odd_hatchの読書ノート

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フランス古典「聖杯の探索」(人文書院)

 最初のミレニアムの後半にケルトの伝承として語られていたものが西ヨーロッパの各地で流行した。それを文書にするようになったのが、12世紀あたり。同時多発的にまとめられたので、似たような話でも微妙に異なるヴァリアントになり、筆写生の誤記や改変で版による違いも生まれる。中世より前の古文書や古文学を読むと、こういう異本研究の底なしにひきこまれてしまう。まあおいらはワーグナーの楽劇経由でこの種の中世文学にはいっていったので、ブッキッシュな話題は「へえ」だけですますことにする。その代わり、ワーグナーの「パルジファル」と役割がまるで違うじゃない、と愕然とするのだ。
 これは1220年代にフランスで成立した聖杯物語のひとつ。訳者によると、「大伽藍的連作集成の核心に位置している」そうな。上記のようにケルト伝承なので、舞台と人物はイングランド?であるが、人物名はフランス読み。したがって、アーサー王→アルチュール王、ガラハッド→ガラアド、ランスロット→ランスロ、パーシヴァル→ペルスヴァル、ガウェイン→ゴーヴァンという具合。最初はなじみにくいけど、次第に慣れていく。

 さて、比類なきアルチュール王(彼の征服物語は別書にあるそうな)の宮廷にはおよそ50名の円卓の騎士がつめている。そこに乙女が現れて、比類なき騎士がここに来ると予言する。この宮廷には岩に突き刺さった剣があり、比類なき騎士でなければ(かつ純潔で信心にあつく、誘惑にまどわされないもの)、抜くことはできない。いくたの騎士が試みたがみな失敗。ここにガラアドが現れ、見事、剣を抜いて見せた。さらに聖杯が訪れて、騎士を法悦境に誘うとともに、素晴らしい食事を供与するという奇蹟を起こして消えてしまう。そして、天よりの声「聖杯を探す探索(アバンチュール)にでよ、そして不具王を癒せ」という命令が下される。騎士たちはいそいぞと旅支度を始めるが、アルチュール王は彼らの大半が失敗し、帰ってこないことを予感し、号泣する。
 このあとは何人かの騎士の冒険物語。ゴーヴァン卿とランスロは失敗する。なんとなれば、ゴーヴァン卿はその高慢のゆえに、ランスロはアルチュール王妃との不義のために。ランスロはガラアドの前には、円卓の騎士第一位を任じていたが、彼のようなものであっても、キリストの教えをくまなく体現するのは困難なのである。しかも、それは隠者・修道僧など知徳の高いものにすべて予言され、その言葉通りに成就し、彼の努力によって覆すことができないのである。その代わりに、聖杯探求に成功するのは、徳の高い騎士ガラアドであり、彼に同行できたペルスヴァルとボアールの3名のみ。ペルスヴァルとボアールは、悪魔から誘惑されたり詐術にかけられたりするが、意思によってあるいは神の計らいによって、危機を逃れることができる。というのも、純潔と信心の深さを実行できる強い意志をもっていたからである。物語の3分の2はこのような騎士の冒険譚。彼らは現世の冒険をするとともに、幻夢をみる。彼らはその象徴を解き明かすことができない。そこで隠者や修道僧に解読を依頼する。彼らの解読では、幻夢は神の意思の表れであり、これからの行動の指針であり、誘惑や決闘などの危険の示唆である。それを読み取り、幻夢に示された神やキリストへの務めを成すことで、自分の未来を見いだせるのである。
 騎士たちはばらばらに行動するが、ある海岸にガラアド、ペルスヴァルとボアール、そしてペルスヴァルの妹が集結し、聖杯探求の冒険が一気に進む。しかし、聖杯獲得の前に、彼らの前に現れた美しい帆船と内部の豪華な寝台などの由来を聞かねばならない。それはイエス没後40年目から現在(たぶん西暦500年ころ)までの長い因縁のお話だ。これを耐えた後に、ようやく、悪魔の支配する城の攻略戦となり、悪魔を放逐して、聖杯と対面する。しばらくの滞在ののち、聖杯をもって不具の王のもとにいくことになる。天使のもつ聖槍から垂れる血を聖杯で受け、その血を不具の王の両脚の傷ついているところに塗るとあっという間に快癒した。そして最後の務めを果たしたのちに、聖杯と聖槍は祝福と栄光に包まれて天に帰って行ったのである。ガラアドとペルスヴァルは客死。ボアール一人がアルチュール王のもとに帰り、その冒険を余すところなく語った。それを記録したのがこの「聖杯の探索」である。
 解説によると作者(とはいえ、この種の本に特定の作者がいるとおもわないほうがよい)はシトー修道会の関係者だそうで、夢の解読や儀式などにはこの修道会の教義が反映しているとか。そのあたりの細かいところの読み取りは専門家にまかせて、自分はばったばったと騎士をなぎ倒す活劇や、乙女の嘆きとそれに困惑する騎士のロマンスなどを楽しんでいたのだった。
 聖杯探求の物語は、ファンタジーやゲームや映画で何度も繰り返されるほど、よくある形式。そこには、豊饒さを失った土地や共同体の回復をだとか、自分を幸せにできない救済者だとか、誘惑とその克服だとか、生還できない英雄(その死が共同体の復活と再生の契機になる)だとかのモチーフがある。そういう形式を知っておくと、この数百年につくられたさまざまな物語を読み取る手助けになる。お奨めしたいが、中世の散文は翻訳でも冗長で、語りも現在の小説とは異なっているから、読み手を選ぶだろう。自分も最初はワーグナーを繰り返し聞き、ブルフィンチあたりから入っていった。標高の低い山でトレーニングしてから、この高峰に挑むのがよい。手元には、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(1160年/1180年頃 - 1220年頃またはそれ以降)の書いた「パルチヴァール」がある。これは散文ではなく、韻文でしかもまわりくどい文章なので、非常に読みにくい。さて、いつ読むことになるのやら。

 時代からすればトゥルバドールの音楽を聞くのが良いのだろうが、今回はワーグナーパルジファル」を聞いていた。全曲ではなく、トスカニーニストコフスキーの抜粋編曲版と、ヘンク・デ・ヴリーガー編曲のオーケストラ版。ペルスヴァルはワーグナー版のパルジファルほど格好良くないので残念。

   

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