odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ジョン・リード「世界をゆるがした十日間 上」(岩波文庫)

 ジョン・リードは1887年生まれのアメリカ人。1917年の2月革命の報を聞き、ロシアに向けて8月に出発。彼はアメリカの社会党員でジャーナリストの実績を持っていたので、ボリシェヴィキに受け入れられる。ここでは、10月革命の現場であるペトログラードにいて、取材を行った。不在中にアメリカで内乱煽動の容疑で裁判が始まったので、4月に帰国。その間に、本書を執筆し、1919年に出版された。

 当時30歳のリードは精力的にペトログラードを歩き回り、さまざまな人と会話し、新聞・ビラを集め、壁新聞をメモした。その膨大な記録が本書のベースになっている。したがってこの本の魅力は、それらの一次資料が豊富に掲載されているところ。ときには復刻したビラが挿入されている。また、さまざまな会議を傍聴しており、レーニントロツキージノヴィエフカーメネフなどボリシェヴィキの幹部のみならず、メニシェヴィキや社会革命党の幹部、兵士や労働者などの肉声も多数収録。この多数の声が響きあうのもこの本の価値を高めている。レーニントロツキーらのもっと後になってからの演説やインタビューをネットやCDできくことができるが、10月革命という緊張と高揚の現場で発せられたものを読み、聞くことができるのは貴重。
 1917年にはすでにフィルムに撮影されている。それを着色したものを使ったドキュメンタリーがある。あわせてみておくのは、理解を深めるだろう。
Russian Revolution in Color | 2007 Documentary

第1章 背景 ・・・ 1917年9月、ペトログラード(ペテルブルク)。インフレと商品不足。各地でのソヴェトの結成、いたるところの討論と演説。一方で、日常が継続。

第2章 来らんとする嵐 ・・・ 前月にコルニーロフの反乱がありその失敗の後、軍隊にソヴェトが成立し、代表をペトログラードに送るようになる。ケレンスキー内閣の統治は弱くなり、ボリシェヴィキの中央委員会では蜂起案が否決。このころ、レーニンフィンランドから帰国)やトロツキー(監獄から解放)はボリシェヴィキヘゲモニーを持っていなかった。ソヴェトの集会に集まる兵士、労働者、農民をみて「ロシアの奥深いところが撹きたてられた。そしていまや最上層部に出てきたのは、底の部分だったのである。」というのが感動的。

第3章 前夜 ・・・ ケレンスキーの連立内閣成立の運動ははかばかしくない。ボリシェヴィキは議会から脱退して独自の委員会を結成。蜂起案が採択。ペトログラード駐留の軍隊も政府側とボリシェヴィキ派の軍事革命委員会側に割れる。それぞれが武力をあつめ、刻々と蜂起の時が近づく。ここではトロツキーの精力的な演説がたくさん紹介される。

第4章 臨時政府の崩壊 ・・・ 11月7日(ロシアの旧暦の日付)。朝、マリインスキー宮殿は政府軍もほとんどいない。ケレンスキーが逃亡。政府軍はペトログラードに侵入できなかった(ボリシェヴィキ鉄道員が進行を阻止したのじゃなかったかな)。夜、スモーリヌイではペトログラード・ソヴェトが終日会議。レーニントロツキージノヴィエフらがケレンスキーの臨時内閣が倒壊したことを報告。深夜、冬宮を警備する政府軍は武装解除され、ボリシェヴィキらが代わりに警備に入る。都市周辺の軍隊から軍事革命委員会があいついで設立され、ペトログラード防衛にあたることが報告される。

第5章 突進 ・・・ 11月8日、木曜日。前日にソヴェトからメニシェヴィキと社会革命党が脱退したので、ヘゲモニーボリシェヴィキにある。ソヴェトの会議はボリシェヴィキの提案した法案、布告を承認する場になっている。この日は「全校戦諸国の人民への声明書」「土地に関する布告」「政府構成布告」が採択される。リードによるレーニンの素描。

「愚民の偶像となるためには非印象的だが、おそらく指導者としては史上まれなほど敬愛されている。不可思議な民衆指導者――もっぱら知識の力のみによる指導者。色彩に乏しく、ユーモアがなく、非妥協的で孤立し、絵画的特異性をもたない――しかし、深刻な思想を単純な言葉で説明する力、具体的な情勢を分析する能力、をそなえている。そして機敏さ、最大の知的大胆さを兼ねそなえている。」

第6章 救済委員会 ・・・ 11月9日、金曜日。ケレンスキーが逃亡し、ロシア共和国政府(レーニンが人民会議議長で代表)の権威もないので、軍隊の指揮系統が混乱。ケレンスキーの政府軍が北進し市内を制圧するという噂。さまざまな軍隊兵士の集会で演説があり、どこの命令に従うかを討議している。

第7章 革命的戦線 ・・・ 11月10日、土曜日。この日の布告で重要なのは「出版物一般取締法」、空家や空き室の徴発権を市ドゥーマに与えたこと。政府軍の進行が進んでいて、市の周辺の軍隊にトロツキーの名で軍事革命委員会から防衛命令がでる。軍隊の兵士は逃亡してボリシェヴィキの赤衛軍に行くものがあり、士官は政府軍につく事例が紹介される。

第8章 反革命 ・・・ 11月11日、日曜日。コサックの市内侵攻。銃声から市街戦。銀行、電話交換局などのストライキサボタージュ)。それでも市内の店は開いている模様。リードは地下に潜った社会革命党の幹部をインタビューする。

第9章 勝利 ・・・ 11月13日、火曜日。前日にツァールスロエ・セローの戦いで革命軍は政府軍を破る。リードは赤衛軍といっしょに戦地に赴く。帰途、警備の兵士に銃殺されそうになる。軍隊は兵士ソヴェトで運営され、責任者は兵士。士官のうちソヴェトの命令に従うと誓ったものは、戦闘時だけ指揮権を持つ。民主軍隊のような組織になっているわけだ。ケレンスキーが水兵に変装して逃亡。政治的な権力を一切失う。

第10章 モスクワ ・・・ 11月16日。6日間の市街戦の行われたモスクワへ。クレムリンや教会などが戦闘の被害で破壊されている。数百の死者を葬る穴掘りとそのあと司祭のいない合同葬儀が行われる。

第11章 権力の獲得 ・・・ 11月13日から27日にかけて。インテリ、官吏のサボタージュで、食料・物資不足が深刻化。民兵に代わって赤衛軍が治安と保安にあたる。ペトログラート・ソヴェトではレーニン一派が危機。下からの支えで権威を保持する。救済委員会、ドゥーマが解散され、権力は人民委員会に集中する。

第12章 農民大会 ・・・ 11月23日から28日にかけて。農民大会ではボリシェヴィキは多数派を占めていなかったが、このときの農民大会で労働者ソヴェトと農民ソヴェトが連帯に合意する。


 膨大な付録がついていて、当時の資料が開示される。そこまでは読まなかった。なお、「世界をゆるがした十日間」には小笠原豊樹訳の筑摩書房版もある。岩波文庫版は戦中の訳出で、1957年に文庫化。訳文が古いせいか、かつて筑摩書房版で読んだときの熱気が感じられなかった。新たな読者には筑摩書房版を推薦。
 まとめたようにレーニントロツキーが大活躍。そのため、「10月革命のときスターリンは何をしていた?」「トロツキーという変名で活動していた」というアネクドートがのちに生まれた。平井吉夫「スターリン・ジョーク」(河出文庫)にある。
(続く)
2014/11/28 ジョン・リード「世界をゆるがした十日間 下」(岩波文庫)

        

 ジョン・リードの経験したロシア革命はのちに映画になった。