odd_hatchの読書ノート

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レーニン「共産主義における左翼小児病」(国民文庫)

 左翼小児病というのは、闘うべきときに戦わない「日和見」と、闘う必要のないときに戦う「跳ね上がり」のふたつ。では、どのようなときに戦い、あるいは戦いを回避するかは、共産主義理論を正確に理解し、実践経験を積んだ者の指導による必要がある(具体例は書かれていない)。それをもっとも体現しているのは「党」ですよ。しかも世界史上はじめて「革命」を成功させたボリシェヴィキこそ最高、それを指導したレーニン最高。彼は鼻高々、というわけ(「それを読んで理解し、しかも党員である俺様、最高」という勘違いもたくさんいた)。
 この「理論」というのは、毛沢東の「遊撃戦論」と同じことをいっているのだった。すなわち、「敵攻めれば我退く。敵動けば我静まる。敵静まれば我動く。敵退けば我攻める。」(引用は不正確)ということ。この考えと上の「日和見」「跳ね上がり」の判断は大体同じところにある。これは「戦争」ないし「戦争」状態で、「敵」と「見方」の区別が容易であるときには有効。敵の損が我の利になるのは、わかりやすい。
 でも、労働運動や政治活動では、そのような敵と味方の区別が正確につくわけではない。とりわけ労働運動のように、会社(企業)と組合の関係は「敵-味方」ではないからね。組合が企業を解体することを目標にしたとき、組合の存立基盤そのものが失われる(自主管理組合会社を作るというのであれば、また話は別。そんな度胸のある労働組合は存在したかしら)。敵味方の排除の関係にあるのではなく、会社と組合もしくは従業員は、相互補完的なあるいは自己言及的な関係にあるから、そこに戦争のイメージを加えることはおかしい。ボリシェヴィキはミッションを権力奪取においていたので、会社-組合の関係を敵見方関係にしたのだろう。その後成立した共産主義国家が、戦時体制国家としてしか存在しなかったというのも、こういう敵味方関係でもって、国家や企業を見たからなのだろうね。著者は共産党を陰謀団体として規定したし、党員を「革命家」にすることを要請したからこんな風になったのだろう。それは「革命」の闘争状態では有効であろうが(そうとうの条件付きになりそうだが)、その後の国家と事業の運営時には邪魔な考えでしかない。のちの「人民の敵」裁判とか「ルイセンコ問題」あたりを参考に。
 もうひとつは、この種の文献がステークホルダーをきわめてせまくとらえていること。ワーグナーの「パルジファル」同様に救済されるのは、「党」という実在か観念としての「労働者」。そのために、この運動に参加しない労働者や組織に対して、各種の責任を取るつもりがまったくなく、むしろ「敵」としてせん滅の対象にしてしまった。また彼らの批判を取り込むこともしないで、組織の自己改革を行うことをしなかった。こういうステークホルダーにやさしくない組織は、生き残ることは難しいよな。「資本主義」というシステムにはさまざまな欠陥があるが、少なくともこのようなパフォーマンスと成果がおかしい組織を淘汰することができることは実在した社会主義国家よりもよい点だった

中村禎里「日本のルィセンコ論争」(みすず書房) 追記 2012/6/7 - odd_hatchの読書ノート
坂根利幸「民主経営の理論と実践」(同時代社) - odd_hatchの読書ノート