odd_hatchの読書ノート

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高橋亀吉/森垣淑「昭和金融恐慌史」(講談社学術文庫)

 昭和金融恐慌について数冊を読んでいたが、1920年代の恐慌史に思い違いがあったようだ。
徳永直「太陽のない街」(新潮文庫) 追記2011/7/1 - odd_hatchの読書ノート
 まとめると、
・第1次大戦によりアジアから撤退した欧州企業の間隙をぬって日本企業が進出。ここから海外相手の経済活動が始まる。貿易企業を中心にバブルが発生。株価が最高値をつける。
・その一方、1918年のシベリア出兵により、国家の負担が増大。
1920年代にはいると、再度進出してきた欧州製品と競合することになり、日本の国際競争力が弱まる。放漫経営により資金繰りに苦しむ企業増加。金融機関の不良貸付増加。
・1923年関東大震災。国家予算3年分以上の被害が発生。中小企業の資金繰り(手形決済が停止したため)を救済するために震災手形を政府が発行。これが上記の放漫経営企業の救済に使われる。
・1928年、大蔵大臣の失言に発して取り付け騒ぎ。金融機関のモラトリアム2ヶ月間。金融機関の統廃合進む。あわせて財閥の形成が進む。
・1929年金解禁。猛烈な円安により、とくに輸出産業に壊滅的打撃。デフレ進行。このころ東北地方を中心に不作が続く。
・1929年アメリカの株式恐慌。それが日本に波及。
・1931年、5.15事件。満州事変。
 この間の問題は、当時の金融機関は資本準備が弱体である泡沫銀行が多数あったこと、それらの経営は前近代的でいたづらに融資を拡大していたこと、金融機関整理の政策が進められずバブル崩壊後の不良企業の糊塗が行われていたことあたりだろう。結果として、昭和2年の恐慌によって、金融機関と不良企業の整理が行われることになったが、一方で五大財閥の形成など資本集中が進み、経済格差が拡大した。日本の労働運動はこのころに拡大する。一方、当時の軍事費は国家予算の15%以上になり、過大な負担になっていた。数回の軍縮が行われたが、それに反発する軍人が多かった。
 そんな具合に、1920年代の日本は国家経営をどうするか、経済発展をどのように行うか、軍事費とのバランスをどうするかという重要課題について、コンセンサスを取ることができなかった。当時は、リベラル政党が政権を担当していたが、枢密院という元老・貴族たちに政策を反対されたこと(彼らは大企業と癒着し、彼らの利益を代弁することが多かった)、軍人たちへのシビリアンコントロールを働かせることができなかった(同時に、この時期に軍人の中のリベラルなものは排除されていった)。(軍事関係については森本忠夫「マクロ経済学から見た太平洋戦争」に具体例あり)。多事争論、百家争鳴という具合。先行きのみえないまま、目先の事態に姑息な対応を繰り返していた。
 このような見方の1920年代論は非常に面白いと思うので、今後も勉強していくつもり。現代に至るポイントをあげると、昭和恐慌によって政府は金融機関の統制、保護を行う施策に変わっていった。それは戦後も継続していくことになる。それだけ昭和恐慌のインパクトは大きかったということだ。金融機関保護と統制は戦後の経済成長を推進するには、適切な経済政策であった(素材、機械生産には巨額の資本投資と適切な財務活動が必要で、それを大蔵省をトップにして保護・成長させたのだった)。今では、そのやり方が既存の経済活動を変更・変革することのブレーキになっている。また、平成不況の対応でも、金融機関と大企業保護という政策は相変わらずであり、中小企業・自営業・個人に負債を押し付けるやり方は昭和恐慌のときと同じである。

2015/03/20 長幸男「昭和恐慌」(岩波現代文庫)
2015/03/23 中村隆英「昭和恐慌と経済政策」(講談社学術文庫)