の心意気、ちゃんと受け取りましたよ。
 それだけの読みでがあったのは、やはり記憶をなくした男のアイデンティティ捜索にあるわけで、古くは「オイディプス王」から「野うさぎのラララ」まで様々な変奏を奏でている。それは、現実の読者もまた、自分が本来の自分ではないのではないかという幻想というか妄想を持っていて、現実逃避を行いたく、それでいて逃避しきれるはずのない現実においてはフィクションにおいてのみ、幻想や妄想はリアルになるのだから。読者は何度でもこのような同じ話を読みたがる。誰が言ったか忘れたが、私が私であることは(ときには)不快なのであって、どこかで脱出したいと思うのだ。そして発見した自己が、貴種の落とし種であり、また各種の財宝の持ち主で、スーパーマンと思しき卓越した能力の持ち主で、美貌を誇ることができ、類まれな美女の愛を獲得できるというのであれば、それは現実を超越する快楽であるだろう。そんなことがありうるのは、万にひとつの(もっと低い確率だな、億にひとつの)偶然であって、やはりこのようなフィクションは現実逃避の代替物として実用性があるのだ。
 海賊だの、公爵だの、謎のメダルに、酒場にたむろする小悪党の存在など、舞台立ては、この作品の百年前に書かれた「モンテ・クリスト伯」だなあ。電話に自動車、モーターボートに遊覧船、ヨーロッパを縦横無尽に横断する鉄道など、時代をあらわす小道具はちりばめられているものの、全体としては、前世紀の冒険小説。そういう点も懐かしいのだろう。今で言うと、1980年代でありながら、昭和30年代を舞台にした「となりのトトロ」や1930年代のアドリア海を舞台にした「紅の豚」などのノスタルジックなアニメを作る宮崎さんみたいなものかしら。