われわれが外国を旅したときに、風景・文物・風習がどれも珍しくて、それとわれわれの日常に在るものの差異を考えてしまうことがある。それと同じことは日本を訪れた外国人にも起こっているはずで、彼らが記録したことは、そこに住んでいるものにはあたりまえすぎていて気にも留めないものであるが、外国人の目から見ると珍しいもので、われわれの特徴をなしているものであることを発見する契機になる。江戸後期からその種の書籍はたくさんあるのだが(アーネスト・サトウ「一外交官のみた明治維新」岩波文庫はなかなかたいへんでした。坂本龍馬が登場しないのはたしかか、という読み方だったので)、ここでは1939年の記録を読むことにする。
著者はドイツの新聞記者のちには映画制作者。彼がなぜ1939年の日本にいたのかはこの本を読んでも良くわからない。ただ、この時期にはドイツ、イタリアを除いた国の人が日本国内にいることはほとんど難しく、まして自由に国内および日本の植民地を見学していくことはできなかった。国民自身からして移動の自由は制限されていたのだった(統制社会になると、国内の移動ですら困難になる)。だから、この時期を外国人の眼で見た記録は珍しいものなのだ。
彼は多くの場所を見ている。国内の主要な都市だけでなく、朝鮮・満州・モンゴル・中国の各地を訪問している。これらの状況が彼の撮った写真付で掲載されているのがよい。1939年は日中戦争まっさかり。電撃戦を開始して、主要都市を抑え、周辺を掌握しようとしたところ、各地のゲリラ戦で消耗を強いられることになる。そういうおかげで国内には閉塞感が漂い、軍人でない指導者である近衛に人気が集まっているというころ。
とはいえ、彼の見聞は日本政府の権力あるいは軍の監視下にあるところだけをみている。そして、ドイツの権力に近いところにいる人物であるので、当時の日本の政策を承認し、未来の見通しを甘く見ている傾向がある。また彼の報告はいささか思弁的であって、具体的即物的なものではない。そういう点では、リード「世界を揺るがした十日間」、スメドレー「偉大なる道」、オーウェル「カタロニア讃歌」などに比べると、ルポルタージュとしては不十分。