odd_hatchの読書ノート

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金子光晴「マレー蘭印紀行」(中公文庫)

 これは昭和15年(1940年)に出版された紀行文。もとになった東南アジアの渡航体験は、「どくろ杯」「西ひがし」に書かれた1928-31年のときのこと。行きの話もあれば、帰りの話もあって、それはこの本だけではわからない。どの場所の話がいつごろのものかは、上記の自伝を参照しないといけない。晩年の自伝は、人に関心をもっていて、そこにかかわる自分の心の移り行きをかいたもの。こちらでは、自然と植民地の日本人の描写を表に出しながら、1930年前後の政治経済的な話をこめる。
 まず、政治的経済的な話をすると、第1次大戦のどさくさにまぎれてドイツが管轄する南洋諸島を自国の物にし、ヨーロッパの生産が落ちたところを狙って、日本の資本は東南アジアに経済進出した。そこには1920年前後の好景気に後押しされたこの国の庶民のバイタリティとエネルギーがよくわかる。数年を経ずして、ジャワ、スマトラ島マレー半島の主要な都市に日本人街ができるくらいに多くの人が滞在し、商売をし、鉱山を開発し、木材を輸出する。その代りに、日本で生産したさまざまな小物を売り歩いた。それも長続きしない。まず復興に成功したイギリス、オランダなどの宗主国が再びやってきて良質な製品で日本のシェアを奪いだし、資本を持ってきて開発と生産を開始する。それに日本国内の不況が重なり競争に陰りが出、1929年からの大不況とデフレがとどめを刺す。そのうえ、日本の資本と軍隊の苛烈な労働環境は、現地の人の不満を呼び、中国共産党の影響が次第に増していく。

 そういう時代だ。だから、著者はこれらの日本人街やゴム園、鉱山などを経めぐる。それは「日本」を背負うことで安全で、時に傲慢にもみえる旅となった。ただその視点は土地の低いところまで行き届く。なにしろ、スマトラ島メダンで最初にとまるのは娼婦の集まる連れ込み宿。そのころ、不況で食い詰めた妻や娘は女衒などの口車にのって、海を渡る。客をとり、しかし借金で首が回らないようになり、より金のよい辺境に流れていき、東南アジアの各島の都市で見ることができた。金をためるものもいれば、ヒモ男に貢ぐために足を洗えなかったり、マラリアデング熱ほかの風土病や性病にり患したり、過酷な移動で過労死したり。町のはずれにはそのようなものの墓があり、当時で数百人の遺骨が納められていたとか。そういう時代だ。大正デモクラシーは「内には立憲主義、外には帝国主義」と後に言われるが、まこと昭和の初めのころも同じ。
 著者は、この旅やヨーロッパ放浪中に社会主義文献を読んだり、この本を上梓する前には反戦詩を発表するなど、反骨の意思を示していたが、あいにく上梓の年には自由な物言いは難しかったと見える。表向きは、海外に雄飛した日本人が、あくどい欧米人の経済制裁に立ち向かい、無知蒙昧な土人(ママ)の管理に手を焼きながら、お国のために頑張っている話。しかし、それを伝える著者の視線は醒めていて、日本人に冷遇・熾烈な扱いを受けている人々をちゃんとみる。まあ解放のための檄を飛ばすほどのことはしないが、彼らを人として見る。横光利一「上海」にはそういう視線はなかっただけに、ここは重要かな。
 そこらへんが良くわかるのは、東南アジアの自然の描写において。この自然は人間に敵対的で、侵襲的。マラリア蚊で風土病にいつかかるかわからず、熱帯雨林では猛獣に襲われ命を落とす人が毎年出て、建てた家も白蟻ですぐさま朽ち、食物には蠅がたかっているというところ。熱くてイライラしてばかり。日本のように穏やかで調和的な自然ではないのだよ。そのような場所からは見えない、過酷な暴力がいたるところにある。著者がみたのは、たとえば首を切られて走り回る鶏、捕らえらた猿、ジャングルで捕獲され切り売りされる大蛇、家を食う白蟻、いたるところに侵入し蚊を食う守宮、マングローブの下で目を光らせる鰐など。これらのパワーを持つ連中が日本人を囲み、時に襲われ、時に襲いもするという熾烈な闘争の場所。ここらは著者の日本批判のメタファーなのだろう。
 ここには著者の心積りや変化が書かれていないので、彼の意図がどこにあるのかよくわからない(なにしろ、この本だけではなぜ彼が東南アジアに行ったのかまるでわからない)。その点では読者を限定する。
 そのかわり、水晶のように鋭い言葉の切っ先が、マレーとスマトラを容赦なく切り裂き、その血しぶきを見せているので、文章に酔える人には江湖の書。とりわけ珊瑚島の章が美しい。