odd_hatchの読書ノート

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ラテンアメリカ文学アンソロジー「エバは猫の中」(サンリオSF文庫)「美しい水死人」福武文庫

 初出は1987年。中南米文学の単行本は高くて買えなかったので、それこそサンリオSF文庫にしかなく、重宝した。この本に収録された作家を後で追いかけた記憶がある。いや、そんなことを言うことができなくて、とにかく文庫化された中南米文学は片端から買うしかなかったのかもしれない。

アランダ司令官の手(アルフォンソ・レイエス) ・・・ 戦闘で失った手を保管していたら勝手に動き出して。ゴーゴリ「鼻」のラテン・アメリカ版。「手は自らを一個の人間、自律的な存在とみなし、自らの行動は自ら決定すればよいと考えていた…手というのは文学上のテーマ、作家の筆先にからめとられて使い古され擦り切れてしまった幻想文学の題材でしかない(P18)」と認識した手は自殺する。大笑い。

波と暮らして(オクタビオ・パス) ・・・ 鼓直編「ラテン・アメリカ怪談集」(河出文庫)と重複しているので省略。

犬が鳴いてないか(ファン・ルルフォ) ・・・ 老人が病気の息子を背負って夜、隣の村を目指して歩く。貧しい人々の切実で愚かしい愚痴。

生活費(カルロス・フエンテス) ・・・ 20世紀半ばの不況のメキシコシティ。教師だけではやっていけない夫がアルバイトを懸命に探す。シティの猥雑さと暴力。

カナリアとペンチと三人の死者のお話(ホルヘ・イバルグエンゴイティア) ・・・ 「ぼく」の家に泥棒にきたり、金をせびりに来たり。貧困者の厚かましさを笑うのがよいか、「ぼく」の家族の無類のお人よしさを笑うのがよいか。

包誠(パオ・チエン)による歴史(サルバドール・エリソンド) ・・・ 3500年前の中国の哲人が思索にふけり、ある人の書いている書を読む、という話を読む、という話を読む…。言葉による無限の入れ子が完成。

遊園地(ホセ・エミリオ・パチェーコ) ・・・ 象がピエロを生み、悪戯した小学生は食虫植物に食わされ、馬が処分され…。リアルな動物園の描写がグロテスクになり、見るものが見られるものになる。ここでも言葉による無限の入れ子が完成。

ミスター・テイラー(アウグスト・モンテローソ) ・・・ 鼓直編「ラテン・アメリカ怪談集」(河出文庫)と重複しているので省略。

エバは猫の中(ガブリエル・ガルシア=マルケス) ・・・ 不眠症に悩む美貌の女性。夜の闇の中で、霊魂になり、別の存在に変わりたいと願い、猫を探す。その想念の流れはよいとして、途中に「ぼく」がでてくるのはなぜ? いったい誰?

イシチドリの夜(ガブリエル・ガルシア=マルケス) ・・・ イシチドリに目を食われた盲の男たち。部屋から出られないのか、街のどこかにたむろしているのか。2編とも孤独、寂寥、空虚に満ちている(形容矛盾かな?)

記章(バッジ)(フリオ・ラモン・リベイロ) ・・・ ある記章を身に着けたら、秘密の会合に招かれ、さまざまな仕事を依頼される。それをこなしているが、結社の実態は全く知れない。おれらの人生もこんなふうなのかなあ。

薔薇の男(マヌエル・ローハス) ・・・ インディオ相手に布教している修道士に、ある男が黒魔術をしたので告解したいと申し出た。修道士は、男に往復2日かかる離れた修道院に咲く薔薇の花を取りに行くように命じる。男はカギのかかる部屋に一人で閉じこもった。八雲「ろくろ首」に似た怪異。ただ薔薇の男の回心がよくわからない。

閉じられたドア(ホセ・ドノーソ) ・・・ 時間があれば眠っている少年。彼は眠りの至福感を現実に持ち帰りたいが、目覚めとともに忘れてしまう。いつか夢を現実につなぐドアを開けたい。その願いの実現のために、流浪の暮らしに入る。H・G・ウェルズ白壁の緑の扉」 の中南米版(作者はチリ生まれ)。我々のように現実と重力の桎梏にあえいでいるものには、このような夢にある至福には無縁なのだろうなあ。

羽根枕(オラシオ・キローガ) ・・・ 夫がつれないのが不満な妻が、体調を悪くして、たった5日5晩で衰弱死した。その枕にあったもの。古い怪奇小説なのだが、作者には死はこのような具体物なのだろう。

水に浮かんだ家(フェリスベルト・エルナンデス) ・・・ 作家である「ぼく」が夫を亡くした未亡人に雇われる。未亡人の家は、水に浮かんでいて、ボートで周囲を巡りながら、身の上話をとりとめなく「ぼく」にかたる。「ぼく」は次第に未亡人に惹かれていって…。状況は福永武彦「廃市」に似ているなあ。水の反映が記憶を溶かしていって、愛の行く末は誰も知らない。

旅行者 -1840年(マヌエル・ムヒカ=ライネス) ・・・ アルゼンチンの田舎町。白人夫婦の家の前で馬車が故障したイギリス夫人が宿泊することになる。彼女の博識、美貌、なによりヨーロッパの都会の匂いが二人を魅了する。それぞれ彼女に誘惑されてい寝室に忍び込もうとしたら。愛のとりとめなさ、現実への失望。甘く苦い夜。

パウリーナの思い出に(アドルフォ・ビオイ=カサレス) ・・・ 子供のころからいっしょにいたパウリーナ。いずれ結婚すると思っていたのに、「ぼく」が留学する前に、別れようといってきた。再会することができると英国に旅だつ。男の未練を詠嘆調で語る。ブラッドベリ「みずうみ」みたいな感じ。どちらもそうだけど、男の失恋ものは男の側の一方的な思い込みで書かれるのだよね。それが「昔はよかった」の嘆きにあうわけだが。これがユニークなのは、その思い込みが最後の節で壊されること。「ぼく」のよってたつ存在根拠がまさになかったことになるわけで、「ぼく」はこのあとどうやって生きていくのかな。

追い求める男(フリオ・コルタサル) ・・・ フリオ・コルタサル「悪魔の涎・追い求める男」(岩波文庫)と重複しているので省略。


 この国や西欧の小説が世知辛いか、どこかで読んだことのありそうなものになったときに、中南米文学から来た文学はとてつもなく面白い。自分には土地勘がない分、想像力を働かせざるを得ないのがいいのだろうな。それに現実とファンタジーの境がなくて、地続きのまま精霊や幽霊たちが同居する世界になって、それに誰もおどろかないというところも。
 ただ、とっつきにくいのも確かであって、このアンソロジーに登場する作家たちの経歴を見ると、たいていヨーロッパに官費や自費で留学していて、当地の文学や芸術活動に参加したりして大きな影響を受けている。国民国家ができたとき、ないしできるまえに西洋の文化の洗礼を受けて、それを自国の文化に移し替える苦労をしてきた連中だ。この国だと森鴎外とか夏目漱石のような人たち。とても知的、しかしほら話が大好き。そういう人たちの知的な仕掛けがいたるところにある小説だものだから、読者は物語と一緒にその仕掛けを解読できる力を要求するところがある。手ごわいけど、読後の驚きと感動は労力に報いてくれる。

 福武文庫でタイトルを変えて再発されたこともあるらしい。「美しい水死人―ラテンアメリカ文学アンソロジー」 (福武文庫)