odd_hatchの読書ノート

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笠井潔「アポカリプス殺人事件」(角川文庫)

灼熱の太陽に疲弊したパリで見えざる敵に狙撃されたカケルを気遣い、南仏へ同行したナディアは、友人の一家を襲う事件を目の当たりにする。中世異端カタリ派の聖地を舞台に、ヨハネ黙示録を主題とする殺人が4度繰り返され……。2度殺された屍体、見立て、古城の密室、秘宝伝説等、こたえられない意匠に溢れる、矢吹駆シリーズ第2弾。
サマー・アポカリプス - 笠井潔|東京創元社

 自分の読んだ角川文庫だと「アポカリプス殺人事件」で、復刊された創元推理文庫だと「サマー・アポカリプス」になっている。雑誌初出時は「サマー・アポカリプス」だったそうで、元に戻したということか。これは前作「バイバイ、エンジェル」と対をなし、ネガとポジになっている。前作は「堕天使(ルシファー)の冬」で、この作は「黙示録(アポカリプス)の夏」であるという具合に。

 「堕天使(ルシファー)の 冬」では観念による殺人と観念に取り付かれた人間の狂気を主題にしていたが、今回は観念に取り付かれた人間による大量殺戮とそれにどう抗する(?)かが問題にされる。ここでは観念による大量殺戮として、4つの事件が取り上げられる。1)10世紀に南仏で成立したカタリ派(これはルターに400年先立つ宗教改革運動と位置してもよいらしい)が13世紀に壊滅させられるまで。1244年にカタリ派の立てこもったモンセギュールの砦が陥落し、主要な信者が火刑に処せられる。これを堀田善衛「路上の人」が描いているので興味ある人は読むがよろし。またカタリ派以外の異端派も南仏や北イタリアにあり、その残党のことを描いているのがエーコ「薔薇の名前」、こちらも読むがよろし。2)20世紀のナチスホロコースト。著者によると、ナチスというのは霊的革命を目指す秘密秘密結社であるとのよし。作品中ではカタリ派の遺品をナチスが回収したとされるが、フランス占領時代にナチス高官は大量の美術品を押収して自分のコレクションにしていたのでもあった。ナチスの大量殺戮は「哲学者の密室」で主題になる。3)南仏に建設されつつある原子力帝国。ロベルト・ユング原子力帝国」(アンヴィエル)によると原発は核とその廃棄物の管理のために、住民たちを警察など権力の管理・監視下に置くことになり、強力な中央集権国家になるとのこと。1970年代のオイルショックの後、石油に頼らないエネルギー源として原子力開発が進められたが、もっとも熱心だったのはアメリカ、日本、そしてフランス。しかし1977年のスリーマイル島事故後、熱気は失われる(中山茂「科学と社会の現代史」岩波現代選書)。以上が作品と大きなかかわりを持つ。4)1970年代半ば以降にカンボジアで現出しつつあったキリング・フィールド。作品中ではカンボジアの亡命人がいるということで点描されるだけ。これが主題化されるのは「サイキック戦争」において。このような背景をもっているということをまずおさえておこう。
 このような観念による殺人にたいする批判は前作で行われていて、ここではその悪を認識しているものは、悪に対してどのように対するかというのが問題になる。これは難問だなあ。矢吹駆に神秘体験を経験させることによって、我が極小の泡のようなものでありながら、巨大な流れとのっぺらぼうの「神」を認識して超宇宙的な存在との関連を見出させている(神秘体験は吹雪の遭難時と、ヒマラヤの高地での陽光あふれる春の観照)。そのような認識では我とは卑小であり、出来事は運命でありうけいれるしかないとする。一方、シモーヌカタリ派への共感をもち、世界は悪意に満ちていて、人は重力によって暴力や支配によって打ちひしがれる。そこにおいて人は神を望むしかない。しかし神は沈黙であり無関心であり、不在であるようだ。うーん、自分の要約が合っているか自信がない。
 さて、駆はシモーヌに問題をつきつける。飢えて死ぬ1000人があなたの背後にいるとき、あなたは飢えを強制する権力者を殺すべきか。しかもあなたは不寛容に対して寛容であろうとしている。殺すことを選択するとき、自分が上記の大量殺戮の加害者と同じ立場に立つことになり、殺さないことを選択するとき、飢えて死ぬ1000人を見捨てることになる。いずれも「悪」を体現することになる。そのような悪を引き受けることを承認するか。これは前作のラストシーンで駆におきた事態に照応する。これもまた答えを見出すことは難しい。駆の側の無関心とシモーヌの側の耐忍。どちらもよくわからないというしかないな。(ようやく思い出したが、「アポカリプス殺人事件」を読んで、しばらくシモーヌ・ヴェイユの本を集めたのだった。結局、この女性の思想は理解できずじまいになったが)。
 えーと、2回目に読んだので、表層の殺人事件(ガラス張りの部屋の密室殺人、城跡の密室での縊死)の犯人や殺人方法、一族や老人たちの過去の出来事については読みなおしの途中ですっかり思い出してしまった。そのため、興味はこのような思想のほうにあり、ほんの数回しか現れないシモーヌの登場シーンにばかり注目することになった。それでも、カタリ派の歴史に関連して失われた書物の行方探しに、秘宝の存在、ナチスと聖職者やレジスタンスの闘争、さらにはアクション(小さなルノーの暴走に、切り立った崖から落下する絶体絶命のピンチの救出)もあって、ページをめくるのが止まらない。大岡昇平は知的蕩尽というかもしれないが、ここまで盛り込んでくれたのなら、そんな野暮はいいっこなしでしょう。ともあれ、再読が必要なミステリを生んだということだけでも素晴らしい。

  
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