odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ジョン・G・バラード「溺れた巨人」(創元推理文庫)

 1966年の第5短編集。第4短編集の「時間の墓標」は未読。

The Drowned Giant 溺れた巨人 (1965) ・・・ ギリシャ風の風貌を持った巨人が砂浜に打ち上げられた。撤去されないまま次第に朽ちて、破壊され、持ち去られる。これがSFだとホーガン「星を継ぐもの」のように寄ってたかって巨人の来歴に身体的特徴に食生活に…を調べるものだが。センセーショナルなものですら、すぐに消化して、忘れる現代。

The Reptile Enclosure 爬虫類園 (1963) ・・・ バカンスの浜辺。5万人が密集した中、人工衛星の発射がラジオ放送されている。周回軌道に入った衛星が見えるかという頃、人々が次第に海に向かって動き出す。瞑想的な表情になって。「科学」的な説明のあるものの理由は不明で、冒頭の「ガダラの豚」の引用が最後にもう一度現れる。近未来のホラーはこんな感じか。

The Delta At Sunset たそがれのデルタ (1964) ・・・ 砂漠の遺跡で調査中の学者が足を骨折する。キャンプ地のデルタ地帯では、なぜか蛇が増えてきた。学者はそれに熱中し、妻が同僚の学者と相談しているのに気づく。「蛇」の多層的な象徴が、世界をイマジナリーに広げ、学者の心の奥底を照らし出す。蛇神のアイコンがあるというのはエジプトだろうなあ。

Storm-Bird, Storm-Dreamer あらしの鳥、あらしの夢 (1966) ・・・ 沼沢地帯で鳥が人を襲い、死んでいく。監視員の興味はその原因ではなく、隣人の若い女のこと。彼女を救うために鳩を殺したが、彼女は監視員の行為を非難し、交友を拒絶した。そして監視員は彼女の心を開くために自らを鳥に模する。デュ・モーリア/ヒッチコックの「鳥」が終わったところから始まる物語。ただ、なぜ鳥が人を襲い死んでいくのかという世界には目を向けず、ひとえに心に沈潜していくのがバラードの「終末」。キリスト教以外のヨーロッパの神話では鳥はしばしば神の使いだというのを思い出した。

The Screen Game スクリーン・ゲーム (1963) ・・・ 「ヴァーミリオン・サンズ」連作のひとつ。莫大な遺産を相続したインテリ青年が「アフロディテ70」という芸術映画の制作にのりだす(同じ理由で映画監督になった人が実在するなあ)。脚本なし、即興演出。膨大な背景パネルを制作することになった「私」は、砂漠の館に引きこもる美女と合う。彼女は誰ともコミュニケーションしないが、パネルができて周囲を囲むようになったとき、監督をようやく向き合った。美女(ガーランドという姓は、薬物中毒になっていたジュディ・ガーランドから取った?)がひきこもる理由、監督が美女を主演に抜擢した理由。「私」が講じるパネルを並べて迷路をつくるスクリーン・ゲームによって引き出される「真実」。書き方を変えるとクイーンの探偵譚になるのだが、そこはバラード。リアリズムよりイメージの描写に注力する。

The Day Of Forever 永遠の一日 (1966) ・・・ 地球は自転を止たので緯度の代わりに時制をつかう。「7時のコロンビーヌ」というように、公転はあるから1年かけて朝と夜が交代する。さて、男ハリディはこの都市でしばらく住まうことにしたとき、レオノーラという美女に会う。時間をかけて知り合い、砂漠の中のオアシスでハリディが見せられたのは…。世界を彷徨うオデッセウスがオアシスでナウシカアにあったと思ったら、ミノタウロスだったというわけだ。科学的な考証なんか関係ない(自転が止まったらどんな災害が訪れることか)。この小説は作中にでてくるデルヴォーの絵の中で起きていることを書いているのだ。

Time Of Passage うつろいの時 (1960) ・・・ 「ジェイムズ・フォークマン 1963-1901」という墓。そこから「始まる」ある男の一生。アレッホ・カルペンティエール「種への旅」フリッツ・ライバー「若くならない男」、PKD「逆まわりの世界」清水義範「グローイング・ダウン」など。

The Gioconda Of The Twilight Noon 薄明の真昼のジョコンダ (1964) ・・・ 事故で一時的に失明になった研究者。次第に、閉じた瞼の裏に見えるイメージに魅了される。そろそろ包帯をとろうとする医師に彼はもっと時間をくれという。次第に、その日が近づいて、彼はある決断を…。最後にあらわれる神話の人物と同じ決断なのだが、意図はまるで違う。「Twilight(日の出前・日没後のたそがれ)」と「Noon(真昼)」が並列されるという言葉のマジック。

The Impossible Man ありえない人間 (1966) ・・・ 17歳の青年が交通事故で重傷を負う。収容された病院は復元手術によって治療し、青年に義肢を移植しようとする。ドナーは事故の相手の運転手だった。青年の苦悩と決断…。心臓移植手術が実験的に行われているころのバイオエシックスをテーマにする。知見と事例が少ない時期の作なので、この小説ではバイオエシックスは語れない。小説のころより臓器移植は安全になったし、義手義足などもよいものになった。残るのは長命であることの価値をどう見るか、という点か。


 解説でバラードの好きな場所を「浜辺、海、砂漠、熱帯の密林、眩い庭園、廃墟、ハイウェイー、純白の研究所や病院」をあげる(あと、高層の集合住宅を追加したい)。同じく心理状態だと、不安・焦燥・疑惑・不信・偏執・固着・孤独・諦念あたりで、行動では不眠・孤独嗜好・引きこもり・だんまく・物思い・コミュニケーションのすれ違い・思い込みなど。
 俺のように、バラードがよく描くのと同じ行動性向をもっていると、この小説はシュールではなくて、リアリズムに思えてしまう。そのせいか、自分の物語を読んでいるようで物思いにふけってしまい、なかなか読み進められなくて困った。