odd_hatchの読書ノート

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シュテファン・シュトンポア「オットー・クレンペラー 指揮者の本懐」(春秋社)

 生松敬三「二十世紀思想渉猟」(岩波現代文庫)ではジンメル経由で触れられる指揮者オットー・クレンペラーの証言をこちらで読む。

 生涯を略述すると、1885年ドイツ生まれのユダヤオットー・クレンペラーは歌劇場の手伝いからキャリアを開始。マーラーシェーンベルクプフィッツナーヒンデミット、ストラビンスキーらと交友を結び、彼らの作品を取り上げる。40代にはベルリンで三番目にできたクロル歌劇場の音楽監督になり、現代オペラをレパートリーに取り入れる斬新な活躍をする。ナチスの政権奪取頃から身辺が不穏になったので、スイス経由でアメリカに逃れる。1933年から6年ほどロスアンジェルス・フィルの音楽監督。その後は干されて仕事がない状態。1947年にイギリスにわたり、指揮活動を再開。大けがに全身火傷にと身辺は騒がしい。EMIのワルター・レッグと懇意になり、彼の設立したフィルハーモニア管弦楽団と膨大なレパートリーを録音。1972年に88歳で死去。
 なお、手紙やパンフレットの解説などから収録された短文ばかり。背景が書かれていないので、クラシックに興味のない人には良くわからない話題になるかも。ここではエリーザベト・シューマンとの駆け落ちなど女好きなところは触れていないし、さまざまないたずらや逸話も書かれていない。それは別書で補完してほしい。交友関係にあると耐え難いと思うが、遠くから見ている限りはほほえましいよ。
 注目するのは、上記の20世紀前半の作曲家たちとの交友について。とりわけマーラーへの言及が多いのがありがたい。まあ、クレンペラーの就職を世話したのだから(紹介状を書いた)、印象深いのだろう。マーラーの生涯を説明するとき、この本はよく引用される。シェーンベルクアメリカ時代にロスで不遇を嘆きあった仲間。この二人とバルトークアメリカで不遇だったヨーロッパ人の代表みたいな人たち。あいにく、指揮者による彼らのような同世代の作曲家の録音はそれほど多くないのが残念。アメリカで成功した者には、コルンゴールドとかホロヴィッツワルターなどがいて、この比較は興味深い
 次は、1920-30年代のベルリンの活躍について。クロル劇場での仕事は充実だったらしく、何度も振り返られるが、これもほとんど録音がない。「カルメン」「天国と地獄」という晩年のレパートリーからは信じられないような演目を指揮していたのというので、なんとも残念。
 この人はナチスのおかげでキャリアを積むことができなかった人。ベルリンでウィーンで重要なポストを捨てることになった。同じように、不遇な指揮者生活を送りことになったのはエーリッヒ・クライバーやヤッシャ・ホーレンシュタインか。1930年代当時に40-50代の指揮者がドイツを逃れたことで、ポストに空きが出て役職を得たのが、ベームカラヤンヨッフムなどの一回り下の世代。彼らは戦後ドイツの音楽界の重鎮になる。ここらの人生の紆余曲折は自分で御すことのできないものだからなあ。
 さて、この指揮者は、音楽にとても柔軟な考えの持ち主。バッハは少人数で演奏すべき、楽譜に演奏記号がないならそのとおりに弾くべき、ピリオド楽器はつかうべし。これらのピリオドアプローチに似た意見を1930年代から表明していた。その反映ともいえる晩年の録音は自説を実践している一方で、遅いテンポのおかげでとてもユニークなものになってしまった。
 またこの時代のドイツの指揮者には珍しく「ドイツ精神」について語ることはしない。音楽のなにか超越的なことには関心がないようだし、形而上学のことばも使わない。晩年の録音を聴いて、この本の発言に重ねれば、クレンペラーは音楽に神秘(ミステリ)を見出さない人なのだろうと思う。楽譜に指定された音を全部鳴らせば、それで音楽は伝達できるのだ、というような考えを持っていたのではないか。スタジオのセッション録音を聴くと、ライブでは聞こえないような音も音像のどこかにちゃんと配置されていて聞こえるのにおどろく。これを実現するのが、ときに彼の設定する激遅テンポなのだろう。そのかわりに、音の奥行きとダイナミズムには関心がない。
 というような推測は1955年以降の体が不自由になってからのものなので、どこまで通用するのかしら。その前には逆にとても速いテンポでダイナミズムを表現する録音もあって、どうにもこの指揮者の考えというのはよくわからない。とはいえ、この人の演奏は聞いておくべき。

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