odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ジョン・G・バラード「永遠へのパスポート」(創元推理文庫)

 1963年刊行の第3短編集。

The Man On The 99th Floor 九十九階の男 (1962) ・・・ 99回まで登るとその先に行けなくなる憂鬱症の小男。それでいて100階のビルに上ろうとする。小男の強迫観念は後催眠暗示なのではないか。治療している精神科医はそのように考えた。強烈なオチ。ようやく上り詰めたビルの屋上の寒々しく、うつろなこと。

Thirteen To Centaurus アルファ・ケンタウリへの十三人 (1962) ・・・ 生まれたときから密閉された空間で生活している13人。その中の一人の少年が船内の心理学者になぜこの空間は閉ざされているのかと尋ねる。その答えはアルファ・ケンタウリの世代間宇宙飛行をしているからだった。少年に疑惑が生まれ、余暇時間を使って調査を始める。心理学者は困惑する。1950年代にはやりの世代間宇宙船SFのパロディ。宇宙船SFのテーマが冒険と任務であったのが、脱出と懐疑になる。それも一瞬のことであって、この短編ではさらにずれる。脱出の可能性が見えたときに、とどまるという選択をする。資本主義は外も内にして外をなくすのだよなあとか、ベルリンの壁ができたのはこの年だったよなあとか、1960年代には「暴力脱獄 Cool Hand Luke」とか「パピヨン」とか「アルファビル」などの意図や目的が説明されないのに脱出に執着するテーマの映画があったよなあとか、いろいろ妄想。

Track 12 12インチLP (1958) ・・・ 極小音響学なる研究をしているライバル同士がLPに収録した微細な運動の音を聞かせる。おちはともかくとして、細胞分裂の音を聞くという妄念が面白い。さて、1982年(CD発売の年)以降に生まれたよい子にはLPとは何かの説明をしないといかんかなあ。あわせてLPを聞くときの所作やルールというのもあわせて消えてしまいそう。所作やルールは同世代の友人の動きを見て覚えるもので、そのような情報共有・文化継承の仕組みもあわせて。

The Watch-Towers 監視塔 (1962) ・・・ その町にはいつから昔かわからないほどまえから、監視塔がいくつも宙に浮かび、窓から誰かが監視していた。監視塔がなぜあるのか、意図は何かがわからないので、人々は家に閉じこもり気味、話題にもしない。市議会が監視塔の意図を組んだ市政を行っているが、実質なにもしていないに等しい(「〜するな」と命じるだけ)。そこでレンソールは園遊会を開き、市民に塔があることを認識させようとする。市議会に阻止され、強行しようと決意した翌朝、市民は意外な行動をとる。まず、宙に浮かぶ監視塔というイメージが秀逸。マグリットかダリかデルヴォーか(このくらいしか知らないが)シュールレアリスムの画家にありそうではないか。意図のわからない監視塔も、ベンサム/フーコーパノプティコンなのだろうし、見かけ上監視を気にしなくなるというのはロシア・東欧の警察国家みたいだし。奇妙なのは、この小説が「SF」を称すること。イギリスのSFなら監視塔が置かれるまでを克明に描くし、アメリカのSFなら監視塔を破壊し解放されるまでを書くだろうに。そうではなく、監視塔の到来と退去の間の見かけ上安穏な生活を描く。それはSFの始まる前であり、終わった後のことなのに。問題は塔ではなくて、「ある」と判断する<私>の認識の確からしさのほうにある。周囲のひとはすべて塔に順応にしているのに、自分ひとりだけ適応していない「異端者」「異常者」であることの恐怖あるいは諦念。

A Question Of Re-Entry 地球帰還の問題 (1963) ・・・ 南米の奥地に不時着した月着陸船。そこには最初の月面飛行士が乗っているはずであったが、5年後のいまも行方が知れない。調査隊はインディアンの情報をえるために、牧師ライカーに協力を頼む。奇妙なことにライカーは正確な時計をもっている。そのうえインディアンは積荷信仰(カーゴカルト)を持っていて、救世主の到来を待っていた。細切れの情報がひとつの大きな絵にまとまる、みごと。南米インディアンへの関心は、レヴィ=ストロース「悲しき南回帰線」1955年、カルペンティエール「失われた足跡」1953年などからのインスパイアか。これらの本に比べると、バラードのジャングルは湿気が足りず、アニミズムの奥深さに欠けている。それでも同時代の他のジャングル描写よりリアルなのだがね。ライダー・ハガード「ソロモン王の洞窟」(創元推理文庫)パスティーシュかもしれない。

Escapement 逃がしどめ (1956) ・・・ 夜TVをみていると、同じ場面が繰り返されている。妻に指摘しても、無視されるだけ。時計をみると、時間が戻っている。すなわち15分ごとに時間が巻き戻され次第に間隔が短くなっている。それは自分一人に起きているのだ。ここでもこの<私>の認識だけがおかしくなっていて、周囲は気づいていないという孤独、恐怖がテーマ。主人公は時間のメリーゴーラウンドを確認するために、TVのチャンネルを9にする。この当時、イギリスのBBCはチャンネル1だけ、1965年にチャンネル2が加わる。この小説のチャンネル9も、映画「2001年宇宙の旅」でのBBC12も、当時からするととてつもない未来の話になる。あと、モンティ・パイソンに「デジャ・ブー」のスケッチがあったな。

The Thousand Dreams Of Stellavista ステラヴィスタの千の夢 (1962) ・・・ 「ヴァーミリオン・サンズ」連作のひとつ。この都市に移住してきた弁護士が家を探す。それは、10年前に弁護を務めたある殺人事件の被告の家だった。夫婦で引っ越し敵てから怪異が起こる。ついに妻は逃げ出し、夫一人が怪異に立ち向かうことになる。というストーリーは昔ながらの幽霊屋敷もの。ちがうのは、このガウディ設計みたいな家にはPT装置によって以前の居住者の人格記憶が保持されていること。保持された人格は現在の居住者に影響し、行動パターンが同じになるようにする。このあたりが、いくつものホラーとは異なるところ。ジャクソン「たたり」、マシスン「地獄の家」などとはずいぶん違う。それに当時は、ル・コルビュジェ風のモダニズム建築の流行。ここらのモダニズムに抵抗する手段が、テクノロジーであるというのがバラードの当時の新しさ。人格を持つ家というのは、1960年代の手塚治虫「フースケ」、石森章太郎「009ノ1」などに反映された。

The Cage Of Sand 砂の檻 (1962) ・・・ 海に面した砂漠に住まう数人の人々。孤独で、苦痛や憂鬱を抱え、一人ぼっちで暮らしている。砂漠は次第に広がり、彼らも荒廃にのまれていく。それは50年前の火星開発から。大量の火星の砂を持ち帰ったところ、混入していたビールス(当時の呼称)が植物に寄生し、絶滅させていった。その拡大を抑えるために、フロリダ周辺の汚染された砂漠を隔離している。彼ら、砂漠に住まう人々は居留地から外に出ることがかなわない。この隔離地域を壁建設中のベルリンや鉄のカーテンの向こう側に読みたい欲望が抑えられない。廃棄された宇宙船に事故死したアストロノーツが100年も乗っていて、毎夜、光跡を残すという残酷で美しいイメージ。イアン・ワトソン「マーシャン・インカ」はこの設定を借りてストーリーを膨らませたのだろうな。

Passport To Eternity 永遠へのパスポート (1962) ・・・ 倦怠期の夫婦が仲直りのプランとして長期旅行を企画する。都市の40社の観光会社がツアーを用意した。その中から夫婦の選んだのは(そこでタイトルを見直そう)…。観光会社の用意したツアーが面白い。解説者は古いSFの「愚かしいギミックのパロディ」というが、そのギミックに観光会社をかぶせることが秀逸と思う。筒井康隆「ベトナム観光公社」なんかはこれにインスパイアされてできたと想像してしまう(たぶん、きっと違う)。


 小説をなめるように楽しむとか、短編集全体の印象をまとめるとかには向かわずに、その短編から想像できること(過去と未来の系譜、似たアイデアの作品などなど)を考えることの方が面白かった。300ページの薄い本だが、普段よりも時間がかかったなあ。それも読書の至福の時間。
 ル・コルビュジェフランク・ロイド・ライドの当時はやりの建築家を非常に意識している。バラードの想像は彼らのモダニズムとは合わないが、乾いた文体はモダニズムにあっている。そういう近親憎悪みたいな感情かな。