「「パリは移動祝祭日だ」という言葉で始まる本書を1960年に完成し,ヘミングウェイは逝った.「20年代のパリ」を背景に,スタイン,フィッツジェラルド,パウンド,ジョイスら「失われた世代」の青春を回想した不朽の名作.」
1961年に自殺した後に発表された遺作(その後30年も過ぎてから「エデンの園」が出た)。「移動祝祭日」のタイトルから自分はずっとカーニバルみたいなこととおもっていたが、年によって日付が変わる祝日のことだそうだ。まあ、1990年の同時代ライブラリー出版当時はこのような制度はこの国にはなかった。
思い出す時代は1921年から1926年にかけて。「われらの時代に」が書かれたころに当たる。それから30年。20代だった著者は50代に変わった。ここでの心持は「パリか、なにもかも皆懐かしい」と「あの頃君は若かった」。最終章においてパリを再訪した著者が当時を知る老年のウェイターに対し「みんな死んでしまった」と答えるとき、この感情はより痛切になったに違いない。
自分はうかつだとおもったのは、1920年代にドイツやオーストリアなどでおきたインフレは知っていてもフランスのインフレのことは知らなかった。フラン安が進んだので、わずかなドルで豪奢な暮らしができたのだ。だからジェイムズ・ジョイスなども来ていたわけで、クロフツ「樽」(1920年)が英仏の貿易を背景にしているのとクロスする(はず)。日本人もいったし、亡命東欧人もいたし、とくにアメリカ人が多く訪れたので、「パリのアメリカ人」という言葉が生まれ(もちろんガーシュインの作品の由来)、軽薄で刹那な暮らしをしている連中をさげすんだのだった。通常「失われた世代」というのは、戦争の後遺症でニヒリズムやシニシズムに陥り、深刻なアイデンティティの危機を迎えた連中を言うのだが、同時にこういうインフレで得た金を持っているが働かないで遊んでいる連中のことも指すのだった。後者の代表がスコット・フィッツジェラルドになるのだろう。ヘミングウェイ夫妻も彼ら夫婦と知り合ったので、この作中でもかなりの分量を使って彼が描写されている。スコットが粗珍に悩むというのが暴露されているのはここにおいて。
当時、ヘミングウェイはハドリーという最初の妻と貧乏暮らしをしていた。子供もいた。作中で書かれているように、パリの浮薄なボヘミアン生活はどうも基盤が弱く、執筆(彼は一環して「仕事」という)に没入すると、妻をないがしろにし、一方若い独身の女が作家志望の男にいいよって、彼を破滅に導く。そのような瞬間がヘミングウェイにもあったらしく、1926年においてハドリーとの復縁と破局の予感が書かれている。こんなことに注目したのは、同じような事態があったわけで、ヘンリー・ミラーとアナイス・ニンとか、ダシール・ハメットとリリアン・ヘルマンとかの関係だ。このふたつにおいては、女性の側が男性作家からみずから遠ざかるということで問題が回避されたわけだが、ヘミングウェイはハドリーと別れる。どうも芸術家は貧乏暮らしを共に耐えた糟糠の妻と添い遂げるというのはむずかしいらしい。自分が成功して虚名が大きくなったとき、別の若い妻を求めるという例はあるのだった。カラヤンとかいろいろ。
さて、パリはアメリカ人のみならずこの国の文人たちも魅了してくれた。おかげでヘミングウェイとはすれちがってしまったが、パリ放浪記がいくつかある。もちろん永井荷風「フランス物語」と金子光晴「ねむれ巴里」であって(もっとあるだろうけど。芹沢光治良や笠井潔などもかな)、こちらも読んでおこう。印象的だったのは貸し本屋シェイクスピア書店。でもパリはセーヌ河沿いの古本市が有名だったよな、うまくいけばここで発禁の猥褻本も入手できたのだが、ここには記載がない。本好きにはちょっと残念。ヘミングウェイは料理の描写がうまい。ここでもレストランの何でもない料理やワインのことが書かれていて、読むだけで幸せになれる。