初出2003年は関東大震災から80年目(阪神大震災から8年目)。その節目の年に編集された。震災記念館(だったか?)の設立準備中に、震災直後に撮影されたネガフィルムと焼き付けが大量に見つかった。それまでは引用で見ていた写真のオリジナルが発見されたのと同時に、研究者も観たことのないような写真が見つかったのが大きい。そこで、被災地別に写真を集め、状況を把握する。おおよそ上野から銀座、品川、横浜へと海沿いに東京話沿岸の都市、人口密集地をみていく。渋谷、新宿、池袋などの現在の新都心が含まれないのは、当時ここまで開発は進んでいないため、畑や林であったからに他ならない。人口密集地は海沿いの区であって、台東区や中央区、港区などに被害が集中したのだった。
1923年9月1日正午直前におきた大地震とそれによる被害の詳細を語る言葉を自分はもたない。この写真集の中で衝撃的なのは、その当日に本所の被服廠跡に避難してきた人たちのスナップだ。暑い日だったので浴衣程度の軽装をした女性たちが一息ついて談笑している。その数時間後に・・・。あるいは、文章でしか書かれていない吉原の被害か。当時吉原は高い柵で囲まれていて容易に脱出できない。郭内にある池の周囲に女性らは集まったが、周囲の建物が全焼してきて・・・。吉原から徒歩20分ほどにある常願寺には吉原で若死にした女性の墓があるが、その一角にはこのときの死者たちを供養する塔がある。夏でもなお寺の境内はひんやりしていたが、とりわけこの供養塔の一角は寒さをかんじるほどだった。このような被害に注目するのは、災害などの緊急事態において、社会的な弱者に被害が集中するのではないかと思うからだ。それを証し立てするのが、この震災に乗じて行われた朝鮮人のジェノサイドであるが、本書ではわずかしか書かれていないので、別書で考えることにする。
それでいて、ほほえましく、かつ今でも変わりないなあと思わせる写真もある。上野公園の西郷隆盛像に、人々は安否確認の張り紙をだす。事態が落ち着いてくると、うどんやそば、カレーライスなどを安価で販売する露天商がでる。ある素人カメラマンは直後から都内や横浜周辺を歩き回って、被災写真を撮影しまくる。この本には載っていないが、輸入した8mmカメラで動画を撮影した人もいたのではなかったか(NHK[映像の世紀」にあったような)。こういう行動は災害が起こるたびに繰り返し起こり、実行する人が現れるたびに人間は捨てたものではないとおもう。
その一方で、国家の支援はいつも不足していて、しかも支援策の失敗が重大な問題に波及することになる。1910年代は第1次大戦のためにアジアで商品不足が起こり、その間隙をついて日本企業は儲けを出した。しかし欧州が復興しアメリカが生産力を高めるとともに、日本経済は失速。企業のなかには粉飾決算で赤字を糊塗するところがあった。そこに震災。このときの復興策が不良企業を延命させ、経済の回復を妨げる。
この間の事情は下記エントリーを参考に。
2015/03/23 中村隆英「昭和恐慌と経済政策」(講談社学術文庫)
2015/03/20 長幸男「昭和恐慌」(岩波現代文庫)
2011/05/24 高橋亀吉/森垣淑「昭和金融恐慌史」(講談社学術文庫)
このような震災復興の経済政策がのちの国の運営に禍根を残すことになったという視点は本書にはないので、こうしてメモしておく。
<参考エントリー>