odd_hatchの読書ノート

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【追悼】吉田秀和「ブラームスの音楽と生涯」(音楽之友社)

 クラシック音楽評論の第一人者で、文化勲章受章者、水戸芸術館館長の吉田秀和(よしだ・ひでかず)氏が22日午後9時、急性心不全のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。

 98歳。24日に密葬が執り行われた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120527-00000082-spnannex-ent

 クラシック音楽を聴くようになってから文章を通じて勉強とお世話になった人だ。この人は評論だけでなく、ラジオ番組による啓蒙にも力を入れていて、1960年代半ばから40年近く番組をもっている。1980年代の始めころから一人の作曲家の全作品を紹介するという気の遠くなるような仕事をしていて、モーツァルトベートーヴェンのあとにブラームスを取り上げた。熱心な聞き手がいて、放送講演のテープ起しをして著者に出版するように求めた。著者は気乗りがしなかったが、編集作業の協力者を得ることによって出版されるにいたった。特に歌曲の紹介では、自分で歌詞を翻訳していて、ああこの人は中原中也小林秀雄に大岡昌平の知り合いだったのだ、と1930年代にまで思いをさかのぼらせることができる。もともと放送用であり著者の評論のスタイルではないので、読みがいはあんまりない。それでもところどころで著者の考えが聞こえてきて、そこはかれらしいなあと感慨にふけった(この文章を書いたのは2005年)。
 それは1980年代半ばから彼の書いたものと、実際に音に聞こえるものに齟齬があるように感じることが多くなってきたからだった。そう思うようになったのは一人だけのことではなく、パソコン通信などでもそのような意見を見聞きすることが多かった。理由はおそらく、(1)リスナーの情報量が圧倒的に増えたこと(CDの価格が相対的に安くなった、パソコン通信・インターネットの情報交換が頻繁に起こった、海外に出かけることが容易になった)、それによって一評論家がカバーできる以上の情報を持つことができるようになったこと、(2)情報伝達のスピードが圧倒的に速くなり、彼(を含めた評論家)の文章がでるころにはすでに古くなってしまったこと(輸入盤の新譜を買って3か月後に雑誌に紹介記事が出て、邦盤がでるのが1年後というタイムラグではマスメディアは役に立たない)、(3)音楽の価値あるいは意味が劇的に変化したこと(その前提として(1)や(2)の事態がある)。
 著者の立場は、戦前の教養主義的なところにある。芸術が人生や社会の重要な問題を解決する(少なくとも解決の方向を示唆する)という考えがもとにある。だから芸術には真摯に取り組む必要があり、それが作られた時代を充分に知り、その時代と現在との差異を明らかにしていかなければならない。また芸術作品を通じて、芸術家の「詩と真実」を理解することが可能であり、それを知ることは自分自身を高めていくことになるのである。そのような考え。数週間前に読んだ「丸山真男 音楽の対話」の丸山真男も同じような考えの持ち主だった。著者のほうが20世紀現代音楽にも積極的な関心をもっているだけ、(音楽に関しては)より柔軟な思考をしていた。それでもこのような考えからはほど遠いところにある音楽には彼は語ることをしない。たとえばミニマル・ミュージックであり、コンピューター音楽であり、ジョルジェ・シフラのようなヴィルトゥオーゾ。ショーマンシップにあふれる者たちにも冷たかったな。「世界の指揮者」でストコフスキーを取り上げなかったはずだ。
 あと、1990年以降には、彼が語らなかったもの・除外してきたものへの関心が強くなってきたといえる。聴衆の側の変質。それは芸術が勉強するものであることから、消費するものに変わってきたことを示すものであり、「中心」と思われてきた強力な観念が「辺境」の素朴・単純なものと変わりがないと相対化されてきたことを示すものである。そのようにこちら側の気分や考えが相対化され、「クラシック」の範疇から広がりの大きなところにでるようになるにつれ、著者の考えが共感するもの・勉強するものであるところから離れていったということができるだろう(さらにはどうしてもメジャーレーベル中心に考えるということも批判されることになる)。
 とはいえ、音楽を聴くということに関しては、著者のように総合的・全体的な聞き方をできた人は後にも先にもいない。後の人ほど情報量があったとしても、軽薄にしかきけないのだ。その点では、日本という国で音楽の「エキスパート@アドルノ」を挙げようとすると、まずこの人の名をあげ、その次がでてこない。l一般リスナー向けの本とはいえ、クラシック音楽の歴史をグレゴリオ聖歌から現代音楽まで通覧する文章を書くことのできたのもたぶん唯一なのだ(「LP300選」)。もはやクラシック音楽をこのように全体として捉えることのできる人は、いるのかなあ。