odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

金子光晴「どくろ杯」(中公文庫) 底抜けの不良で詩人が戦前の日本にいられなくなって最貧層の社会を渡り歩く。

 不良という言葉には、ひどく人を魅了するところがあるのだが、そこらでオートバイをふかせているような矮小な連中は置いておくとして、金子光晴のスケールになると、もう太刀打ちできないと思い知らされる。なにしろ、旧制中学の頃から素行不良で退学ばかりであり、二十歳の詩で有名になるも、定職につくこともなく、無頼の徒とごろつき、師範学校の才媛となじみになるやさっさと子供を作って彼女を退校させ、国内に居場所がなくなり彼女に別の男ができたと知れるや、上海から巴里へ行く計画を持ちかけ、無一文のまま周囲から金を借り集め、子供を彼女の実家に押し付け、逃げるように上海に渡ってしまうのである。そこから日本に帰国するまで実に7年。上海、マレーシア、巴里と貧乏旅行を続けるのだ。それも沢木何某のような、一人であるが故の気楽な旅ではなく、妻であるのか共同生活者なのか敵なのかはかり知れない異性を一人伴い、しかも最貧層の世界を渡り歩かなければならない。この弧絶というのは、どうにも想像のしかねることで、なにしろ日々の糧を得る金を得るために会社などという組織にしがみつかないではいられないわれわれとは、精神の芯のあたりにあるものが違うと思われる。そう思いながらも、著者は、自分のことを美化もけなしもせず、傲慢にも卑屈にもならず、なるほど四〇年もたって回想するとなると、自分のこととはいいながらも、それはほとんど他人のことを眺めているようで、しかし、その心持ちは手に取るようにわかるとなると、書かれた言葉はどこも優れた省察にほかならない。これほどに、切っ先のとんがった、しかし余裕をもって、澄んだところのある文章というのは、ちょっと他にお目にかかれない。こんなところに登場さすなと言われそうだが、開高健なぞ箸にもかからないのである。
 この本は、日本を脱出して上海を遊ぶまでの数年間の回想。これに続く巴里編は「ねむれ巴里」に詳しく、先に読んでしまったのが惜しまれるのを悔やむ。

「唇でふれる唇ほどやわらかいものはない。」

「よそに恋人をもってその方に心をあずけている女ほど、測り知れざる宝石の光輝(かがやき)と刃物のような閃きでこころを刳るものはない。」

「求めて行きついた先には、人々が求めたものとは、全く別のものしかないが人はそれによって失意を抱くよりも、おのが拙い夢の方を修正することで終わる。人の夢のはかなさ、弱さは、それが終生であるかのように変わらないが、それこそは、人の心の無限を約束する鍵のあるどころをさがす非在の矢印なのではないか。」

 こんなことをさらりといい流しながら、その言葉の美しさに全く拘泥することなく、ただ描写を続けるその精神の非凡さを、読者であるわれわれは、ただ味わうしかないのである。もちろん、ここにつづられた、悲惨のきわみがかえってユートピアともエデンの園とも思われる男と女の情念の裏には、平凡きわまるつまらない日常があったと知れるのであるが、翻って自らの凡庸な生活と人生を思うと、著者のような覚悟と決心というのは、時として必要ではないかと思われる。おそらくその先は、ここに描かれる上海ごろのようなどこにもとどまることのできないボヘミアン的な身上が、結局は遊楽地の最下層にぐずぐずにとらわれて、他人を食い物にして生きるしかない最悪の者になりかねない道に続いているのかも知れない。自堕落にいけばどこまでも行きかねない心の持ち主からすると、最下層を経験して帰国したのち、反戦詩を書いた著者はダンテかも知れず、この7年間の旅はそのまま「神曲」の地獄、煉獄編に連なっているのではあるまいか。


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2014/07/31 金子光晴「ねむれ巴里」(中公文庫)
2014/08/01 金子光晴「西ひがし」(中公文庫)
2014/08/04 金子光晴「マレー蘭印紀行」(中公文庫)
マルグリッド・デュラス「愛人」(河出書房新社) 家族を憎んだ娘は他人の愛人になって感情を殺し肉体を嫌悪する。 - odd_hatchの読書ノート